いまから20年ほど前のPR映像の世界はまさに下剋上の時代に突入し、
価格競争に負けた古い体質の老舗フィルム会社は次々と撤退し、
増えすぎた新生プロダクションも行き詰まりを見せ始めていた。
そんな中で新たな活路として「出販ビデオ」に賭ける
プロダクションも出てきた。
これまではスポンサーから受注され制作していたので、
低予算といえども完成後にはまとまったお金が保証されていた。
対して「出販ビデオ」は自社で資金調達し、販売して回収する。
資金調達は何千万円にもなるが、入金は数万円ずつしか入ってこないので
本当の賭けである。それでも己の勘を信じて
自宅を抵当に入れて制作するプロデューサーが出てきた。
自称売れっ子監督の私も、そういうプロデューサーと仕事をする事になる。
とはいえ販売の当てのないものを作ってもしかたない。
何かしらの販路があって制作に踏み切る。
その頃のプロデューサーは今のプロデューサーと違い
「儲かるならええかげんでもいい」というような不埒なヤツは少なく、
「なんとかいいものを作りたい」という情熱家がほとんどだった。
私は監督だからやはりいいものを作りたい一心で
追加オーダーをお願いする事もあったが、
こちらも非常な覚悟を持ってお願いしなければ
覚悟してプロデュ―サーは大枚をはたいているので失礼になる。

そんな中でも成功事例はある。
日本映画新社・大阪支社次長の米虫 進氏が、
退社後立ち上げた㈱アドボックで制作した「警備員教育ビデオ全5巻」。
売価は記憶にないが十万円は超えていたと思う。
不景気が始まりだし、タクシーの乗務員か、警備員に転職する人が増え、
警備会社も増えていたが、採用した人をしっかりと教育して
優秀な警備員として企業に出さないと信用が勝ち取れなくなっていた。
そこをついて「警備員教育ビデオ全5巻」を警備業界という限定市場に
出そうという企画である。
ビデオは石丸 博也氏(ジャッキーチェンの声優)が
進行役を務めるドラマ仕立てになっている。

(右から私と牧 逸郎カメラマン)
このドラマ部分は、関西芸術座の役者総出で、主役の警備員役には
多々納 斉氏(多々納の相方に他のプロダクションから出演いただいた
若手俳優がもう1名いたが、ごめんなさい名前を忘れました)を起用、
コソ泥役に北見 唯一氏、多々納の上司役に山本 弘氏、亀井 健二氏、
門田 裕氏など層々たる顔ぶれである。
その他にも五期会など関西の主だった役者が総出演だった。
5本セットのこのビデオの脚本は私の先輩に当たる松下 裕治監督が
担当し、演出は松下監督が3本を、私が2本を監督した。
例によって私は、進行役の石丸氏のコメントをバンバン変えた。
松下監督はドラマ部分に力を注ぎすぎ、石丸氏がまとめる警備業法など
難しい話は石丸氏のスタジオ撮影の前夜に私に任せた。
それまでドラマ部分の撮影に追われていた事もあり、松下監督も
石丸氏の台本にまで手が回らない状態だった。
このような無理難題はよくある話で、
下の者は「ご下命いかにでも果たすべし」なのだ。
しかたがないので松下監督とホテルに泊まり、つじつまの合わないコメントや
用語の洗い直しを行なって、撮影に挑んだ。
石丸氏は暗記が苦手なタイプで急に変った台本に手を焼いたが、
苦難に立ち向かっても笑顔のジャッキーチェンのように何とか乗り切った。
撮影はオフィスキネテックで仲間の牧 逸郎カメラマンが担当した。
層々たる役者に負けないようスタッフもなかなかの布陣で挑んだので、
出来は言うまでもないが、販路がしっかりしていた事もあり
元は回収できたと聞いている。

(ヤマト映像企画㈱制作の
「洛南高校の奇跡を生んだ三浦俊良の体当たり教育」ビデオ)
もう一例はヤマト映像企画㈱制作(藤野 武弘プロデューサー)の
「洛南高校の奇跡を生んだ三浦俊良の体当たり教育」ビデオ。
三浦 俊良氏は元洛南高校・洛南高校付属中学校校長で
退職後、成基学園顧問に。
どうしようもないゴンタレ高校の東寺高校を立て直し、
洛南高校として進学校に導いた人物で、東寺の僧侶でもある師は、
主に道徳教育で高校の立て直しを図って成功した人物である。
退職後は、京都を拠点とする進学塾・成基学園顧問として、
塾で道徳教育をしている。
この作品は私と三浦氏の対談を主として納めたドキュメンタリー作品である。
撮影は河西 秀樹氏。照明は西田 忠昭氏、語りは林 順子氏を起用した。
また音楽は、足立美術館オリジナルCD組曲「四季の夢」を山城 日出男氏が
編集してあててくれた。
価格は税込み1本3800円と安価にもかかわらず、
OBCミュージックセンターが販売元になってくれた事もあり
トントンという販売実績になったと聞く。

(友情出演の由美 かおるさんと三浦 俊良氏)
この他にも私は販売ビデオの監督を数本受けているが、
トントンが多かった。というのも当時は無茶はせず
販売元を決めたり、ある程度読める販路がある場合に限り
プロデューサーが身銭を切って挑戦したからだ(さすが大阪人!)。
素晴らしいチャレンジであるが、しかし仮に1本当たっても
一生遊んで暮らせるほど儲かるわけではないので、
2本目がこけて3本目以降は制作中断となってしまった例が多い。

(撮影スタッフの後方で
遠慮がちにモニターを見る藤野プロデューサー<後方左端>)
現在はどうなんだろうか?制作プロダクションばかりでなく、編集スタジオ、
録音スタジオ、撮影スタジオ、機材のレンタル会社に至るまで閉鎖が続き、
大阪の映像業界は風前の灯である。多くの社員を抱えていた会社も人員整理され
1~2人で行っているプロダクションも多い。
そんなわけで一条の光だった「出販ビデオ」も
現在では制作本数もガタ減りだと思う。
それでも俺たちはあきらめない!進む!ワイルドだろ!!
価格競争に負けた古い体質の老舗フィルム会社は次々と撤退し、
増えすぎた新生プロダクションも行き詰まりを見せ始めていた。
そんな中で新たな活路として「出販ビデオ」に賭ける
プロダクションも出てきた。
これまではスポンサーから受注され制作していたので、
低予算といえども完成後にはまとまったお金が保証されていた。
対して「出販ビデオ」は自社で資金調達し、販売して回収する。
資金調達は何千万円にもなるが、入金は数万円ずつしか入ってこないので
本当の賭けである。それでも己の勘を信じて
自宅を抵当に入れて制作するプロデューサーが出てきた。
自称売れっ子監督の私も、そういうプロデューサーと仕事をする事になる。
とはいえ販売の当てのないものを作ってもしかたない。
何かしらの販路があって制作に踏み切る。
その頃のプロデューサーは今のプロデューサーと違い
「儲かるならええかげんでもいい」というような不埒なヤツは少なく、
「なんとかいいものを作りたい」という情熱家がほとんどだった。
私は監督だからやはりいいものを作りたい一心で
追加オーダーをお願いする事もあったが、
こちらも非常な覚悟を持ってお願いしなければ
覚悟してプロデュ―サーは大枚をはたいているので失礼になる。

そんな中でも成功事例はある。
日本映画新社・大阪支社次長の米虫 進氏が、
退社後立ち上げた㈱アドボックで制作した「警備員教育ビデオ全5巻」。
売価は記憶にないが十万円は超えていたと思う。
不景気が始まりだし、タクシーの乗務員か、警備員に転職する人が増え、
警備会社も増えていたが、採用した人をしっかりと教育して
優秀な警備員として企業に出さないと信用が勝ち取れなくなっていた。
そこをついて「警備員教育ビデオ全5巻」を警備業界という限定市場に
出そうという企画である。
ビデオは石丸 博也氏(ジャッキーチェンの声優)が
進行役を務めるドラマ仕立てになっている。

(右から私と牧 逸郎カメラマン)
このドラマ部分は、関西芸術座の役者総出で、主役の警備員役には
多々納 斉氏(多々納の相方に他のプロダクションから出演いただいた
若手俳優がもう1名いたが、ごめんなさい名前を忘れました)を起用、
コソ泥役に北見 唯一氏、多々納の上司役に山本 弘氏、亀井 健二氏、
門田 裕氏など層々たる顔ぶれである。
その他にも五期会など関西の主だった役者が総出演だった。
5本セットのこのビデオの脚本は私の先輩に当たる松下 裕治監督が
担当し、演出は松下監督が3本を、私が2本を監督した。
例によって私は、進行役の石丸氏のコメントをバンバン変えた。
松下監督はドラマ部分に力を注ぎすぎ、石丸氏がまとめる警備業法など
難しい話は石丸氏のスタジオ撮影の前夜に私に任せた。
それまでドラマ部分の撮影に追われていた事もあり、松下監督も
石丸氏の台本にまで手が回らない状態だった。
このような無理難題はよくある話で、
下の者は「ご下命いかにでも果たすべし」なのだ。
しかたがないので松下監督とホテルに泊まり、つじつまの合わないコメントや
用語の洗い直しを行なって、撮影に挑んだ。
石丸氏は暗記が苦手なタイプで急に変った台本に手を焼いたが、
苦難に立ち向かっても笑顔のジャッキーチェンのように何とか乗り切った。
撮影はオフィスキネテックで仲間の牧 逸郎カメラマンが担当した。
層々たる役者に負けないようスタッフもなかなかの布陣で挑んだので、
出来は言うまでもないが、販路がしっかりしていた事もあり
元は回収できたと聞いている。

(ヤマト映像企画㈱制作の
「洛南高校の奇跡を生んだ三浦俊良の体当たり教育」ビデオ)
もう一例はヤマト映像企画㈱制作(藤野 武弘プロデューサー)の
「洛南高校の奇跡を生んだ三浦俊良の体当たり教育」ビデオ。
三浦 俊良氏は元洛南高校・洛南高校付属中学校校長で
退職後、成基学園顧問に。
どうしようもないゴンタレ高校の東寺高校を立て直し、
洛南高校として進学校に導いた人物で、東寺の僧侶でもある師は、
主に道徳教育で高校の立て直しを図って成功した人物である。
退職後は、京都を拠点とする進学塾・成基学園顧問として、
塾で道徳教育をしている。
この作品は私と三浦氏の対談を主として納めたドキュメンタリー作品である。
撮影は河西 秀樹氏。照明は西田 忠昭氏、語りは林 順子氏を起用した。
また音楽は、足立美術館オリジナルCD組曲「四季の夢」を山城 日出男氏が
編集してあててくれた。
価格は税込み1本3800円と安価にもかかわらず、
OBCミュージックセンターが販売元になってくれた事もあり
トントンという販売実績になったと聞く。

(友情出演の由美 かおるさんと三浦 俊良氏)
この他にも私は販売ビデオの監督を数本受けているが、
トントンが多かった。というのも当時は無茶はせず
販売元を決めたり、ある程度読める販路がある場合に限り
プロデューサーが身銭を切って挑戦したからだ(さすが大阪人!)。
素晴らしいチャレンジであるが、しかし仮に1本当たっても
一生遊んで暮らせるほど儲かるわけではないので、
2本目がこけて3本目以降は制作中断となってしまった例が多い。

(撮影スタッフの後方で
遠慮がちにモニターを見る藤野プロデューサー<後方左端>)
現在はどうなんだろうか?制作プロダクションばかりでなく、編集スタジオ、
録音スタジオ、撮影スタジオ、機材のレンタル会社に至るまで閉鎖が続き、
大阪の映像業界は風前の灯である。多くの社員を抱えていた会社も人員整理され
1~2人で行っているプロダクションも多い。
そんなわけで一条の光だった「出販ビデオ」も
現在では制作本数もガタ減りだと思う。
それでも俺たちはあきらめない!進む!ワイルドだろ!!
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