株式会社プランシードのブログ

株式会社プランシードの社長と社員によるブログです。
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その218.20年振り、かって共に闘った戦友とふたたび(3の1)

2015-04-10 06:14:19 | 制作会社社長の憂い漫遊記
以前、私はこのブログに
「私が選ぶ大阪の三大録音マン」を記した。
ガリレオクラブ・吉田一郎氏、
スタジオマックス増南正氏、
サウンドシード山城日出男氏の三氏だ。
私を含め、脂の乗りきった30~40代はとうに過ぎ
今では皆さん、歳を取ってしまった。
そんな折、再びスタジオマックス・増南氏と
仕事をする機会を得た。

そもそもドキュメンタリー系を好みとする私は
サウンドシード・山城氏と組むことが多いのだが、
今回はアニメーションの仕事とあって
増南氏を指名することにした。
かれこれ20年振りになる。
当時フォーカスという映像制作会社が、
オーレックという録音スタジオを使っていた。
いずれの会社も今は無いが、
当時、増南氏はオーレックの看板録音マンだった。


▲かれこれ20年前、オーレック時代の増南氏(左から2人目)と
 私(右から2人目)
 左端には田中カメラマン(当時は録音にカメラマンも立ち会った)
  
その後、増南氏は一念発起独立して
スタジオマックスを立ち上げた。
それを期に、私を使う制作会社のいくつかは、
オーレックからスタジオマックスに乗り換えた。
そんなこんなで、私のフリー時代に携わった作品には
増南氏が録音を担当している作品もけっこう多かった。
いわゆるVPといわれる、主に新製品を説明するための
10~20分位の紹介ビデオ作品で、
増南氏はコジャレた選曲をしつつ、
時には電子ピアノを操って作曲までこなす
マルチ録音マンだった。
車やAV機器、高級マンションなど
販売価格が高い=制作費が比較的潤沢な作品に
増南氏は力を発揮していた。
私はフリーになって数年で、商品PR作品には飽きてしまい、
代わって人を追いかけるドキュメンタリー系に
面白さを見いだしていた。
そのため益々、増南氏と組むことが少なくなっていった。


▲制作会社・フォーカスで私が監督をし増南氏が録音を担当した作品たち

私もフリー10年を経て会社を起したが、
映像監督を生業としていたにも関わらず、
映像制作に対するこだわりを全くと言ってよいほど
持ち合わせていなかったので、
創業期は映像制作部門の売上を事業の半分にして、
なんとか印刷物制作やイベント運営などを
映像制作に変わる柱にできないかと
悪戦苦闘・四苦八苦していた。
当然のことながら、映像にコジャレた音をつける
増南氏との仕事は全くなくなってしまった。
それでも今回の様な仕事を企画したら、
迷わず増南氏を指名するあたり、
過去の増南氏の仕事振りに全幅の信頼を置いているからだ。

電話ではラチがあかないのと、
20年振りの増南氏の容姿の変化を見たい気持ちが強まり、
4月にない急な寒さの中、スタジオに向かった。
第1回目の打合せでの氏の印象。
「若いカッコはしているが、老けた~(お互いな!)」

アニメーションを作る場合、
出来上がったアニメーションにアフレコをする方法と、
先に声優のセリフを取り、それに合わせて絵を作り込む
2つの方法がある。
今回、演出兼プロデューサーの私が選んだのは後者の方法だ。
そのあたりの事情についてや、
増南氏とのワークについてはまた
4月23日の声優部分の録音が終わってからお話ししよう。
つづく・・・乞うご期待!

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