絵じゃないかおじさん

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あ@お話・仮想はてな・28/33つかずの鐘のおはなし

2022-03-24 12:27:33 | おぼけまみれ
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  * つかずの鐘のおはなし(仮想はてなのお話)



   成相山 成相寺 28


 ゴエーカ;
  なみのおと まつのひびきも なりあいの 
   かぜふきわたす あまのはしだて


 このお寺には、つかずの鐘があって、
 次のような話が、伝わっております。

 今から、400年近く前のことであります。
 古くからあった鐘に、ヒビが入り音色が悪くなったので、
 作り直すことにしました。

 こういう時は、たいていの場合、寄付を募ります。
 毎日わずかでも、貯金をしておいて、
 そこから出すなどという考えは、
 毛頭無いようであります。
 酒代の方が大事なのでしょうか。


 口では、諸行無常を唱えながら、
  いざという時は、
 お布施に頼る体質、最近の風潮を、
 とやかくいう資格はございませんね。
 もしかすると、皆がお寺さんの真似を、
 するようになったのでしょうか。

 個人の場合、借金は返すだけ、まだましですね。
 諸行無常は、仏教のイロハ。
 建物があれば、滅するのは痛いほど、
 わかっているはずです。
 頭では、わかっていても、
 身体が、ついていかないのでしょうか。

 古くなってくれば、建て直す必要に、
 せまられるはずです。
 そして、その時には、目を剥くような費用が、
 かかるはずなのです。


 その時は、信者に頼れば良い、
 布施をさせればいいと鷹を括っているのでしょうね。
 常日頃から、貯めておくなどという考えが、
 無いことだけは確かなようです。
 説教好きの坊さんは、たくさんいますが、
 その説教は、まず己にすべきなのではないのでしょうか。
 
 話はそれましだが、
 何かあれば、人に頼るということは、
 その時代も、変わりはしませんでした。

 檀家の人も、無下に断るわけにも、
 いかなかったのでしょう。
 陰では、ボソボソと文句を言いながらも、寄付をしました。
 たくさん寄付する人は、石に名前も刻んでもくれます。
 目標額が、決まっているものですから、
 多い方が、いいに決まっています。


 目標額に達しなければ、
 目的のモノが作れないかもわかりません。
 額の大きさが、貢献度を表わすのもわかります。
 けれども、果たして名前を刻みこむ必要があるのでしょう
  か。

 先程も言いましたように、
 寄付を募るということは、
 責任者の恥さらしのはずなのです。

 考えようによっては、そんなものを残すことは、
 恥さらしを助長し、恥を長年に渡って、
 残すことにもなるはずです。


 このあたりが、木の下、石の上を住みかとして、
 建物などにこだわりを持たない原始仏教と、
 掛け離れているように、思われるのであります。

 安易に、寺というものの経営を考えているのでしょう。
 宗教というのは、何を言っているのかではなく、
 何をしているかを見れば、
 よくわかるのではないかと思われます。

 している事実だけ羅列してゆけば、
 正体がつかめると思うのですが、
 肝心の所は、秘密にして、
 部外者にはわからないようになっているものですから、
 厄介でありますね。

 お寺では何とか、目標の額に達しましたので、
 いよいよ鐘を鋳造することになりました。
 今のように、工場で作って運んでくると、
 いうようなことはしませんでした。

 鐘楼のそばの空き地で、製造するのです。
 坩堝炉を用意して、その中で銅を溶かし型に、
 流し込むのであります。
 めったに、見ることが出来ないので、
 見物人も、多くやってまいりました。

 そんな中に、若嫁のおタミさんもおりました。
 半年ほど前、難産の果て産んだ子供が死んだので、
 気が狂ったのであります。



 冷たく、干涸びた赤ん坊の骸を抱いて、
 片時も離さず、
「赤ん坊が泣かない、泣かない」と言っては、
 一日中、歩き回っておりました。
 おタミさんは、人が大勢集まっておりますものですから、
 誰かが、赤ん坊を泣かしてくれると思ったのでしょう。
 一人ひとりに、見せつけては、
「泣かない」と、叫んでおりましたのですが、
 何のはずみか、ぽとりと坩堝の中に、
 赤ん坊を落としたのであります。

 じゅーっと灰色の煙が立ち昇って、
 骸は、溶けこんでしまいました。
 その途端、おタミさんは、
 正気に返ったそうであります。

 彼女は、自分がこんな所で、
 何をしているのか、わからなかったそうですが、
 夫も、ちょうど見物に来ておりました。
 おタミさんの様子を見ますと、
 ツキモノが落ちて、
 昔のようなさわやかな、目付きに、
 変わっているではありませんか。




 すぐさま、自宅に連れて帰って、
 それとなく事情を説明してやりました。
 一度に刺激を与えると、
 また気がふれるかもわかりません。
 目を見つめながら、一言ひとことに、
 心を込めて、話しかけてやりました。

 彼女も、何となくわかったようであります。
 鐘も立派に出来あがりました。
 ついてみますと、澄みきった、いい音色がするのですが、
 見物人の中から、
「赤ん坊の泣き声が聞こえるぞー」という、
 声が上がりました。


 言われてみますと、
 そう聞こえないこともありません。
 おタミさんの赤ん坊が、
 泣いているのだというささやきが、
 ぱっと拡がりました。

 しかし、おタミさんは、
 もう赤ん坊のことは、忘れようとしています。

 今更、泣き声を聞かせてもと思い、
 鐘をつくことを止めました。
 それ以来、つかずの鐘となっているそうであります。

 橋立のセインも、この思いやりのある処置に、
 満足しているようであります。

           
   この項おわり

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