毎月28日はお不動様の縁日です
ここ、目黒のお不動様は江戸時代から庶民の楽しみの一つに数えられて大いに栄えました
特に今月は「甘藷まつり」があり、裏の墓地に眠る故青木昆陽さんの供養月になっています 青木昆陽は江戸にサツマイモの栽培をすすめた人物で、当時は甘藷先生と呼ばれていたようです
サツマイモは、薩摩芋の名の通り江戸時代に琉球から薩摩(鹿児島)を経由して日本に入ってきて、薩摩富士(開聞岳)の火山灰に覆われたやせた土地でも栽培できたことから、飢饉の時の救荒作物として重宝されました
そのサツマイモこと甘藷を全国に広めるのに一役買ったのが、儒学者青木昆陽です
昆陽は晩年を目黒で過ごし、目黒不動裏の、自ら「甘藷先生墓」と刻した墓所に眠っていて、サツマイモ業者(甘藷組合)が明治時代に建てた立派な「昆陽青木先生之碑」と「甘藷講碑」があり、その偉業をたたえています
なお、当日は境内でも焼芋やふかし芋が売られていて、最近は鹿児島から観光協会の人が来て芋焼酎の試飲と即売もやっています
卑しい私は3杯ほど試飲してから一本購入し、家内は舟和の芋羊羹を買うのが恒例です
今回は甘藷祭りのご紹介ですが、28日には私も行きますので境内でお会いしましょう
ここ、目黒のお不動様は江戸時代から庶民の楽しみの一つに数えられて大いに栄えました
特に今月は「甘藷まつり」があり、裏の墓地に眠る故青木昆陽さんの供養月になっています 青木昆陽は江戸にサツマイモの栽培をすすめた人物で、当時は甘藷先生と呼ばれていたようです
サツマイモは、薩摩芋の名の通り江戸時代に琉球から薩摩(鹿児島)を経由して日本に入ってきて、薩摩富士(開聞岳)の火山灰に覆われたやせた土地でも栽培できたことから、飢饉の時の救荒作物として重宝されました
そのサツマイモこと甘藷を全国に広めるのに一役買ったのが、儒学者青木昆陽です
昆陽は晩年を目黒で過ごし、目黒不動裏の、自ら「甘藷先生墓」と刻した墓所に眠っていて、サツマイモ業者(甘藷組合)が明治時代に建てた立派な「昆陽青木先生之碑」と「甘藷講碑」があり、その偉業をたたえています
なお、当日は境内でも焼芋やふかし芋が売られていて、最近は鹿児島から観光協会の人が来て芋焼酎の試飲と即売もやっています
卑しい私は3杯ほど試飲してから一本購入し、家内は舟和の芋羊羹を買うのが恒例です
今回は甘藷祭りのご紹介ですが、28日には私も行きますので境内でお会いしましょう