毛唐もすなるブログといふものを

日本男児もしてみむとてするなり

道路公団民営化~すべての改革は株主様の利益に通ず

2005-09-29 17:51:48 | 改革狂騒曲
いよいよ道路4公団が民営化されます。この民営化については散々論じられてきましたが、わたしはどうも腑に落ちないことが多い。いや多過ぎる。何か裏があるように思えてなりません。そもそも道路4公団についてマスコミ等で流布されてきたイメージにはおかしなものが多過ぎる。「40兆円もの借金があって云々」というのがその代表例です。わたしも当初は「これは大変だ!」とおもっていました。しかしある日ふと目にした番組に出ていた人が「道路公団とは儲けるための組織ではなく、つまるところ借金を返すための組織であって借金があるのが当たり前」と言ったのを聞き目から鱗でした。なるほど、借金の額のみを殊更強調するのは公平ではないと感じたわけです。わたしはそれ以来、マスコミ等で流布される情報には眉につばを付けて接するようにして来ました。

思い起こせば、日本道路公団等の道路関係の特殊法人は税収の乏しかった時期に、戦後復興、経済発展のための道路建設促進を主たる目的として設立されたものだったように記憶します。道路は無料が原則であり、料金を徴収するのは例外だったはずです。しかし元々日本の社会インフラの整備は欧米先進国に比して相当遅れており、限られた国家財政の中でこの原則を維持すると道路建設は遅々として進まず、日本がこれら欧米先進諸国に対抗して高度成長を遂げる足枷となることは明白でした。高度成長期を支えるためには物流の大動脈となりつつあった道路の建設を積極的に推進することが欠かせなかったのです。そこで、道路公団等による大々的な道路建設が始まったわけです。したがって、道路公団等が有料で道路建設を行い料金を徴収することは、「復興、経済発展を維持する」という目的において許されるのが原則のはずです。

しかし、現在の道路建設は「過疎地にも道路を」といった具合に、「国土の均衡ある発展」という目的でなされています。「国土の均衡ある発展」のための道路であれば、原則に戻って税金で作り無料で通行できるようにするべきです。仮に通行料金を徴収するにせよそれは維持管理費相当額に限られるべきです。「復興、経済発展の維持」という道路公団等の有料道路建設の本来の目的からすれば、そうすべきです。そう考えれば、少なくとも日本道路公団は既にその目的を達した公団であり、新規路線の着工は中止して借金を返済し次第清算し解散するのが筋ということになります。仮に道路公団が借金を返せないというのなら、それこそ国債を40兆円発行して完全国有化して無料解放すればいいのではないか。それが国民の利益にかなうのではないか。道路という公共財の性質上そうすることが筋ではないか。それを何故に民営化して半永久的に組織を存続させようとするのか、半永久的に通行料金を徴収し続ける枠組みに移行しようとするのか。どういう裏があるのでしょうか。疑いたくもなります。

民営化推進派はこう言うのでしょう。「民営化しない限り道路新規着工は止まらないし、道路公団は債務超過であってこのままでは国民負担は増えるばかりだ」とか何とかと。しかし当たり前ですが民営化はすべてを解決する「魔法の杖」ではありません。民営化するということは「特殊法人」から「営利社団法人」になるということです。「(建前にせよ)公益を追求する組織」から「私益(≒株主の利益)を追求する組織」に変わるということです。道路というのは本来誰もが利用できる公共財であり、無料で通行できるのが原則ということに異論は少ないでしょう。そういう公共財、しかも国民の負担の上に建設された国民の共有財産を民営化の名の下に株式会社化し、将来借金を返し終わった暁にも無料解放せず、株主の利益を追求する組織のものとすることは、短期的な国民負担は減るように見えてその実半永久的に国民負担を強いるものではないでしょうか。民営化しないと借金は返せないかの如き印象を政府やマスコミは振りまいていますが本当にそうなのか。民営化しないと新規路線着工は止められないという印象を振りまいているが本当にそうなのか。先ずそこが徹底的に問われねばならないし、仮に返せないとしても次ぎに株式会社化の是非が別途問題にならねばならないはずです。しかし、そういう検討はほとんど行われませんでした。

民営化推進派は道路族の抵抗で民営化は中途半端に終わり、新規着工を阻止できない枠組みになってしまったと言います。それは事実です。無駄を垂れ流す道路族(首魁=古賀誠=人権擁護法案推進派の首魁でもある)は成敗せねばなりません。しかし、自由民主主義を採用するからには社会の様々な利害の調整は原則として議員の立法行為によりなされねばなりません。そうであれば道路族そのものを全滅させるのは官僚主義に道を通じており健全ではありません。道路公団民営化が上下分離になったことを民営化推進派は非難します。確かに、財務省・国土交通省連合軍という「官の抵抗」でそういう結果になったのでしょうが、結果から見れば、日本国民の利益はギリギリのところで守られたようにわたしにはおもえます。なぜなら、国民の共有財産であり日本の公共財である道路資産は国有のまま残るからです。かなうことなら道路特定財源を道路公団等の借金返済につぎ込み返済し、株式売却前に無料解放してもらいたい。

わたしは、小泉改革の正体は、国民の負担の上に築かれた共有財産を、「特殊法人改革」や「小さな政府」というスローガンのもと、株式化して市場に放り込むことだとおもいます。早い話が明治末期の官有財産の払い下げのようなものです。当時も首尾よく官有財産の払い下げを受けた者は大儲けをしました。三菱などその典型でしょう。その当時は一から近代産業を育成する必要があったので、官有企業の払い下げはそれなりの合理性もあったようにおもいますが、現在行われようとしている払い下げに合理性はあるのでしょうか。国民の共有財産を株式市場に放り込み、株主の利益を追求する企業に変えてしまうには、そうすることの合理性が厳しく問われねばなりません。しかし、現在は「民営化=善」という、わたしに言わせれば幻想のもと、民営化の合理性をほとんど問われず、国民の共有財産がどんどん株式市場に放り込まれようとしています。本当にこれでいいのでしょうか。グローバル化が席巻する現在の市場における株式会社の行動原理は「株主利益の追求」です。そして現在の日米の株価の差を考えれば、米資は相当の安値で株式会社化された日本国民の共有財産を取得できるのです。もちろん村上ファンドや堀江のような連中も取得に走るでしょう。そうして株主になれた者が本来国民全体が受けるべき利益を山分けする結果となるのではないでしょうか。

すべての改革は株主様の利益に通ず。