株式会社プランシードのブログ

株式会社プランシードの社長と社員によるブログです。
会社のこと、仕事のこと、プライベートのこと、あれこれ書いています。

その359.ご安全に

2018-01-21 10:15:47 | 制作会社社長の憂い漫遊記
今年最初の出張は京都。
なんと月曜からの連泊で、3泊4日の長丁場。
しかし、その後の金曜は代休をもらう。
とはいえ、仕事がらみの案件なのだが・・・
ここ数年盆暮れ以外取ることのなかった3連休だ。
まぁ昨年末も31日まで働き、
年始は4日からだから良いんじゃねー。
とお楽しみは後にして、まずはお仕事お仕事。

今回の京都出張は、創業以来毎年頂いている
弊社の最も大きなイベント仕事。
ブースの企画・設計から建て込み、装飾デザイン、
映像を含むショーの演出、そのための映像制作や
展示パネルデザイン、展示品のレイアウトに至るまで
日頃弊社が行なう業務のオンパレ、集大成といえる。
このイベントへの関わりも、最初は映像制作だけだったが
次第にショーの演出、セットの設計・施工にまでいただき
私は演出からプロデュースへと役割を替えていき、裏方となった。
現場で私に掛けられる呼び名も「監督」から「P」
さらに「社長」となり、最近はごった返す搬入車両の「誘導責任者」
カイロや雨具の「買い出し要員」へと出世街道をまっしぐら。
しかし、ここ1~2年、
私の本業である映像演出がポツポツできるようになり
この会場の様々なブースで流れる映像は、
紛れもなく私が現場で這いずり回り、
早朝(丑三つ時)出社で何時間もかけて編集した作品達だ。

かって大阪で映像のフリー集団「オフィスキネティック」で
20代の若造監督だった頃、
その監督作品の0号試写で同志達は口を揃えて
「多田君は監督ではなくプロデューサー向きだ」
と言われ悔しい思いをしたが、
自分で会社を起こすと若手社員を育てるため
プロデュース業をするしかなく、
以来その道を進むことになる。
阪神淡路大震災で被災者となりヤケクソで起業したが、
社員が育ち、ようやくやりたいことができるようになってきた。
昨年も秋~冬にかけて取材巡業を敢行、
その後すぐの丑三つ編集作業と、激烈ではあったが、
喉元過ぎれば「今年も現場に行きて~」。
社長となった今でも、
25歳でフリー映像監督となった根っ子魂が燻っている。
振り替えればやりたい仕事を全うできる自分は幸せ者だ。
私的には妻や子供達、社長になってからは
社員とその家族達に振り回されてきたが、
それでも好きな仕事を今でも続けられている。
己の能力に対する自己嫌悪の繰り返しではあったが、
ストレスはない。
ただ売上・業績には今でも心労を積み重ねており、
それでも現場に出られるのでその時だけは忘れられる。
今でも「俺から仕事を奪わないでくれ」と
行きつけの居酒屋で何度も叫んでいるが、
叫ぶと何となく仕事がやってきて、
青色吐息ながら続けていられる。
あわよくばもっと儲けたいところだが、
弊社は「大病院ではなく町医者、掛かりつけ医」を
めざしているので致し方なし。
さぁてこの4日間、最高のイベントにすべく旗振りに徹する。
イベントに来ていただいたお客さまにもハッキリ見える大漁旗を。

4日間、事故なきよう
大学時代の友人がデザインした「一ノ蔵」で身を清める。
「ご安全に」。

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