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音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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「音程」「ピアノ演奏における「手応え」を求めて、今日も勉強・練習」 ~ 2月2日(月)のつぶやき その1

2015年02月03日 | ◆一言◆

ピアノ演奏における「手応え」を求めて、今日も勉強・練習してゆきたく思います。「手応え」とは、言葉通り(?)、精神的な意味合いと、感覚的・肉体的な意味合いの両方のことを思っています。


数日前からの「忍指法」に関する勉強・練習に焦点が向かっていると、「手応え」とは、肉体的・感覚的なな意味合いとしての実感が大きくなってきています。ピアノを弾くのがもっと上手になれたらいいな!(笑)


「忍指法」をピアノ演奏における現場にて充実して活用できるためには「音程の知識」が不可欠なようです。その音楽・楽曲における「音程」という事実に則って、我が肉体を合わせてゆくのです。うまく出来れば、いい演奏となる、はず、これ、理想です。


大袈裟かもしれませんが、「音程」に対する意識が高まることは、元来が理数系である西洋式音楽の核心に近付くことのできる道かも!?なぞとも、ふと考えてしまいました。


ピアノ弾きにとっての「音程」とは、楽曲における音符と音符の関係という意味で言っています。これはもちろんピアノに限らない!あらゆる音楽をする人達共通の問題です。一つの音符の良い音程は、ピアノ弾きは調律師にお任せしています(笑)ので、上記の楽理的音程に集中できます


しかし最近時々困ってしまうのは、楽理的音程に興味が沸くほどに、平均律に調律されたピアノだと「導音」が低く感じられて物足りなく思えてしまう!ことが出てきました・・・調律は演奏中の奏者には物理的にはどうしようもない!?ので、今はひたすら意識することで表現できるよう努めていますが


ベートーヴェン《ワルトシュタイン》において作者が書いた最低音は「F(ファ)」なのですが、なぜなら当時の楽器の最低音がここだったから。しかし音楽的には、この音を下回る「E(ミ)」を使いたい所が随所にあり、判断に迷います・・・楽譜通りがよいか、音を足してよいか・・・


ここ数年間は、ベートーヴェンが書いた音に忠実に則って、低すぎないバス音で音楽がすっきりする方がよい、と教えられもし、そう弾いてきましたが、今考えているのは、ベートーヴェンだったら、新しい楽器があり、より低い音が無理なく出せるなら、必ず使ったであろう!と想像されました


今度のリサイタルでは、《ワルトシュタイン》においては、原典に記譜された最低音を下回って、音を足して弾いてみようと思います。他の曲では!?・・・随時細心の検討が必要な問題と思われますので、その都度考えてゆきたく思います


以前ベートーヴェン《協奏曲4番》を演奏した際には、最高音は足さずに、楽譜通りに弾く判断をしたことがありました。楽譜以上に高く弾くことが可能であっても、そうしてしまうとオーケストラとのバランスが悪くなってしまう、と思われたのです・・・随時要判断の問題だと思います


音楽における「跳躍進行」と「順次進行」、楽理として、なんでこんな当たり前の詰まらないことを知らなければならないのだろう!?と疑問に思っていましたが、今、練習の現場においてこの差を意識することで、確かな手応えをもって、音楽がより充実するような気がしてきました


「ここは順次進行、2度の連なり、ここは跳躍進行、x度離れた音程」と認識することで、肉体(指)が正確な位置に間違い無く動き(動くよう意識して練習すべし!?)、更なる目標は、その音に和声的な理解・感得が出来るよう!?目指すことでしょうか


音階練習を強いられている門下生の皆様(笑)とは「♯系、♭系における左右の手の特徴の違い」を意識して日々の音階練習に励んでいただいていますが、これ、音階だけでなく、現場の曲において有用と思われました!《ワルトシュタイン》の難しい所が、これを意識したら簡単になってきたのです(笑)


「《ワルトシュタイン》が簡単になってきた」だなんて・・・あ~恐ろしい・・・油断大敵、心して向き合わねば、きっと痛い目を見る・・・


あぁでも!!(大笑) 下世話な言い方をしてしまうならば、今までノーミスで弾けたことが無いような難しい箇所が、この意識「♯系♭系」に注意したことで、今ノーミスでバッチリ弾けちゃったのです。闇雲に練習してもダメだった・・・やっぱり明確な目標があると強くなれる!?


・・・でも、本番がうまくいくかどうかは、神のみぞ知る!?です・・・油断大敵・・・自慢しては引っ込めて、おバカな呟きをしております(苦笑)


2月14日、津田ホールにおけるリサイタルは、本当に大事なこと・・・出来る限り、精進したく思います


ほら、やっぱり・・・「ノーミスで弾けた」なんて公表したら、そのプレッシャーでもあるのか!?、今度はうまくいかなかった・・・ 言葉にするのは、こわいものです・・・(プレッシャーに弱い!?肝っ玉が小さい!?それでは悔しい!)


「減七の和音」からは、「答えの無い」という、強い不安感が表現されるのかも!? と、思いました。(《ワルトシュタイン》II楽章において) 「答えは、有るのか!?無いのか!?」


高い高音は、精霊の声・・・!? ベートーヴェンこの人は、いったい誰を・何を思って会話していたのだろう!?


ドビュッシーのピアノ曲を弾きながらも、こういう想像に及びました、高い高音が声のように思える・・・ドビュッシーに集中していた当時、これを「スーパーソプラノ」なぞと命名していましたが(笑)、・・・やはり、これはありかも?


「音程」に強い注意を払ってピアノを弾くことは、鍵盤上の距離感を把握できると同時に、ハーモニー・和声感をも習得できる!? これ、一石二鳥!?


音大、楽典・聴音のレッスン時などに音程の問題を解かされ、試験された、あれは演奏の現場において、どんどん沢山活用すべし!? 全ては、よい音楽を造り出すために!?


!!《ワルトシュタイン》I楽章の冒頭、フレーズ終わりが「八分音符スタッカート」と「四分音符スタッカート」に書き分けられている意味が実感できたかも!! これはIII楽章のメロディ冒頭「四分音符スタッカート」に呼応するものかも!?


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