4月7日(火)イェルク・デームス(Pf)
第435回日経ミューズサロン
日経ホール
【曲目】
1. ハイドン/アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVⅡ-6
2.モーツァルト/ピアノ・ソナタ イ長調 第11番 K.331
3.ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 Op.110
4.ブラームス/6つの小品 Op.118
5.シューベルト/4つの即興曲 Op.90 D899

【アンコール】
1. シューマン/アラベスク
2. デームス/夕べの鐘
3.シューベルト/楽興の時 第3番

長年に渡り毎年のように来日しているウィーンの名匠イェルク・デームスのピアノリサイタルを初めて聴いたのは2004年。譜面の奥深くまで読み込み、作曲家の魂に迫る演奏を聴いて、こんな素晴らしいピアニストを今まで聴いていなかったことを悔やみ、その後はできるだけ聴きに来ようと思っていながらスケジュールがなかなか合わず、今夜は震災直後の来日で聴いて以来4年振りに聴く演奏会となった。
老境の極みに達したこの名匠の演奏はあくまでも自然体で、作品の持つあるがままの魅力を伝えてくれた。拳を振り上げて音を鳴らそうなんてことからはとうに脱し、腕の重みで下ろされて鳴る音がデームスが出す最強音。そして、演奏する作品は細部に至るまで身体に染み込んでいて、わざわざそれを意識の世界に呼び戻さなくても身体が音の動きや行方を覚えていて、指がひとりでに鍵盤上を駆け巡っているよう。
その指先で表現される節回しや呼吸、タッチの濃淡などは誰にも真似できないような、以前と変わることのないデームスならではのものだった。それはごく自然に施されるちょっとした味つけがもたらす正に「極意」とも言えるもの。決して広いとは言えないディナミークのなかで施されるそんなちょっとした味つけで、デームスは音楽の持つ魅力の核心をさらりと表現してしまう。
そうしたデームスならではの味付けが最も無理なく出て、味わい深い世界を聴かせたのが、後半のブラームスとシューベルト。徒に深刻ぶることも、偽善的に優しさを安売りすることもなく、ピアノを「爪弾く」ようにごく自然にさらりと弾いていながら、デームスが残した足跡からは温かな匂いが立ち上り、それが忘れえぬ心証をもたらしてくれる。
今夜の演奏では、過去に2回聴いた時には見られなかった衰えを感じさせる場面に何度か遭遇したのは残念だったが、デームスはそんなことを気にする様子など見せずに淡々と弾き続ける。そのためか、普通なら演奏の大きな傷になってしまいそうなものも、かすり傷程度にしか感じさせず、演奏全体の印象に影を落とすことはない。弾く曲を選ぶ必要はあるかも知れないが、今後もデームスが演奏を続けることの意味は大きい。
アンコール2曲目では「夕べの鐘」と日本語で紹介して、英語で「20世紀のオーストリアの作曲家の作品」と言っていたのは自分のことだったんだと、終演後の掲示を見てわかった。チャーミングでロマンチックな曲だったし、控えめな紹介の仕方が微笑ましい。最後の「楽興の時」のほのかな香りがいつまでも心に残った。
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【曲目】
1. ハイドン/アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVⅡ-6
2.モーツァルト/ピアノ・ソナタ イ長調 第11番 K.331
3.ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 Op.110
4.ブラームス/6つの小品 Op.118

5.シューベルト/4つの即興曲 Op.90 D899


【アンコール】
1. シューマン/アラベスク

2. デームス/夕べの鐘

3.シューベルト/楽興の時 第3番


長年に渡り毎年のように来日しているウィーンの名匠イェルク・デームスのピアノリサイタルを初めて聴いたのは2004年。譜面の奥深くまで読み込み、作曲家の魂に迫る演奏を聴いて、こんな素晴らしいピアニストを今まで聴いていなかったことを悔やみ、その後はできるだけ聴きに来ようと思っていながらスケジュールがなかなか合わず、今夜は震災直後の来日で聴いて以来4年振りに聴く演奏会となった。
老境の極みに達したこの名匠の演奏はあくまでも自然体で、作品の持つあるがままの魅力を伝えてくれた。拳を振り上げて音を鳴らそうなんてことからはとうに脱し、腕の重みで下ろされて鳴る音がデームスが出す最強音。そして、演奏する作品は細部に至るまで身体に染み込んでいて、わざわざそれを意識の世界に呼び戻さなくても身体が音の動きや行方を覚えていて、指がひとりでに鍵盤上を駆け巡っているよう。
その指先で表現される節回しや呼吸、タッチの濃淡などは誰にも真似できないような、以前と変わることのないデームスならではのものだった。それはごく自然に施されるちょっとした味つけがもたらす正に「極意」とも言えるもの。決して広いとは言えないディナミークのなかで施されるそんなちょっとした味つけで、デームスは音楽の持つ魅力の核心をさらりと表現してしまう。
そうしたデームスならではの味付けが最も無理なく出て、味わい深い世界を聴かせたのが、後半のブラームスとシューベルト。徒に深刻ぶることも、偽善的に優しさを安売りすることもなく、ピアノを「爪弾く」ようにごく自然にさらりと弾いていながら、デームスが残した足跡からは温かな匂いが立ち上り、それが忘れえぬ心証をもたらしてくれる。
今夜の演奏では、過去に2回聴いた時には見られなかった衰えを感じさせる場面に何度か遭遇したのは残念だったが、デームスはそんなことを気にする様子など見せずに淡々と弾き続ける。そのためか、普通なら演奏の大きな傷になってしまいそうなものも、かすり傷程度にしか感じさせず、演奏全体の印象に影を落とすことはない。弾く曲を選ぶ必要はあるかも知れないが、今後もデームスが演奏を続けることの意味は大きい。
アンコール2曲目では「夕べの鐘」と日本語で紹介して、英語で「20世紀のオーストリアの作曲家の作品」と言っていたのは自分のことだったんだと、終演後の掲示を見てわかった。チャーミングでロマンチックな曲だったし、控えめな紹介の仕方が微笑ましい。最後の「楽興の時」のほのかな香りがいつまでも心に残った。
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