毛唐もすなるブログといふものを

日本男児もしてみむとてするなり

米国から見た日本

2005-09-25 00:43:11 | 改革狂騒曲
他人の目に自分がどのように映るかを想像する力は人間関係構築の基本的要素です。わたしも日々その力を磨こうと切磋琢磨する夢を見るのですがなかなか現実のものとはなりません。

突然、なにゆえこのようなことを言い出したかというと先ごろの選挙が切っ掛けです。比較的身近な中年女性(既婚・子供も既婚)が「わたしも候補者にホリエモンがいれば入れるのに」と言ったのにおどろいたからです。彼女のダンナさんは中企業に勤める普通のサラリーマンで特別豊かな生活をしているわけではありません。日々慎ましやかに暮らしているごく普通の人です。わたしは彼女に聞きました。「あなたのような普通の人はホリエモンの目にどのように映ってるのか考えたことありますか?」と。彼女はきょとんとした顔をして「さあ」と言うばかりでした。

わたしが想像するに彼女のような人はホリエの目には「いくらでも代えのきく働き手」「頭の悪いバカで現代の奴隷階級のような連中」。そんなところではないでしょうか。端的に言えば収奪の対象であり物同様の存在に過ぎないはずです。「女のこころは金で買える」と言ったのは受け狙いというよりこの人物の本心ではないかとわたしは想像します。わたしはそのようなことをこの女性に申し上げました。それでも反応は鈍くわたしが何を言わんとするのかを分かりかねる様子でした。つくづく変な世の中だとおもいます。

で、今日のお題です。米国からわが日本国はどのように映るのでしょうか。この場合指導者層の目にどのように映るかが問題です。多分「沢山の貯蓄をもち、国民は欧米に比較すれば羊のようにおとなしく、物作りの技術力をもつ企業が多く、ユーラシア大陸を東に位置する戦力上重要拠点」。そんな感じではないでしょうか。米国は当然自らの国益のために行動しますからうかうかしていると米国は日本から自分の欲しいものをどんどん奪い去ってしまうでしょう。冷戦終了後10年を経てその流れは急であるようにわたしにはおもわれます。郵政民営化で貯蓄を、三角合併を可能にする商法の大改正で金と技術力を持ち去ろうとしているのではないかと懸念します。経済力と技術力を収奪された後に米国から見て残る日本の価値は安定的奴隷労働力の供給基地とその戦略的位置くらいかもしれません。そうならないように米国の目に映るであろう日本の姿にもう少し想像力を働かせるべきではなかろうかとおもう次第です。


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