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日本男児もしてみむとてするなり

いわゆる『造反議員』に対する掃討戦~野田聖子は予想通り降伏

2005-10-09 17:34:50 | 改革狂騒曲
※ 政治資金 この改正はあんまりだ《アサヒ》

※ 野田聖子氏も法案賛成へ 「反対の政治主張、完敗」《KYODO》

法律というものは運用してみて不都合があれば改正されなければなりません。自民党執行部は、いわゆる『造反議員』の方に付いた政党支部(県連など)を解散させようとして、はたと法律の不都合性に気付いたというわけです。確かに、自民党執行部からすれば現行の政治資金規正法は不都合に違いありません。しかし、政党中心の政治運営が認められる根拠は、現代の自由民主主義運営にとって好ましいという点に求められていたはずです。つまり、日本の自由民主主義を維持・促進することが目的であり、政党本位の政治運営は手段ということです。そうであれば、政治資金規正法の改正は日本の自由民主主義にとって好ましいものなのかどうかという視点を離れて論じ得ないことになります。

この度の郵政民営化審議の過程で明らかになったことは、我が国における党内民主主義の未熟だとわたしはおもいます。党内手続きを無視して強引に党内手続きを打ち切った手法(「小泉龍司HP」の項目8参照)はこのこと、そしてその後の展開はそのことを如実に示しています。首相が解散権を、首相の意を受けた執行部が公認権をちらつかせて議員の法案への意見を変えさせるなど自由民主主義を標榜する政党であってはならないことです。議論を通じて意見を集約し、多数決で決まったことには従うのが自由民主主義の基本です。議論で敗れた(意見を変えさせられなかった)から、力ずくで変えさせるなどもっての外です。

もっとも、民意はそういう手法を問わなかったように見えます。しかし、そもそもそういった手法がとられたことがほとんど報道されなかったため、国民はそのことを知らないで投票したのだから、民意によって手続無視を正当化することはできないはずです。そして、それ以上に『手続き無視』そのものがもっと問題にされなければなりません。自由民主主義の核心は『手続き』だと考えるからです。その時々の民意も重要ですが、民意は往々にして誤るものだということは歴史が示す通りです。ナチスが民意によって全権を掌握したのがその典型でしょう。民意を重視するのは民主主義的ではありますが、日本の民主主義は『自由民主主義』ですから、民主主義的だといって思考を停止するわけにはいけません。そして民意の誤りを抑制するのが手続きです。そういえば人権の歴史も手続保障の歴史だとよく言われます。人治ではなく法治とは手続きを重視することです。また、魔女狩り裁判は許されず法に基づく裁判により個人の自由を守るという考えも、『手続き』が個人の自由の核心ということを示しています。

今回の自民党内における手続き無視は、党内における自由で民主的な手続きが全く機能しなくなったことを意味します。こういう場合、党内における権限の分散を図らねばなりません。それなのに、権限集中を図る政治資金規正法の改正には反対です。アサヒの社説のタイトルを見て、恥ずかしながらわたしはアサヒが自分と同じことを言っているのと勘違いしました。人民民主主義派のアサヒがそんなことを書くはずがないのに。読んでみると、何てことはない。自民党案より一層党本部への権限集中を図るべきということだそうです。

それはともかく、議論に基づく多数決を否定する自民党に最早「自由民主」を語る資格はありません。皆が執行部の指導に従う「人民民主党」と党名を変更すべきです。議員を単なる数だとするのは人民民主主義です。そういえば小泉チルドレンどもが所信表明演説で殊更立って拍手していたのは支那や北朝鮮等の人民民主主義国家の議会を髣髴とさせました。そんな中で、かねてより予想されていたこととはいえ野田聖子があっさり寝返りました。危うし、日本の自由民主主義。

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