11月11日(木)藤村実穂子(MS)/ウォルフラム・リーガー(Pf)
~生誕200年 シューマンをうたう~
紀尾井ホール
【曲目】
◆シューマン/歌曲集「リーダークライス」 Op.39
◆マーラー/歌曲集「若き日の歌」~「春の朝」
歌曲集「子供の不思議な角笛」~「夏の交代」、「美しき喇叭の鳴るところ」
歌曲集「若き日の歌」~「つらなる想い」
◆ブラームス/ジプシーの歌Op.103-1~7,11
【アンコール】
1.ブラームス/甲斐なきセレナード Op.84-4
2.ブラームス/セレナード Op.106-1
3.ブラームス/日曜日 Op.47-3
メゾソプラノ藤村実穂子の名前と、ワーグナーのオペラなどでの活躍ぶりは聞いていたが、歌を実際に聴くのは今夜が初めて。シューマン、マーラー、ブラームスの渋めだが多彩なプログラムも楽しみ。
ところでドイツリートを聴くとき、僕は必ず歌詞対訳を手元に置く。紀尾井ホール主催の演奏会ならきっとプログラムに対訳はついているだろう、と当てにした通りちゃんと付いていた。しかも藤村さん自身の訳だ。と・ところが、印字が小さ過ぎて暗めの会場では読むのが辛い。日本語は辛うじて読めるが更に小さいドイツ語はアウト。これでは演奏が始まって照明が落ちたら日本語も見えなくなってしまう。カバンの中、この夏に作った老眼鏡を探したがないではないか!クソッ!
シューマンの「リーダークライス」を対訳なしで聴くハメになった。最初の「異郷にて」だけは、ドイツ語の詩を覚えているが、その後は曲は知っていても歌詞は日本語でもわからない。歌から聴こえてくる単語を手がかりに、手に持っているプログラムの対訳を目を見開いて見つめたが無駄だった。トシを取る辛さを味わった。これなら最初から対訳なんてないほうが気が休まる…
泣き言はこれくらいにして、歌詞がなくても、藤村さんの歌がどんなに素晴らしいかはよくわかる。芯のある格調高い美声で、ひとつひとつの言葉を慈しむように歌う。またその歌いまわしが、声と同様に格調高く、また、心の深いところにある魂に優しく語りかけるような親密さがある。リーガーのピアノは、そんな歌にぴったりと付き添い、光や色彩の淡い移ろいや、肌で感じる優しい温もりまで伝えてくる。あー、歌詞がわかれば更なる感動を味わえたのに…
幸運にもここで20分の休憩。そうだ!と思いつき、ホールからちょっと遠かったが、麹町の方のファミリーマートまで走り、プログラム後半の歌詞対訳を思いっ切りデカく拡大コピーしてきた。これで後半は万全だ!
ドイツ語の詩を目で確かめながら聴けたマーラーの歌曲で、藤村さんがいかに細やかで、情感豊かなニュアンスを言葉に与えているかを実感することができた。例えば「夏の交代」で、死んだカッコウに代わって登場する夜鶯のことを「愛らしい(liebe)」と歌う、その"liebe"の、とろけるように甘い表情とか、或いは「美しい喇叭の鳴るところ」で一番魅力的なメロディーが与えられている、「一番大切な人」という意味のとてもポエティックな言葉"Herzallerlieble"が、この上ない愛しさと、憧れを込めて、しかも格調高く歌われるのを聴いていると、歌の世界にぐーっと引き込まれて行く。そうした言葉同志が連なり、全体で豊かな詩情を生み出し、マーラーならではの妖艶でファンタジックな世界に身を委ねた。
プログラム最後の「ジプシーの歌」は、学生時代に合唱で歌ったこともあり、歌詞もだいたい覚えているが、やっぱり対訳を見るとイメージが益々広がる。ここで藤村は、シューマンより、マーラーよりも情熱的に、ドラマチックに曲を盛り立てた。抑揚の幅をぐっと広げ、テンポにも変化を与え、そして、合唱版だと、テノールのソロにトゥッティが同じ歌詞で呼応するシーンを、最初は幾分叙事的に、呼応の部分は血がたぎるほど情感たっぷりに歌い、大きな起伏を与え、立体的に仕上げる。純朴で情熱的なロマの血が伝わる名唱だ。リーガーのピアノもこれに合わせて表現の幅を広げ、藤村と一体となって熱い音楽を奏でた。
アンコールでは、同じブラームスでも「ジプシーの歌」とはガラリとニュアンスを変え、有名な「日曜日」では青年のシャイな思いを聴かせてくれた。
藤村さんは、作曲家によって、更には作品によって、表現の幅やニュアンスを大きく変え、その音楽に最も相応しい表情を与える。どれもが確信に満ち、そして自然だ。ワーグナーのオペラでは、きっとまた更に違った素晴らしい「藤村実穂子」を聴けるに違いない。
~生誕200年 シューマンをうたう~
紀尾井ホール
【曲目】
◆シューマン/歌曲集「リーダークライス」 Op.39
◆マーラー/歌曲集「若き日の歌」~「春の朝」
歌曲集「子供の不思議な角笛」~「夏の交代」、「美しき喇叭の鳴るところ」
歌曲集「若き日の歌」~「つらなる想い」
◆ブラームス/ジプシーの歌Op.103-1~7,11
【アンコール】
1.ブラームス/甲斐なきセレナード Op.84-4
2.ブラームス/セレナード Op.106-1
3.ブラームス/日曜日 Op.47-3
メゾソプラノ藤村実穂子の名前と、ワーグナーのオペラなどでの活躍ぶりは聞いていたが、歌を実際に聴くのは今夜が初めて。シューマン、マーラー、ブラームスの渋めだが多彩なプログラムも楽しみ。
ところでドイツリートを聴くとき、僕は必ず歌詞対訳を手元に置く。紀尾井ホール主催の演奏会ならきっとプログラムに対訳はついているだろう、と当てにした通りちゃんと付いていた。しかも藤村さん自身の訳だ。と・ところが、印字が小さ過ぎて暗めの会場では読むのが辛い。日本語は辛うじて読めるが更に小さいドイツ語はアウト。これでは演奏が始まって照明が落ちたら日本語も見えなくなってしまう。カバンの中、この夏に作った老眼鏡を探したがないではないか!クソッ!
シューマンの「リーダークライス」を対訳なしで聴くハメになった。最初の「異郷にて」だけは、ドイツ語の詩を覚えているが、その後は曲は知っていても歌詞は日本語でもわからない。歌から聴こえてくる単語を手がかりに、手に持っているプログラムの対訳を目を見開いて見つめたが無駄だった。トシを取る辛さを味わった。これなら最初から対訳なんてないほうが気が休まる…
泣き言はこれくらいにして、歌詞がなくても、藤村さんの歌がどんなに素晴らしいかはよくわかる。芯のある格調高い美声で、ひとつひとつの言葉を慈しむように歌う。またその歌いまわしが、声と同様に格調高く、また、心の深いところにある魂に優しく語りかけるような親密さがある。リーガーのピアノは、そんな歌にぴったりと付き添い、光や色彩の淡い移ろいや、肌で感じる優しい温もりまで伝えてくる。あー、歌詞がわかれば更なる感動を味わえたのに…
幸運にもここで20分の休憩。そうだ!と思いつき、ホールからちょっと遠かったが、麹町の方のファミリーマートまで走り、プログラム後半の歌詞対訳を思いっ切りデカく拡大コピーしてきた。これで後半は万全だ!
ドイツ語の詩を目で確かめながら聴けたマーラーの歌曲で、藤村さんがいかに細やかで、情感豊かなニュアンスを言葉に与えているかを実感することができた。例えば「夏の交代」で、死んだカッコウに代わって登場する夜鶯のことを「愛らしい(liebe)」と歌う、その"liebe"の、とろけるように甘い表情とか、或いは「美しい喇叭の鳴るところ」で一番魅力的なメロディーが与えられている、「一番大切な人」という意味のとてもポエティックな言葉"Herzallerlieble"が、この上ない愛しさと、憧れを込めて、しかも格調高く歌われるのを聴いていると、歌の世界にぐーっと引き込まれて行く。そうした言葉同志が連なり、全体で豊かな詩情を生み出し、マーラーならではの妖艶でファンタジックな世界に身を委ねた。
プログラム最後の「ジプシーの歌」は、学生時代に合唱で歌ったこともあり、歌詞もだいたい覚えているが、やっぱり対訳を見るとイメージが益々広がる。ここで藤村は、シューマンより、マーラーよりも情熱的に、ドラマチックに曲を盛り立てた。抑揚の幅をぐっと広げ、テンポにも変化を与え、そして、合唱版だと、テノールのソロにトゥッティが同じ歌詞で呼応するシーンを、最初は幾分叙事的に、呼応の部分は血がたぎるほど情感たっぷりに歌い、大きな起伏を与え、立体的に仕上げる。純朴で情熱的なロマの血が伝わる名唱だ。リーガーのピアノもこれに合わせて表現の幅を広げ、藤村と一体となって熱い音楽を奏でた。
アンコールでは、同じブラームスでも「ジプシーの歌」とはガラリとニュアンスを変え、有名な「日曜日」では青年のシャイな思いを聴かせてくれた。
藤村さんは、作曲家によって、更には作品によって、表現の幅やニュアンスを大きく変え、その音楽に最も相応しい表情を与える。どれもが確信に満ち、そして自然だ。ワーグナーのオペラでは、きっとまた更に違った素晴らしい「藤村実穂子」を聴けるに違いない。