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イタリアを凝縮 ディープなナポリの街歩き ~その1~

2016年03月03日 | 夏のヨーロッパ家族旅行2014
8月12日(火)

ダルムシュタット→フランクフルト→ナポリ
ヨーロッパ家族旅行も中盤に入った。これからはイタリアの旅だ。早朝にダルムシュタットからバスでフランクフルト空港へ。そしてイタリアで最初の訪問地、南イタリアで最大の都市、ナポリへひとっ飛びした。

NAPOLI!!
空港ビルを出るや、南国のギラギラした太陽が照りつけてきた。街中のホテルまではタクシーを使った。タクシーの運ちゃんに「暑いねー!」と言うと「38度あるからね」。38度か!クラクラする暑さだが、空気はカラッとしていて不快感はない。

タクシーはスピード出しまくりで、あっという間にナポリの町中へ入り、石畳の道をガタピシ言わせながら走り、9年前に泊まったのと同じホテルに到着した。ナポリでの3日間の始まりだ。

ナポリの治安
ナポリを訪れるのは9年ぶり3度目。「ナポリを見てから死ね!」という有名な諺があるぐらい、昔からナポリは世界でも風光明媚な町として名高い一方で、治安が悪い町としても悪名高い。ネットで「ナポリ 治安」で検索して調べているだけで恐ろしくなる。現に、南イタリアを巡る日本発のツアーでは、ナポリはせいぜい数時間博物館などを見学するものが殆どで、ナポリの街中に宿泊するようなツアーは滅多に見かけない。旅行者がトラブルに巻き込まれることが多いということなのだろう。

一方、僕たちの過去2度のナポリ訪問は、いずれも小さい子供連れの家族旅行だったが、危ない思いやトラブルは全くなく、下町の情緒と活気と喧騒を楽しみ、おいしいものにも事欠かず、地元の人達の明るくて温かな心にも触れた旅だった。

しかし!だからと言って「ナポリ=安全」とは思わない。そもそもたかだか延べ1週間程度滞在している間に危ない目に遭わなかったからといって「治安は良い」と言うほど、僕はお目出度い人間ではない。ある町に100日滞在して99日を何もなく過ごせたとしても、そのうちたった1日でも危ない目に遭えば、そこは間違いなく東京よりも恐らく100倍は危ない町なのだから。

とは言えナポリは見所いっぱいだし、美味しいものもたくさんで、何しろ町そのものが面白い。だからまた来たくなってしまうのだ。そんな魅力あふれる町をできるだけ安全に満喫するため、20年ぶりにコンタクトが取れ、ナポリ出身でドイツ在住の友達のマリーナさんから、ナポリについて事前に安全の心得を教えてもらった。

ナポリっ子マリーナの ナポリ街歩き 安全の7つの心得

1.持ち歩くバッグは1個だけにして、いつでも体の前に抱えなさい!
2.パスポートは持ち歩かず、コピーを持つように!
3.道ばたで売っているものを買ってはダメ!どれもまがい物ばかり。
4.中央駅にはジプシーが大勢いるから注意して!
5.物乞いには何もあげちゃダメ!しゃべるのもダメ!
6.写真を撮るとき、携帯を使うときは特に周囲に気をつけて!
7.この時期はとにかく暑いからいつでも水を持つように!


この心得は旅行に出発する前に伝授してもらったが、2日前にケルンでマリーナさんに会ったとき、このことを身振り手振りを交えて再度念を押されたので、家族みんなの心の準備もできていた。

宿泊先のHotel des Artistesは、ドゥオモやスパッカ・ナポリもすぐ近くでとても便利な場所にある。部屋も快適。この超クラシックなエレベーターは9年前と変わらず。ヨーロッパにはこんな100年も前にできたようなエレベーターが今でも普通に働いていることが多い。

レセプションのおねえちゃんはとても陽気で、僕のヘンなイタリア語にえらく感動してくれた!
「8月のこの時期は町が閑散としていて危なくない?」と尋ねると「心配ご無用よ。地元の人はヴァカンスに出かちゃってるけれど、観光客はたくさんいるからね!」

普通のナポリ市民は出かけて、変なごろつきが観光客目当てに悪さをするのでは、という心配があったのだが、「心配ご無用」と言われてちょっと拍子抜けした。けれど気をつけるに越したことはない。マリーナさんの「7つの心得」を守って、いざナポリ観光へ出発!

ナポリの地下遺跡 Napoli sotterranea
紀元前5世紀、ギリシャによる植民地時代からの古い歴史を持つナポリは遺跡の町でもある。ナポリの町中には地下の遺跡も無数に残り、その一部は教会の施設として、或いはツーリスト向けに公開されている。なかでも代表的な地下遺跡が、ナポリの下町スパッカナポリの地下に広がるここ「ナポリ・ソッテッラーネア」だ。

洞窟系が大好きな僕は、前回ナポリを訪れたときもここにとても引かれていたのだが、ガイドツアーに参加せねばならず、ツアーは2時間かかるというのであきらめて、ドゥオーモやサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会の自由に入れる地下遺跡を見学した。

今回のナポリ訪問では、まずはここ!と決めていた。ホテルから歩いて来れるスパッカナポリの細い道沿いにある入口は、目立たなくてちょっと迷ってたどり着いたら、入口前は入場待ちの人達で溢れかえっていた。ホテルのおねえちゃんが「8月のナポリは観光客でいっぱい」と言っていたことを納得。

チケットを買い求め、10分程度で中に案内されると、待合いホールのような場所でまたしばらく待たされてからようやく地下遺跡のツアーが始まった。

約30人のグループが英語のツアーガイドのお兄さんの先導で石の狭い階段を下りてゆく。下りるにつれて、38度の外の猛暑を忘れる冷気に包まれていった。気温は年間を通じて17度前後で一定しているという。



地下から石を切り出していた現場。ブロック状に石を切り取り、ワイヤーで地上へ運び上げていた。すでに今から5000年ほど前からナポリ湾岸に居住した人々によって採石は始まっていた。



採石が本格的に行われるようになったのは、今から2400年前の古代ギリシャ人が植民地活動を行った時代。要塞や寺院、自らの住居などの建設のために大量の採石が行われた。この石は火山性の凝灰岩で、切り出すのが楽で加工もしやすく、通気性や断熱性にも優れ、建築材に適していていた。

それぞれの建設現場のすぐ下で採石が行われたため、ナポリの中心地の地下には至るところにこうした巨大な採石場が出現することになった。深さは地下35~40メートルにもなる。

切り出された石だけでなく、その場にできた空間の方も様々な用途で使われた。隠れ家、礼拝堂、カタコンベ(地下墓所)、ゴミ集積場…

そして第2次世界大戦時には防空壕として使われた。なんと、当時のナポリ市民の人口の半数にあたる20万人分もの場所があったそうだ。

爆撃に備えて、取水用に空いていた穴も全て塞がれたが、1箇所だけ、サン・ロレンツォ教会の床にあった穴はそのままにされた。教会は空襲を免れると思ったためだが、なんとこの穴から爆弾が地下防空壕に入ってしまったという。その様子を再現するために、穴の下に爆弾が吊るされている。


地下に戦車!これも世界大戦時の遺物と思いきや、この地下を劇場としてシアターピースを上演するために持ち込まれたものらしい。



古代ローマ人は、ナポリの町中の下にできた巨大な地下世界にもう一つ重要な役割を与えた。あちこちの地下採石場をトンネルや運河で繋ぎ、雨水を貯める貯水池を設け、一大給水網を作り上げた。これによって町中のあちこちに共同の水汲み場ができ、上層階級の家の下には、専用の貯水槽が作られた。

貯水池を繋ぐ通路の一部も見学コースに含まれていて、照明のない真っ暗闇の細い通路を、用意された燭台のロウソクを各自で持って歩くアドベンチャー体験ができる。

体を斜めにしないと通れないところもあり、なかなかの別世界感を味わうことができる。「閉所恐怖症や暗闇恐怖症の人は、こっちで待っていてください。」とツアーガイドがアナウンスしたが、もちろんコースは全て踏破した。


地下の給水システムは19世紀まで使われていたというが、今でも澄んだ水が流れる水路があった。


狭い地下水路を流れてきた水が、巨大な空間に設けられた地下の貯水槽へと導かれる。貯水槽の水が照明でエメラルドグリーンに反映して、とても幻想的で神秘的な光景だった。


ツアーは一旦地上に出て、ナポリの下町の道をグループでぞろぞろと歩いて、ある家の一室に案内された。その部屋のベッドをどかすと、床に扉があった。ここは、地下の広大なローマ劇場や貯蔵庫へ通じる入口だった。


ここは最近になって発見されたのだそうだ。まるでサスペンス映画のセットのようだ。ここを見学してツアーは約1時間半で終了。ガイドのお兄さんと握手を交わし、みんなで拍手を送り、チップを渡す人もいた。

ナポリの地下に作られた通路や水路の総延長は80キロにも及ぶという。公開されている、というか調査が行われているのはまだまだそのごく一部に過ぎない。これからも驚きの発見があるに違いない。

賑やかな喧騒に包まれた地上の世界に戻り、洗濯物がはためき生活感が漂う下町の風景を眺めていると、その下に、巨大な地下世界がひっそりと佇んでいることがウソのように思えてきた。

地下から出てきてすぐの時は心地よかった強い日差しが、やがてジリジリと肌にこたえてきた。アイスでも食いたいなー

スパッカ・ナポリ散策 Camminare per Spaccanapoli
早速アイスを買って、広場の段差に腰掛けて食べた。レモンのジェラートの爽やかな酸味が、乾いたのどに心地よくしみるー!


涼を取ったらスパッカナポリ界隈の散策開始!

スパッカ(spacca)とは、イタリア語で「真っ二つに割る」という動詞の3人称単数形。つまり東西に真っ直ぐ伸びる通り(サン・ビアージョ・デイ・リブライ通りとそれに続くベネデット・クローチェ通り)が、真っ二つに割るように、ナポリの旧市街を貫いている様子を表している。

ドゥオーモ(大聖堂)から、サンタ・キアーラ教会あたりにかけて広がるこの界隈は、世界遺産に指定されている歴史地区で、ナポリで最も古く、最もナポリらしい下町情緒が楽しめる。

見学価値が高い教会が目白押しという意味でも見どころ満載だが、それらの教会は下町の混沌とした喧騒の中に点在しているのがおもしろい。町中は観光客と地元の人達がひしめき合い、子供たちが走り回り、洗濯物がはためき、狭い路地を二人乗りのスクーターが爆音と排気ガスをまき散らしながら走り抜ける。

おいしいジェラッテリアやピッツェリア、お土産屋さん、市場、手工芸品の工房などが軒を連ね、いろんな風景や臭いが入り混じるディープなエリアだ。

こんな狭い路地の制限速度が80キロにされている!

マリーナさんの「心得」を守ってリュックは前に抱え、カメラは撮るとき以外は中にしまって周囲に気を配りつつも、あちこち楽しく歩き回った。息子は手ぶら。奥さんは小ポシェット一つで身軽に街歩き中。


サン・グレゴリオ・アルメーノ教会の周辺はクリスマスが近づくとプレゼピオの市で賑わうそうだ。

ナポリの町の人気者 プルチネッラ Pulcinella
ナポリの街中、とりわけスパッカ・ナポリを歩いていると、いたるところで目にするのがこのプルチネッラの人形。等身大の大きいのから、ミニチュアの小さいのまで大きさはいろいろだが、どれも白のダボダボのコスチュームに身を包み、顔の上半分を覆う、黒くて鼻のとんがった仮面を着け、神妙な表情をしている。



プルチネッラはもう500年も前からナポリを象徴する町の人気キャラクターだ。元々はイタリアの伝統的な風刺劇に登場する道化師で、更にそれを遡る昔、ナポリ近郊のアチェッラという田舎町にいたお百姓が起源とも言われている。アチェッラにはこれを記念してプルチネッラ・ミュージアムなるものがある。

プルチネッラはナポリの町と人々の雰囲気にぴったりのキャラクターの持ち主だ。がさつで抜け目なくて、大酒飲みで大食漢で女好き。大声でわめいて大笑いする。どんなことにも顔を突っ込みちょっかいを出す。町のどこにでも神出鬼没。人々の良いこと悪いことをみんな見ていてそこらじゅうに言いふらす。でもどこかに憂いを秘め、寂しがりやで憎めない。

こんなプルチネッラは町の人々から親しまれ、なくてはならない存在となり、いつしかナポリの町の守護神とまで言われるようになった。観光資源として、実際プルチネッラはナポリに大いに貢献している。芝居はもちろん、映画もあり、ロシアの大作曲家ストラヴィンスキーによってバレエ音楽にも仕立てられた。

プルチネッラ人形はおみやげグッズとしてナポリでロングセラーを続けている。僕も最初にナポリを訪れたとき一つ買い、そろそろこいつに友達も欲しくなったので今回もう一人連れて帰った。

洗濯物がはためく風景はナポリの下町の風物詩だが、ディスプレイのように「見せる」ことを意識した乾し方の洗濯物も多い。これなんてまさにそれ!


スパッカ・ナポリには至るところに教会があって外観も様々だが、中でも異彩を放つのが「骸骨寺」とも呼ばれるピリガトリオ・アダルコ。

17世紀に死者信仰が流行したときに建てられた教会とかで、入口ではこんな髑髏が出迎えてくれる。内部のカタコンベにはホンモノの骸骨がぎっしり並べられているらしいが、午後は閉まっている。


そんなおどろおどろしい教会があったと思えば、下町の薄汚れた建物の只中に、こんな美しいファサードを持つ教会が建っている。これは17世紀に建てられたジロラミーニ教会(Chiesa dei Girolamini)。中には絵画館がある。


スパッカ・ナポリ地区の西の外れのベッリーニ広場(Piazza Bellini)までやってきた。緑が多く、周囲には大きな建物が増え、シャレた感じのカフェもあったりして、下町というよりどこか洗練された雰囲気も漂う。ここに建つのは、「ノルマ」や「清教徒」などのオペラで名高い作曲家ベッリーニの像。


その場所の地面には遺跡の発掘現場のような光景が。これは、古代ギリシャ・ローマ時代に築かれた城壁の遺跡。ナポリでこうして露天掘りの形で遺跡を見れる場所は珍しい。


トレド通りからプレビシート広場へ Alla Pizza Plebiscito dalla via Toledo
ベッリーニ広場からスパッカ・ナポリを離れて、ナポリの町を南北に走る目抜き通り、トレド通り(Via Toledo)に入る。トレド通りの北側は、この半円形の広々としたダンテ広場(Piazza Dante)から始まる。ナポリでも指折りの名高い広場だ。中央には「イタリア語の父」と称されるダンテの像が建つ。背後の赤茶色の建物は1625年に造られたアルバ門。アーチ型のシンメトリーな姿が美しい。


ダンテ広場には地下鉄の駅もあるが、自分たちの足でナポリの街歩きを続行。トレド通りを南へ進む。

トレド通りはナポリ市内でも指折りのショッピングストリート。スパッカ・ナポリの下町のごちゃごちゃした雰囲気とは違って、広い通り沿いに並ぶお店は、建物も大きくておしゃれな感じ。

しかし、この通りのすぐ右側(西側)には、悪名高いスペイン人街が広がっている。ナポリを深く知ることができるとても面白い本、寺尾佐樹子著の「ナポリの街の物語」に、こんな記述がある。

「ナポリの街を愛するためにも、破ってはならない鉄則がある。「危険ゾーンには絶対に入るな!」
(中略)ナポリのチェントロ・ストーリコ(歴史地区)がやっかいなのは、危険地帯とすでに観光地化が進んでいる安全地帯がモザイクのように入り組み、隣り合わせになっていることだ。道を一本隔てただけで、天国と地獄。(中略)入ってみたいけれど絶対入ってはいけない地区の代表選手をいくつか紹介しよう。まずはクァルティエーリ・スパニョーリ(スペイン人街)。(後略)」

トレド通りを進みながら、いくつもある右へ折れる脇道を覗くと、丘の方へ伸びる小路が続いている。まさに安全地帯(トレド通り)と隣り合わせでスペイン人街がある。だけど、ちょっと覗いただけでは怪しい雰囲気は感じない。イタリアの小旗がたくさんはためき、「おいで(vieni!)」と誘いかけているようにも見える。

楽しそう!路地好きの僕としては正直かなり引かれる… だけど、「地球の歩き方」にも「路地には迷い込まず、トレド通りから見上げよう。」と書いてあるし、家族を連れて入って行くのはやっぱりやめとこう、と思いとどまった。

スペイン人街をやり過ごしてトレド通りを少し進めば、もうこの通りの南端のプレビシート広場(Piazza del Plebiscito)だ。

プレビシート広場はナポリで一番大きく、すぐ向かいの王宮をはじめ、周囲には歴史的建造物が目白押し。広場中央に建つ教会 サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂の両翼には柱がカーブを描いて並び立ち、バチカンのサン・ピエトロ寺院の眺めを思い起こさせる。


おおきな広場に人はまばら。観光馬車が走っていた。

この広場は、過去何世紀にも渡って民衆の祭典などに使われてきたが、1963年から30年もの間、駐車場にされていたという。1994年、再び広場は市民のために開放され、コンサートや見本市、展示会など、広場としての役割を演じるようになった。ここでエルトン・ジョン、ポール・マッカートニー、ホセ・カレラスなどのライブも行われた。大晦日にはライブと花火大会が開かれる。ナポリで一番なくてはならない広場だ。

プレビシート広場に来てぜひ見たかったのが、ここに建つサン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂。「地球の歩き方」に「ローマのパンテオンに似た…」と紹介されているのを読み、この旅の最後に訪れるローマのパンテオンとセットで見ておきたかった。

「大辞泉」によると、この聖堂は「ウィーン会議でブルボン家が両シチリア王に復位したことを記念して建てられた新古典様式の建物」ということで、1836年に完成したが、古代の様式を模した建築だ。

中に入ると、ドームの丸天井の中央の窓から射し込んだ陽光が、天井の一点を照らし、更に美しい連続模様に組まれた大理石の丸天井全体が淡い光に柔らかく包まれていた。薄暗い静寂な空間に浮かび上がったパラダイスのようで、息を呑む美しい眺め!丸天井の直径は34メートル、天井までの高さは53メートルある。

ナポリに来て外せないものはたくさんあるが、おいしいスイーツとコーヒー(もちろんエスプレッソ)もその一つ。プレビシート広場のすぐ右にある有名なカフェ・ガンブリヌス(Gran Caffè Gambrinus)に入った。

もう18年も前、初めてナポリを訪れたとき、マリーナさんの弟とその友達が、ナポリのホテルに着いたばかりの僕たち3人(まだ息子は生まれていない)を、車で夜のナポリの町に連れ出してくれた。見るもの聞くもの、みんなちょっとイっちゃってる感じの喧騒の町から、突然シックで豪華な王宮の間のようなこのお店に連れてこられ、ご馳走してもらった初体験のババ(Babá)という、ラム酒がしみたスイーツのおいしかったこと!今回も、そのババをカフェ・マッキアートと共にいただいた。ジュワーッと口の中に広がるラム酒が滲みたあま~くてフワフワのスポンジがなんとも言えない食感と味を運ぶ。その他、やはり南イタリアの銘菓・カンノーリもうまかった。


このカフェはナポリで、というかイタリアで一番古くて有名なお店で、日本のガイドにもたいてい載っている。創業は1860年。王宮もプレビシート広場もすぐ近くという立地のよさも手伝い、ガンプリヌスはたちまちナポリの人気カフェになり、王宮の御用達店にもなった由緒正しいカフェでもある。訪問者リストを開けば、オスカー・ワイルドやヘミングウェイ、哲学者のサルトルなんて名前も出てくる。最初に連れて来てもらったときは、そんな有名店だなんて知らなかった。

豪華なカフェ・ガンブリヌスのすぐ近くに、このカフェより30年後の1890年に完成した、これまた高級感漂うショッピングモール、ウンベルト1世のガッレーリア(Galleria Umberto I)がある。イタリアのガッレーリアといえば、ミラノのヴィットリオ・エヌマーレ2世のガレリアが有名で、18年前に初めてここを見たとき、ミラノのガレリアとそっくりだと思った。それもそのはず。ここは、それを模して造られたそうだ。

当時ヨーロッパ中で猛威を振るったコレラの流行のあと、荒廃した町の衛生状態を改善するためにローマで始まったプランの一環として、ここナポリにもこんなステキなショッピングモールができた。

それまで世界でも類を見ない大型の屋内ショッピングモールの一つとなったこのガレリアは、当時発達した鉄鋼技術の賜物。鉄で組まれたドーム状の丸屋根を中心に持つ構造にガラスがはめ込まれ、そこから太陽の光がいっぱい入って、屋内施設だけれどすごく明るい。これで、内部の建物の豪華なファサードが映え、床の大理石のモザイクも色鮮やかに浮かび上がる。


この辺りは重要な観光スポットがいくつもギュッと集まっている。ガレリアから目と鼻の先、ナポリ湾に面して聳えるのはヌオーヴォ城(Castel Nuovo)。5つの太い塔にがっちりと囲まれたこのお城は、堅牢な城塞のイメージがあるが、城塞と同時に王様が住む王宮の機能も備えている。

「ヌオーヴォ」とは、イタリア語で「新しい」の意味。この先にある卵城とカプアーノ城の後に造られたので「新」の名を冠している。1279年に工事が始まり、増築・改装が繰り返されてきた。


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今ではこのお城は美術館として使われていて、正面の大きな門から中庭まではタダで入ることができた。「ナポリのシンボル」と言われているそうだが、このデカさと貫禄は町のランドマークに相応しい。

サンタ・ルチーア! Santa Lucia!
さて、ナポリの街歩きはいよいよナポリ民謡にも出てくるサンタ・ルチーア地区だ。海岸に沿った「サンタルチア海岸通り」とも呼ばれているナザーリオ・サウロ通り(Via Nazario Sauro)を歩く。広々とした道に高級そうなホテルが建ち並び、観光客っぽい人たちが大勢散歩をし、海辺にたたずんでいる。

観光馬車やレジャー用のチャリンコもたくさん走っていて、リゾート気分いっぱい!歴史地区とはまた全然違ったナポリのもう一つの顔があった。そして、この散歩道では海の向こうに、ヴェズーヴィオ山がいつでも見えている。


ヴェズーヴィオ山は、あの古代ポンペイやエルコラーノを町ごと溶岩で埋め尽くし、今も活動を続ける火山。ナポリの風景の一部として欠かせない存在でもある。

西日を受けて照らされたヴェズーヴィオ山、海の色、空の色が、時間と共に刻々と変わっていく、絵のように美しい風景をまるごと眺めながらの海岸通りの散歩。「ナポリを見て死ね」の言葉を思い出した。そして思わず「サンタ~ル~チ~ア~♪」と気持ちよく歌ってしまった。


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海沿いの屋台でかき氷を食べたりしながら、ナザーリオ・サウロ通りから卵城(Castel dell'Ovo)を過ぎてパルテノーペ通りへ。振り返れば卵城が最後の夕日を浴びて海に浮かび上がっていた。この散歩道は眺めも最高だしホントに気持ちいい!明日、もう一回来てスケッチしたいな。それから、ヴェズーヴィオ山と海を眺めながら夕食ってのもいいな…!だけど、今夜はピザだ!



ヴィットリア広場まで海沿いを歩いて、そこから山側に入り、人に訊ねながら地下鉄のアメーデオ駅まで来てようやく長い長い散歩を終えた。疲れた~、腹へった~。。。

ピッツェリア「ディ・マッテオ」Pizzeria Di Matteo
ホテルの最寄駅のカヴールで地下鉄を降り、ホテルを通り過ぎてやってきたのは、マリーナさんが「ナポリのピッツェリアはどこもおいしいけど、その中でも一番はここ!」と教えてくれたスパッカ・ナポリのトリブナーリ通り沿いにあるディ・マッテオ。

ガイドにもたいてい載っているが、「8月の2週間は閉店」と書いてある。イタリアは、8月15日の祝日「聖母被昇天祭」を中心に、その前後で長く閉店するお店が多く、御多分に漏れずこのピッツェリアもそんな「休み組」の一つとあきらめていたのだが、ホテルのおねえちゃんが「今日もやってるわよ!おいしいわよ~!」と教えてくれたので、今夜はなんとしてもここでピザを食おう、と決めていた。

お店の前は、もう夜の9時になろうとしているのにすごい人だかり!テイクアウトはすぐできるみたいだったが、座るのは1時間待ちと言われた。だけどやっぱり中でゆっくり座って食べたい。お店の人に名前と人数を伝え、一旦ホテルに戻った。

ホテルはお店から5分の距離。「ナポリで一番」のピッツェリアがホテルからこんな近いのはラッキーだった。シャワーを浴びて一休みして再びお店に。それでもそこでさらに30分待たされ、ようやく2階の席に案内された。小ぎれいで質素な食堂風。クーラーがきいててホッとした。

僕と息子は、ナポリが発祥と言われる定番のマルゲリータ! これまでの人生で食べたピザの中で最高と言っていいほどの、天にも昇るおいしさだった
しかもこの大きさで3ユーロ。外食は決して安くはないヨーロッパで、この値段でこんなうまいものが食べられるなんて、やっぱりイタリアは「食(mangiare)」の国だ!


ディ・マッテオのピッツァ・マルゲリータは冷めてもおいしかった。このピッツェリーアの歴史は古く、創業1936年。アメリカ大統領だったビル・クリントンも訪れたそうで、お店には写真が飾られていた。ところで、お店の外には「8月も無休で毎日営業します」という手書きの張り紙を見つけた。


最高のピザでナポリの1日目を大満足で締めた。

途方もないスケールと造形美 カゼルタの王宮庭園
イタリアを凝縮 ディープなナポリの街歩き ~その2~
レモンが実るリゾートの町、ソレントでアグリトゥーリズモ初体験
ヴェッセリング→ダルムシュタット ~ユーゲントシュティルの町~
ヨーロッパ家族旅行2010

【参考にした主なサイト】(ドイツ語)
ナポリ ~ヴィヴァ-イタリア~
ナポリを見る、ナポリがわかる~

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