今年最初の出張は京都。
なんと月曜からの連泊で、3泊4日の長丁場。
しかし、その後の金曜は代休をもらう。
とはいえ、仕事がらみの案件なのだが・・・
ここ数年盆暮れ以外取ることのなかった3連休だ。
まぁ昨年末も31日まで働き、
年始は4日からだから良いんじゃねー。
とお楽しみは後にして、まずはお仕事お仕事。
今回の京都出張は、創業以来毎年頂いている
弊社の最も大きなイベント仕事。
ブースの企画・設計から建て込み、装飾デザイン、
映像を含むショーの演出、そのための映像制作や
展示パネルデザイン、展示品のレイアウトに至るまで
日頃弊社が行なう業務のオンパレ、集大成といえる。
このイベントへの関わりも、最初は映像制作だけだったが
次第にショーの演出、セットの設計・施工にまでいただき
私は演出からプロデュースへと役割を替えていき、裏方となった。
現場で私に掛けられる呼び名も「監督」から「P」
さらに「社長」となり、最近はごった返す搬入車両の「誘導責任者」
カイロや雨具の「買い出し要員」へと出世街道をまっしぐら。
しかし、ここ1~2年、
私の本業である映像演出がポツポツできるようになり
この会場の様々なブースで流れる映像は、
紛れもなく私が現場で這いずり回り、
早朝(丑三つ時)出社で何時間もかけて編集した作品達だ。
かって大阪で映像のフリー集団「オフィスキネティック」で
20代の若造監督だった頃、
その監督作品の0号試写で同志達は口を揃えて
「多田君は監督ではなくプロデューサー向きだ」
と言われ悔しい思いをしたが、
自分で会社を起こすと若手社員を育てるため
プロデュース業をするしかなく、
以来その道を進むことになる。
阪神淡路大震災で被災者となりヤケクソで起業したが、
社員が育ち、ようやくやりたいことができるようになってきた。
昨年も秋~冬にかけて取材巡業を敢行、
その後すぐの丑三つ編集作業と、激烈ではあったが、
喉元過ぎれば「今年も現場に行きて~」。
社長となった今でも、
25歳でフリー映像監督となった根っ子魂が燻っている。
振り替えればやりたい仕事を全うできる自分は幸せ者だ。
私的には妻や子供達、社長になってからは
社員とその家族達に振り回されてきたが、
それでも好きな仕事を今でも続けられている。
己の能力に対する自己嫌悪の繰り返しではあったが、
ストレスはない。
ただ売上・業績には今でも心労を積み重ねており、
それでも現場に出られるのでその時だけは忘れられる。
今でも「俺から仕事を奪わないでくれ」と
行きつけの居酒屋で何度も叫んでいるが、
叫ぶと何となく仕事がやってきて、
青色吐息ながら続けていられる。
あわよくばもっと儲けたいところだが、
弊社は「大病院ではなく町医者、掛かりつけ医」を
めざしているので致し方なし。
さぁてこの4日間、最高のイベントにすべく旗振りに徹する。
イベントに来ていただいたお客さまにもハッキリ見える大漁旗を。
4日間、事故なきよう
大学時代の友人がデザインした「一ノ蔵」で身を清める。
「ご安全に」。
なんと月曜からの連泊で、3泊4日の長丁場。
しかし、その後の金曜は代休をもらう。
とはいえ、仕事がらみの案件なのだが・・・
ここ数年盆暮れ以外取ることのなかった3連休だ。
まぁ昨年末も31日まで働き、
年始は4日からだから良いんじゃねー。
とお楽しみは後にして、まずはお仕事お仕事。
今回の京都出張は、創業以来毎年頂いている
弊社の最も大きなイベント仕事。
ブースの企画・設計から建て込み、装飾デザイン、
映像を含むショーの演出、そのための映像制作や
展示パネルデザイン、展示品のレイアウトに至るまで
日頃弊社が行なう業務のオンパレ、集大成といえる。
このイベントへの関わりも、最初は映像制作だけだったが
次第にショーの演出、セットの設計・施工にまでいただき
私は演出からプロデュースへと役割を替えていき、裏方となった。
現場で私に掛けられる呼び名も「監督」から「P」
さらに「社長」となり、最近はごった返す搬入車両の「誘導責任者」
カイロや雨具の「買い出し要員」へと出世街道をまっしぐら。
しかし、ここ1~2年、
私の本業である映像演出がポツポツできるようになり
この会場の様々なブースで流れる映像は、
紛れもなく私が現場で這いずり回り、
早朝(丑三つ時)出社で何時間もかけて編集した作品達だ。
かって大阪で映像のフリー集団「オフィスキネティック」で
20代の若造監督だった頃、
その監督作品の0号試写で同志達は口を揃えて
「多田君は監督ではなくプロデューサー向きだ」
と言われ悔しい思いをしたが、
自分で会社を起こすと若手社員を育てるため
プロデュース業をするしかなく、
以来その道を進むことになる。
阪神淡路大震災で被災者となりヤケクソで起業したが、
社員が育ち、ようやくやりたいことができるようになってきた。
昨年も秋~冬にかけて取材巡業を敢行、
その後すぐの丑三つ編集作業と、激烈ではあったが、
喉元過ぎれば「今年も現場に行きて~」。
社長となった今でも、
25歳でフリー映像監督となった根っ子魂が燻っている。
振り替えればやりたい仕事を全うできる自分は幸せ者だ。
私的には妻や子供達、社長になってからは
社員とその家族達に振り回されてきたが、
それでも好きな仕事を今でも続けられている。
己の能力に対する自己嫌悪の繰り返しではあったが、
ストレスはない。
ただ売上・業績には今でも心労を積み重ねており、
それでも現場に出られるのでその時だけは忘れられる。
今でも「俺から仕事を奪わないでくれ」と
行きつけの居酒屋で何度も叫んでいるが、
叫ぶと何となく仕事がやってきて、
青色吐息ながら続けていられる。
あわよくばもっと儲けたいところだが、
弊社は「大病院ではなく町医者、掛かりつけ医」を
めざしているので致し方なし。
さぁてこの4日間、最高のイベントにすべく旗振りに徹する。
イベントに来ていただいたお客さまにもハッキリ見える大漁旗を。
4日間、事故なきよう
大学時代の友人がデザインした「一ノ蔵」で身を清める。
「ご安全に」。
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