テレビは あいかわらず
尖閣のビデオ流出ことを報道している
それを見ながら 思ったことがある
いつもは きちんと
根拠をとってから書いているけど
今日のは
たしか こう書いてあったと思う~
って いうことで書くので
そのように理解してください
山岡荘八氏の 「 新太平記 」 という歴史小説がある
建武の中興のあたりの出来事が小説になっている
鎌倉幕府の後期
この時代の政権も腐敗していた時の話
時の後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうと旗揚げされた
それは 無謀な行動だったが
国のあるべき姿を憂えての行動だった
その時 楠木正成 ( くすのきまさしげ ) という武将が
後醍醐天皇のもとに馳せ参じた
その後 後醍醐天皇が幕府の手に落ち
隠岐の島に島流しになっても
千早城で倒幕の旗揚げをして
わずか五千人の兵で
幕府軍 二十万の兵を迎え撃つ
その後 倒幕の機運が高まり
ついに鎌倉幕府が滅びてしまう
正成が後醍醐天皇の前に進んだとき
「 非理法権天 」 と書いた旗を持っていた
それは
非は道理にかなわず
道理は法律にかなわず
道理は権力にかなわず
権力は天 ( 真の正しさ・神の御心 ) にかなわず
と いった意味だろうか ・・・・
もっと 分かるように言うと
間違ったことは道理にかなわない
道理は法律にかなわない
法律は法律を作る権力にかなわない
権力は真の正しさ・神の御心にかなわない
と いうことかな
「 龍馬伝 」 を見ていても そう思うけど
権力が腐敗したり
権力自体がその時代に対応できなくなってくると
新しい価値を創造しようとする動きが出てくる
それは 時に権力に対抗する動きともなることがある
それは 権力側から見れば悪だし
理屈に合わない行動に見える時がある
今回の映像を流出した人も
公務員の規範からみれば 罪人ということになる
僕も そのことは悪いことだと分かっている
でも
それは人が作った法律において悪なのだ
あくまでも 法というのは
絶対的正しさを この世の秩序とするための
ひとつの決まり だと思う
その絶対的正しさから見ると
どうなんだろう って
今日のニュースを見ながら考えてしまった
江戸時代末期 吉田松陰という人がいた
この人は こんな和歌を詠っている
かくすれば かくなのものと知りながら
已む已まれぬ 大和魂
かくすれば かくなるものとしりながら
やむにやまれぬ やまとだましい
僕なりに訳するとすれば
これをやれば 逮捕されたり刑事罰を受けるかもしれないけど
でも 心の中の正義が 愛国の信念が
僕を この行動に駆り立てるのです
と いうところだろうか
吉田松陰は
政治犯として安政の大獄で処刑されたし
楠木正成は
日本の歴史で長い間 悪人扱いされていた
でも
長い時間でみれば 悪に見えても
そのことが 人々を救っていくこともある
そんなことを考えつつ
でも
所詮 僕も傍観者だ
かったるい人間の一人だな ・・・・
と 思ってしまった
上の写真は
皇居外苑にある 楠木正成像
はじめて この像にお会いした時 撮ったものです
逆光からあえて撮ったのだけど
二十万の兵に対して
わずか五千の兵で戦った躍動感が
ほんの少し 表現することが出来て
気に入っている写真です
君の祖国を