シリウス日記

そうだ、本当のことを言おう。

その4・飯山市の皿川氾濫に見る問題点の検討

2019-12-17 15:53:00 | 日記
さてそれで現状報告としましては、飯山市は一般質問を無難に切り抜けた、という事になりますか。

議員さんの方々にはそれなりの情報をお出ししたのですが、何の役にもたたなかった模様です。
まあこれは当然予想された事ではありますが、やはりそれはそれで残念な事であります。

そうしてこれは「住民の事は置き去りにされている」という事でもあり、「事実の公開を迫るのが議会の仕事である」という事からは程遠い議会の在り方をはっきりと示しているものでもあります。

さて、経過報告はこの程度とし次のお話を始めましょうか。

千曲川、皿川、そうしてその接続点にある皿川樋門、これらがやはり重要な舞台装置、そうしてメインキャストは飯山市と千曲川河川事務所、陰の主役が「地元の委託された樋門操作員」という事になりますか。
これがこの長くて奇妙なお話の大体の構成要素となります。

それで主題は「皿川樋門は本当に閉じられたのか?」という事になります。

そうしてこれは密室での完全犯罪に似た形式の物語であり、そうであればまさにこれは推理小説を読み解くがごときものとなります。

13日の1時44分に皿川樋門は閉じられた、と河川事務所は主張しています。
その樋門操作を行って2つのゲートを下したのは河川事務所の指示に従った「地元の委託された樋門操作員」という事になっています。

但しこの操作員はゲートを下した後、速やかにその場所を離れる様にと、河川事務所から指示されています。
千曲川の増水の為に樋門操作室での待機は危ないから、と言うのがその理由です。

そうしてどうやらこの樋門操作員は現場近くの安全な場所で待機する事を選ばずに、自宅に戻ってしまった様です。
この操作員の次の出番というのは再び下したゲートを持ち上げて元の位置に戻す、そうやって樋門を開ける時でありますから、自宅に戻っての待機というのは、まあ別にそれほどの問題とは言えませんが。

しかしどうなんでしょうかねえ、水防の重要な担当者が持ち場を離れて家に戻ってしまう、というのは。
それは当方の感覚では少々理解できない行動ではあります。

さて飯山市の依頼を受けた消防職員がそのあたりを巡回したのが2時45分。
その時に消防職員の目には樋門入口の皿川側の部分で水が逆流している様に見えた、と報告を上げている。(注1)

だがその場所で待機していたなら目撃したであろう樋門操作員については何も言及していない。
つまりその時間帯にはすでに樋門操作員はそこにはいなかった、という事になります。

さて2時10分に皿川左岸の住民が皿川から水があふれだしている事を目撃し、市役所に連絡したのが2時20分。

飯山市の報告ではこれが皿川からの越水が起きた最初の時刻とされていますが、実は皿川堤防には飯山市がつかんでいない弱点が2つほどあり、その一つ目の理由から皿川左岸で越水が確認されたならばそれよりも早い時刻で皿川右岸から越水していたのは確実なことでした。

さてこの皿川右岸の越水現場が洗掘現象により堤防崩壊ーー>決壊に至るのが4時15分です。

これによってそれまで皿川の堤防側いっぱいに溜まっていた水が一気に右岸の決壊場所から飯山市街地に向けて流れ出す事になりました。

それと同時に皿川の水位が一段階低い位置に落ちました。
従いましてこの時を持って左岸への越水は終わった事になります。

そうして本来ならば樋門を閉めると同時に排水作業を始める為にその場所に配置されているべき複数台の排水ポンプ車の中の最初の1台目が飯山市の依頼でようやく皿川に到着するのが5時30分です。(注2)

そうやって3台程度の排水ポンプ車によって皿川の排水作業が行われました。
但し飯山市の報告では「何台の排水ポンプ車が皿川で排水作業にあたったのか。」それから「排水作業が終了したのは何時であるのか。」が一切報告されていません。

これはこの手の排水作業報告の形式としては不十分なものである、という事をここで指摘しておきます。

さてそういう訳で、いつこの排水作業が終了したのが不明ではありますが、千曲川水位の状況から判断しますと13日の夕刻には皿川樋門をひらいても皿川の水は自然に千曲川に流れていったものとおもわれ、したがって夕刻には排水作業は終了したと思われます。

それでここで不可解な事を報告する事になります。

通常は樋門ゲートを持ち上げる時は樋門操作員と排水作業者は一緒になって行動するものです。
「そろそろゲートを持ち上げてもよかろう」という合意がなされ、樋門操作員によって樋門ゲートが持ち上げられ、皿川の水が千曲川に流れ出せばOK、千曲川の水が逆流してくるようであればNGで再びゲートを下げて排水作業の続行となります。

こうやってここでの作業は樋門ゲートを上げる事と、ポンプ車による排水作業の終了と言うものが一つのセットになっている事が分かります。

それで、飯山市の報告の中に樋門を閉めたという報告はありましたが、樋門を再び開けた時刻、それから排水作業が終了した時刻の報告がありませんでした。

とりあえず樋門を再び開けた時刻を知りたいと思い、千曲川河川事務所に1週間ほどの間隔をあけて2回ほど質問メールを出しました。

それでも回答が戻ってきません。
それで今度は国土交通省の河川担当のホットラインから同様の質問をしました。

河川事務所への上部組織からの指導・圧力を期待した訳です。
これも1か月程度の間に2回ほど行いましたがまったく返事がもらえていません。
無視された状況が今まで続いております。(注3)

何故河川事務所はこれほどまでに皿川樋門を開けた時刻を回答するのを嫌がるのでしょうか?

ちなみに樋門を操作した場合、その操作記録は速やかに河川事務所に提出される事になっています。
ですから河川事務所の仕事はその記録がファイルされた書類を持ってきて該当ページをあけ、そこに記載されている「再びゲートを持ち上げた時刻」を確認しメールで返信するだけ、10分もあれば十分に行える仕事ですね。

そうでありますから、河川事務所は皿川樋門を再び開けた時刻を知られたくない、もしくは知らせる事ができない状況にある、という事になります。

さて実際に河川事務所が主張するような「地元の委託された樋門操作員」が存在し、実際に樋門操作を行い、そうしてまた再び樋門を開ける為に排水作業中の堤防にその姿を現し、そこで作業している排水作業員とともに「皿川樋門のゲートを上げる作業」をやったのであれば、どこにも隠す必要のある事柄など存在はしないのであります。

しかし事実は河川事務所は皿川樋門を再び開けた時刻を回答しません。
何故でしょうか?

さて、皆さんは以上の事をどのように思われるでしょうか?

当方の結論は
河川事務所が主張するような「地元の委託された樋門操作員」は実在せず、
従って皿川樋門は開けっ放しであった
と言うものになります。

どこにも樋門が閉められたという事を客観的に証明する事柄はなく、そこにあるのはただ「樋門は閉めた」という河川事務所のコトバだけであります。

実は河川事務所から「樋門を再び開いた時刻」を聞き、その時刻で千曲川堤防の皿川樋門前で排水作業をしていた方々に「こういう樋門操作員を見たか?」「一緒に作業したか?」という事を聞き、その答えが「そうだ、一緒に作業した」というのであれば、河川事務所のいう所の「地元の委託された樋門操作員」の実在は証明された事になります。

しかしながらどうやら河川事務所は「そうやってこの件に白黒をつける事」を嫌がっている様であります。

注1
この証言は当面「樋門を1時44分に閉めた」という河川事務所の主張とは矛盾している様に見えますが、この件はなかなかに複雑で、簡単に「どちらかがウソを言っている」と判断するのは早計であります。
しかしここでそのような報告があった、という事は記憶されるべき事柄となります。

注2
ここではその3でも言及したように、明らかに原因不明の飯山市のポンプ車依頼連絡の遅れが確認できます。

注3
以下、国土交通省のホットラインから問い合わせた時の「受付け番号」となります。
受付番号 は1911070500031
受付番号は 1911240500021
https://www1.mlit.go.jp:8088/hotline/cgi-bin/u_hotline05011.cgi
ちなみに飯山市の報告で「樋門を閉めた時刻」を知る前に、河川事務所にメールでその件については質問をだし、中2日ほどで「樋門を閉めた時刻」については回答を得ていました。

でも「再び開いた時刻」についてはどうあっても千曲川河川事務所は答える気はない様です。

注4
上記記事で参照している飯山市の報告は以下のものです。
令和元年台風19号関連災害経過報告【第2報】
https://www.city.iiyama.nagano.jp/assets/files/senryaku/press/1028iiyama.pdf

追記
後日、日立市にお住まいの方が河川事務所に情報公開請求をされ、それまでこの件については「ダンマリで通す予定だった河川事務所」も返答をせざるを得なくなりました。
この件、これ以降の詳細につきましては、このシリーズ「その9」にてご確認ねがいます。

飯山市の皿川氾濫に見る問題点の検討・一覧