憧憬、大艦巨砲主義w

盆栽RF900R 営農機セロー250 奥様号レブル250

バイク来歴(2) 青侍

2023-10-24 08:13:08 | バイク来歴
3台目 CM400T
香川県の駅弁大学に進学が決まったpoita。
中学の頃はやっていた『竜馬がゆく』に倣い、「ワザモノが要る」とwww
CM400Tはワザモノに該当しないと思うがw

大宮の運転免許試験場、一発受験×7で中免を取得。
あいまいな記憶ですが、中型で7%、大型で2%の合格率と言われておりました。
ちな、当時の大宮は、中型もアクセルワークスラロームができて、7秒でノーミス走破できないと不合格。
大型に至ってはCB750Kで4秒と言われていたwww
当然、転倒者続出w
poitaも1回目でコケて、試験車Z400はオイルだばーwww
試験官にも後続の受験者にもめっちゃ恨まれたwwwwww
一緒に受験したラクーンのダチは1回目の学科でオチて、まじめに教習所に行ったw


当時、「バイクを買うなら上野バイク街」という固定観念から、今は亡き悪名高き「CORIN]で購入w
このバイクが良かった、というよりコミコミ15万という、爆安に感じた価格w
RZ50は10万くらいで購入し、2年乗って5万くらいで売ったのでそう感じたのかな?
「タイヤはまだまだあるよ」と言って、スリップサイン出たまま引き渡そうとしたオヤジ営業社員。
結局、タイヤ交換代は払わされたwww
コゾーのpoitaをヒネるのなんかちょろかったんだろうw
あんなことやってる会社だからなのか、しっかりツブれたけどwww


とはいえ、ソコは大学生。
おカネはなかったけど、コイツでは四国中走り回ったw
3年半で、たぶん、10周くらいはしたと思う。
ソロはもちろん、ショップツーリングやらサークルやら先輩後輩やら送り狼やらナンパやら、とにかく、走ったw
四国一周1300kmを無睡眠で走ったこともあったw
四国は公共交通が壊滅的だったし、定期的に顔出ししていた祖父母の住む徳島県つるぎ町の限界集落は、バス停から10kも歩かなければならなかったですしw
その山家も、ココ20年住む者もなく、廃墟。

最終の機体のお姿の貴重な一枚。

この写真はショップツーリングの一枚ですなw
ハンドルはなんだか不明の低いハンドルに替わっていて、峠道ブイブイとかもやっておりましたw
バンクセンサ状のステップの裏がだいぶ無くなってましたw
この写真の左端、XJ400D・YSPなんですが、コイツがpoitaの学生時代終盤のバイクになりますのですが、コレは別項でw

大学4年に上がる前の冬休み。
葛飾の片側3車線のR6。
コイツでBBAをはねた。
渋滞信号待ちしている右折レーンの車列の間から、いきなり飛び出してきたのです。
150m間隔の横断歩道まで回り道するのがイヤで、横断禁止の6国を走って渡った、ということだった。
死にたいのかBBA。
こちらも赤信号手前で、速度は出てませんでしたが、反応さえできなかったくらいのタイミング。
BBAはあごの骨折という重症。
賠償交渉はpoitaパパンが仕切ってくれました。
横断禁止区域の飛び出しということもあって、100:0といってもいい、自賠責の範囲での損害賠償で決着。
学生であった自分の無力と、無学ながら実力のあった親父と、保険の大切さを思い知った経験でした。
BBAの体躯で破壊されたバイクはヘッドライト周りが割れたくらいでしたが、各方面からの批判を受け、売却。
よくよく思い出してみたら、処分は親父がアレしたけど、poitaには一銭も回ってこなかったw
まぁ、poitaが原因で大変な苦労かけましたのでいいんですけど、こら、オヤジwww

CM400T。
バイクというものの光と影を教えてくれた一台。
こうやって思い返してみると、最も長く乗った&最も思い出をくれた。
最終的には、事故後の姿のまま露天でしばらく放置されてたけど、いつの間にか処分されてた。





バイク来歴~(3)に続きますが、たぶん、少し、間が空きますw
コメント (2)
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