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湯浅譲二特集 東京シンフォニエッタ定期演奏会

2010年12月10日 | pocknのコンサート感想録2010
12月10日(金)板倉康明 指揮 東京シンフォニエッタ
第28回定期演奏会 ~湯浅譲二特集~

東京文化会館小ホール
【曲目】
1.ヴァレーズ/オクタンドル(1923)
2.湯浅譲二/7人の奏者のためのプロジェクションズ(1955/56)
3.今井智景/シモルジェネシス 17人の演奏家のための(2009、日本初演)
4.湯浅譲二/室内オーケストラのためのプロジェクション(2008/20)
5.湯浅譲二/世阿弥・九位(1987-88)

現代音楽の最先端を常にリードしてきた湯浅譲二の音楽は、折りに触れ聴いているが、湯浅の作品を特集した東京シンフォニエッタの演奏会に立ち合い、久々に前衛音楽にどっぷりとつかった。この前衛音楽という言葉を「時代の先端を行く音楽」と捉えるなら、湯浅やその世代の作曲家達が目指した、実験的で常に新しいものに挑戦する姿勢は、今の作曲の世界ではもはや廃れてしまい、過去のものになってしまったようにも思える。それだけに、こうした新しい音や形を求めて前へ進もうとする気概に溢れた姿に久しぶりに接して、新鮮な気分を呼び覚まされた。

とりわけ、最後に演奏された大作「世阿弥・九位」は、コンピュータによって加工された音声と、生身の人間が演奏する音楽の対比や拮抗が鮮やかな効果となって、夢と現実の世界の間を行ったり来たりさ迷う体験を味わい、新しい発見があった。

この曲のテーマである能の世界が、音楽にどのように反映されているのかは正直わからない。ただ、ここから改めて感じたのは、人工的に作られた音響というのは、どんなにノイジーに聞こえても、人が楽器に息を吹き込み、或いは弓で弦を擦って出る音に比べて、遥かに整っているということ。そして人の手によって生み出される音は、どんなに滑らかであっても、コンピュータに比べればザラついてアラだらけであるか、ということ。コンピュータの音は心地良く別世界的だが、人の出す音は魂を揺さぶってくるということ。こんなことに気付いたのは、単にコンピュータと人間の音を対比させたからだけではなく、湯浅の精緻で巧みな、そして人間的な技と心があればこそ成し得たのだと思う。

こうした湯浅の匠の技は、その前に演奏された「室内オーケストラのためのプロジェクション」でも鮮やかに現れていた。これは演奏会の冒頭に置かれた、湯浅が大きな影響を受けたという作曲家、ヴァレーズの「オクタンドル」が凝縮され、昇華されたような世界を示していた。

「湯浅が推す新進作曲家」ということで紹介された、今井智景の作品は、とてもデリケートで色彩感に溢れた音楽。ただ、湯浅が推す作曲家の作品であっても、そこには新しさを求める前衛の気概というものは感じない、というか、そうしたものを追求することに、あまり価値を見い出していないようにも思える。

そうした意味からも、「前衛音楽」というのは、湯浅や武満らが「実験工房」の時代に生み出したり、彼らが影響を受けた同時代の作曲家の作品を呼ぶ、「ロマン派」とか「古典派」のような、ひとつの名称になりつつあることを認識する機会ともなった。

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