ぴらにあの写真館 in 伊豆大島→都会へ(新・日記帳)

8年間の伊豆大島生活から都会へ移住しました…
旧日記帳(ODNまいぺーじの思い出)は、BOOK MARKよりどうぞ!

脱アジア記念、とうとうワイハ~の旅!(その5)

2011-08-19 22:47:43 | おでかけ(海外)
*ハワイ移民の歴史、プランテーション・ビレッジを訪ねて・・・の巻!

 ホノルルの市井ではホントによく日系人と会う。ファミレスでもスーパーでも、「あら~、久しぶり~!」なんてフツーに日本語が飛び交ってるから不思議な感じ、ちょっとイントネーションが違うのも面白い。この人たちは明治時代からハワイに移り住んだ日本人の子孫なんだろうな。その移住の話を知りたいとガイドブックをめくっていると、パールハーバーの方に『ハワイ・プランテーション・ビレッジ』という移民の人たちが働いていたサトウキビ農場の博物館があると・・・

 プランテーション・ビレッジは日本でいえば明治村のような場所で、観光地というよりも地元のお子ちゃまたちが社会科見学に来るような所らしい。実際、でっかいスクールバスが2台止まっていて、小学校のサマースクールの真っ最中だった。観光客はぴら家のみ、受付の建物に入っていくと地元のおばちゃん(受付の人)が「何の用?、見るの?」みたいな感じでしかめっ面。とにかく入場料を払おうとすったもんだしていると、奥から日系人のおばちゃんが出てきた。「あら、日本人なんて珍しい!」と。「あのね、勝手に見てもいいんだけど、せっかくだからアタシが案内してあげるから。1時間半よ、1時間半だけど大丈夫でしょ!」とグイグイ引っ張っていく。「え、皆さん伊豆大島から来たの?、ワタシも50年前に行ったのよ。あの時はねぇ、大きな船で夜出て朝着いたのよ。え、今でもそうなの?」と懐かしそう。う~ん、まさかハワイまで来て伊豆大島ネタで盛り上がれるとは・・・

 さて、おばちゃんの説明によると、キャプテン・クックがハワイに到着した当時(18世紀後半)のハワイの人口は40万人程度だったけど、西洋人が持ち込んだ病原菌によって疫病が蔓延して約半世紀で8万人まで激減したという(なんと死亡率80%?!)。で、産業革命後、ハワイでもクジラ捕りの後方支援やら農産物の生産やら産業を興そうと思ったけれど、ハワイの原住民だけでは圧倒的に労働力が足りない。それで明治初期から日本、沖縄(当時は日本と沖縄は別扱いだったらしい)、韓国、フィリピン、プエルトリコ、ポルトガルなどから移民を受け入れたんだとか。しかし、持ち前の勤勉さで薄給でも働きに働いて月に数日しかない休日までバイトで働いて故郷に錦を飾るのを夢見ていた日本人たちは、「こいつら、きっとこんなに働いて何か企んでやがるな!」と雇用主にあらぬ疑いを掛けられて排斥運動が起こり、とうとう大正時代には日本人の移民は一時禁止になってしまったんだとか。「でもね、その一世、二世の努力が実って、今のハワイの重要なポストに就いている人たちはほとんど日系人なのよ!」と笑顔のおばちゃん、弁護士、医師、教師は日系人の割合が特に多んだとか。ハワイなら初めての海外旅行でも安心して行ける、そんな雰囲気は何となく作られたものではなくて、それを一生懸命に守ってくれている人たちがいると言う事をプランテーション・ビレッジで知った・・・


【プランテーション・ビレッジの道すがら、パールハーバーのアリゾナ記念館を見学しようと思ったら渡し船に乗るのに4時間待ち、せっかくもらった入場チケットを受付のお兄さんに返して駐車場へ。と、「車で来たの?」と自動車で追いかけてくるお姉さん、よくわからないけど、ず~っと、ず~っと、ず~っとノロノロついてくる。「何か、新手の誘拐?」とか思ったら、ぴらにあが出庫した後に止めたいだけだった・・・】


【館内で30分みっちり移民の勉強を、「さぁ、さぁ、おチビちゃんたちお腹空いたでしょう!」とおばちゃん。「これね、ハワイで昔から採れてた果物、好きなだけお食べ!」と名前も聞いたことがない果物が並ぶ。ぴらにあは半生干し柿みたいな果物が気に入ったけど、名前を覚えてない・・・】


【園内を見学に行く前にマカデミアンナッツ(ヤマモガシ科)を発見・・・】


【ブドウみたいになってる・・・】


【「生でもおいしいから石で割ってお食べ!」とおばちゃん、狂喜乱舞の若旦那(マカデミアンナッツ命)。自由研究にも「ハワイで一番うれしかったのはマカデミアンナッツを食べたことです」と書いていた・・・】


100年ほど前に移民の人たちが暮らしていた家が残っている、どの建物の内部も自由に見学可能・・・】


【日本人が営業していたお豆腐屋さん・・・】


【お風呂屋さんもあり(ちゃんと男湯と女湯に分かれている)、お隣は床屋さん・・・】


【うどん屋さん。当時のお給料(最初の頃は日給4ドル)は、集落内でのみ使えるチケットで支払われていたという。必ず親方が取り返すのと、逃亡防止のためだったらしい・・・】


【ハワイの人たちが暮らしていた家(右の小さい方)、入り口は他の部族が襲ってきた時に防げるように小さくしてあるんだとか(首だけ入れた時に中からボコボコにする)。左の三角屋根は学校・・・】


【モスラの幼虫の頭みたいなヤエヤマアオキ(アカネ科)の実、ハワイ語では『ノニ』というヤツ・・・】


【タロイモ畑・・・】


【ちょっとだけ残っていたサトウキビ、沖縄のに比べると節が詰まっていて葉っぱが多い。収穫する時はどんなに暑くても長袖長ズボンでやらないとキズだらけになってしまったという・・・】


「実際に使われていたサトウキビ運搬列車、線路もオリジナルで隣の製糖工場跡地に続いている・・・】


【プランテーション・ビレッジ近くのショッピングセンターでお昼、ハンバーガーかと思ったらローストビーフサンドだった。ハンバーグより脂っこくないので、ぴらにあはこっちのが好き・・・】


【ファストフードのドリンクは容器をもらって自分で入れるシステム。「カップでかいよ!」とお会計をしてきたぴら奥さんに言うと、「これでもSサイズだよ!」だって。ちぴらのはキッズサイズらしい・・・】


【アラモアナショッピングセンターで買ってもらったムームーがお気に入りのお嬢さま・・・】


【そのムームーを来てハワイ料理のレストランに行ってみる。「予約は?」と英語で聞かれて、「ノーリザヴェィションです!」と英日チャンポンで答えて通じる。意外と人気店らしくダメかと思ったら・・・】


【じゃぁどうぞ、と通されたのが水上テラスのいい感じのお席。「この池の水道代って高くないのかな?」ってヘンな事を心配しているヤツ、お料理はデザートのバター餅が一番うまかったんだとか・・・】


【お会計はビュッフェ形式なので人数分、ところが請求は大人6人分でビックリ!。「オ~、ソーリー!」と再び持って来たのが大人4名+子供1人、「違うよ!」と突き返すと今度は大人3名+シニア1名+子供1名、どうしてもちぴらを大人として数えたいのか。「ち、が、う!」と全員の年齢を説明してやっと大人2名+シニア1名(65才以上)+子供1名(4~12才)+無料1名(3才以下)になった。でもうまかったからチップは弾んでおきましたとさ・・・】


【食後、ガイドブックに載っていたタンタラスの丘という夜景スポットに行ってみる。小雨降るグネグネの山道を迷いながら上がっていくと、見物の車が20台くらい止まっていてビックリ!。ホテルに戻ってからもう一度ガイドブックを見ると、「道路が狭くて坂もきついので、危ないからレンタカーでは行かないように!」と・・・】


【ホテルの廊下からタンタラスの丘方面を眺めてみる。街路灯がオレンジ色なので溶岩が流れているように見えてキレイ・・・】
コメント
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