クラシック音楽教育・業界においては、
演奏の「均一性」を強く求められる傾向が強くあります。
不必要なルバートやアクセントなどが多すぎると、
演奏が不愉快に感じられてしまうことだってあります。
そうした演奏をしてしまわないように、
プロの音楽家を目指す教育では、
楽器を自由自在に扱えるよう訓練し、
その過程で「全ての音を均一に演奏」できることを
教わったりするものです。
これは大事なことです。
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ヘンデル作曲《メサイア》
そのクライマックスのひとつである超有名曲
《ハレルヤ》
その有名な逸話として、
イギリスにて公演されたこの《メサイア》を
当時の国王ジョージ2世が聴きながら、
《ハレルヤ》の途中で感動のあまり起立した
というものがあります。
真偽のほどは、今日不確かであるという話もあります。
でも、本日、自分が
《メサイア》全曲をコンサートで聴きながら、
あぁ、やっぱり「 . . . 本文を読む
「ドッペルドミナント」という和音は、
和声の基本のみっつ
「トニカ」
「ドミナント」
「サブドミナント」
からちょっと外れた特別な和音ということが出来るでしょう。
作曲家達は、ここぞという大事なところで、
様々な「ここぞ」という面白い手法を探し・見付け・使ったりするのでしょうが、
この「ドッペルドミナント」も
十二分にそうした威力を持った音楽的効果を有した和音とい . . . 本文を読む
ラヴェルの若い頃の作品、
名作《亡き王女のためのパヴァーヌ》
という曲があります。
この「王女」とは何者であるか!?
こうした疑問は
今日のみならず、ラヴェルの生前においても
作曲者を「煩わせた」といいます・・・
敢えて「煩わせた」というネガティブな言葉を使いましたが、
事実、ラヴェル自身はこの「王女」が誰であるかという
具体的な答えは残さなかったのだそうです。
・・・愚問・・・ということ . . . 本文を読む
最近テレビで、
映画『マトリックス』を模写した
面白いコマーシャルが放映されています。
蕎麦屋さんで蕎麦を待つ三人。
すると、蕎麦屋のおやじが転びそうになって、蕎麦が飛び散る、
その瞬間を制止して
ぐるりと視点が周り始める。
あらためてこの映像を見ていて、
いやはや、
このようなカメラワークは、
恐らくは映像史上、かつてない
「初めて」の「創造的行為」だったのではなかっただろうか、
と思われま . . . 本文を読む
バロック音楽
と呼ばれる西洋クラシック音楽におけるひとまとまり・区分(時代)があります。
代表各として思い出される作曲家は、J.S.バッハといってよいでしょう。
ご承知の通り、
バロックとは「いびつな真珠」という意味なのだそうです。
理想的な真珠の形というのは、真ん丸。
その形が偏りを見せるものが「バロック真珠」と。
ところで、
このような語源を念頭に「バロック音楽」について思いを馳せてみ . . . 本文を読む
極論かもしれません。
でも、強い手応えを感じているのも事実なのです。
それは、
「音楽性」と呼ばれるものが、
演奏者の「上半身の動き」で決まる、
という一つの結論に達しそうなのです。
動けばいい、というのではありません。
そうではなくて、
「動き」が「音楽」を目的として、
それにかなっている時、
真に充実した「音楽」の実現となって
成功するように思えるのです。
ここには、
能の大家・世阿弥 . . . 本文を読む
ショパン青年期の「山」といってよい作品だと思います
《バラード 第1番 op.23》
には、ショパンの「無念」の思いが
反映されているように思われました・・・
遠い祖国を思い、嘆き、希望を胸に抱き!でも・・・最後には、悲劇の英雄の死が告げられる・・・
断末魔の叫びとともに!!!!・・・
♪ . . . 本文を読む
2005年ワルシャワのショパン・コンクールで優勝を飾ったラファウ・ブレハッチ氏、
私の記憶が確かならば、
彼は出場者の中で、ただ一人、
第二ステージの課題である《マズルカ》の中から、
《op.56》という、
後期ショパンの
高貴で難解で、そして天国的な曲集を演奏していたはずです。
全コンテスタントの内、彼ただ一人。
ショパン・コンクールの優勝者として遜色ない、実に見事!!
と、ふ . . . 本文を読む
ショパン作曲、一連の《マズルカ》
ラフマニノフ作曲の《前奏曲(プレリュード)》など
祖国を遠く離れた人間が
故郷を想う気持ちが
音楽となって形におさまっているようです。
一人ピアノに向かうショパンやラフマニノフ・・・
彼らの心は、
彼らの作曲した音楽達を通して、
時間と空間を越えて、我々の手に届いてくるかのように
ふと今、ピアノを弾きながら感じられました・・・
そして彼らはとうと . . . 本文を読む
「私がこの機会に触れておかなければならないことがある。
批評家氏たちが、なんの情熱もなしに書いているわけではないにしても、彼らが批評する曲をあまりにも容赦なく取り扱っているとすれば、
それは彼らが、その曲がどのような事情、どのような指示、どのような機会に作曲されたかを、よくは知らないからである、というのがそれである。
しかもそうした批評家に、批評家に相応しいだけの感覚、知識、誠実さ、勇気の認め . . . 本文を読む
ベートーヴェンの母親は、早くに亡くなりました・・・
飲んだくれでスパルタ的な父親の音楽教育(!?・・・教育とは言い難いかも)からの
唯一無二の救いが、彼の母でした。
そんな母は、もう早くに
ベートーヴェンの元を去りました・・・
そんな彼の思いが垣は、
《ピアノ・ソナタ第3番 op.2-3》の第2楽章
に垣間見られるように思われるのです・・・
そして、
彼のこのようなマザーコンプレック . . . 本文を読む
「レッスンにうかがったら次のようにして欲しいと思います。
初めに正しい指使い、それから拍子を正しく、
譜面を大略間違いなしに弾けるようになってから表現法を指導してください。
以上のことができるようになった後で、もし演奏途中に小さなミスがあったとしても、
そこでは止めずに終わりまで通して弾かせ、それから先程のミスを指摘してやって下さい。
私はあまり人を教えた経験がありませんが、いつでもこのやり . . . 本文を読む
フランス印象派音楽の作曲家の一人、
モーリス・ラヴェル作曲のピアノ曲集《鏡》より第5曲に
《鐘の谷"La vallée des cloches"》
という曲があります。
完全4度の音程は多用され、
「鐘」と「風」が楽曲を通して目の前に立ち現われるかのような印象をもたらす
素晴らしい音楽です。
ところで、
我々日本人の誇る芸術分野に「アニメ」という文化が花開いております . . . 本文を読む