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音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

♪クラシック音楽の伝統を受け継ぐ真の音楽芸術家を目指して活動しています♪ 「YouTubeクラシック音楽道場」も更新中♪

クラシック音楽の「形式」を知る必要性は

2021年04月03日 | クラシック音楽道場
クラシック音楽において、
いや、
クラシックに限らず!?

その曲の「形式」について
奏者や、あるいは聴く人が
知っておく必要性について、
ふと、思いました。

要するに、全体像を知っていると
音楽を追いながら、

今、
どれくらいの部分だな、

あ、中間部、真ん中らへんだな、

あ、再現部、戻ってきたな、
いよいよ、終わりが近いかな?

お、コーダ?
終わるか!?

…といった具合に。
これ、
当たり前のことのようではありますが、
音楽の形式や全体像が分かっていない
闇雲な状態で、
一体いつまで続く音楽なのか!?
何楽章とあって、いつが終わりなのかも分からない!?
すると突然終わって拍手タイム??
となってしまっては…

これでは、
音楽を真に楽しめている状態とは
言えないのではないでしょうか…



例えていうなら、
コース料理において、メニューも無しに
前菜だか主菜だか副菜だか
訳もわからず、自分のお腹の加減も分からず
食べているような??

いや、
もちろん、知らなくても次々に出される
お料理を美味しく楽しむことも
出来ましょう。私自身料理は詳しくはなく、
コース料理をいただく際、よく分からずの
ことだってあります。あ、でも、
やはりメニューを大体見てみて
(メニューを読んでも訳が分からないことも多々ですが(笑))それでも、
コースの今がどのあたりか、
なんとなく予想しながら食べることが、
私は好きかな。
どのあたりに居るかを把握しながら、
ついに現れるメインディッシュを楽しみ!
その余韻に浸りながらデザートや
コーヒー紅茶ハーブティーを選び…等。



もう一つ例を考えましたのは、
学校の授業において、
その日が「何時間」の授業があるか、
知らないでいるのは…苦痛ではないでしょうか??
6時間あるなら、
お昼の後に、もう2時間耐えたら終了、
眠いけど、もうひとがんばり!
と思えたり、
4時間で終了なら、
やった!!お昼で今日はおしまい!!
と、喜びを噛み締められたり。
(…授業が終わることを喜びの前提としているような、この例が良いかどうかは分かりませんが…)



もちろん、
音楽の形式を分かっていなくても、
聞いて楽しむこと、弾くことも
出来るでしょう。
苦痛に感じることなどなく、
音楽の喜びを得られるなら、全然OK!!

でも、やっぱり、
形式を分かっていて、
その時が、全体のどの辺りにいるか、
把握しながら演奏したり聞いたりすることは、
その音楽の物語を追うような、
より面白い充実度を持った視聴となること
請け合いです♪



また、
この文章を書きながら更に思ったことは、
聞く側の方が、この
音楽の形式を把握する能力は
より難しいのかも…とも。

まずは、
演奏する側の人にとって、
自分の練習・勉強の時間に、
慌てず焦らず、ちょっと腰を据えて
自分の手掛けている曲が
どんな形式なのか、
それを理解しようとすることが
非常に大切な勉強と言えるのは
間違い無いでしょう。

わけも分からず弾いているのではなく、

ここからが中間部(展開部)、ということは、

その前までが提示部だったのか、その
提示部の中はどうなっていたっけ?
第1テーマは?第2テーマは??

中間部を過ぎると、きっと
再現部が現れるはず、確かに!
ここに違いない!
あるいは、
曲によっては、敢えて再現部が
分かりづらくなっていることも!?
しかしそれも、
作曲者の意図・工夫として理解できると
それを面白さとして享受できるようになったり。

最後に、
形式について、ざっとどんなものがあるかを並べてみますと、
●三部形式
●ソナタ形式
●ロンド形式
と、これらがおそらくは、
クラシック音楽において出てくる
主要な形式と言っておいてよいでしょうか。
もちろん他にも
●リート形式
●リトルネロ形式
●ダ・カーポ形式
などなど…etc…色々とありましょう。

あるいは、
クラシックに限らず、
ポップスやロック音楽においても
形式はあるでしょう!
Aメロ、Bメロ、そしてサビ、
1番、2番があって、もう一度サビ、等。
カラオケをしながら、
自然とその楽曲の形式を感じながら
そこに感情やバランスを取って歌っていることは、
実はみんな知らず知らずやっていることなのかも!?



ちなみに、
私はただいまラヴェル作曲《ピアノ協奏曲2楽章》を勉強中…
朝さきほど目覚めた頭の中、
あ、
この楽章は、三部形式として、
それぞれの部分に
前半と後半があると捉えるとよいのかも、
と、思いつきながら、
その演奏における気持ちのバランス、
あるいはより現実的に、
練習におけるペースの配分、
部分練習の仕方など、
【形式を知ること】で、
更に勉強が深まるよう感じられ、
そして、
【形式の大切さ】について、
一つ書いてみようと、
ここに筆を取った次第です。



更に余談!ではありますが、
形式の判断を誤って、
これでコーダ(終結部)??と思って聞いていたら、
そのまましばらくずっと終わることなく
長々と続くその後の音楽が訳が分からなくなり
すっかり疲労困憊してしまった体験もありました…(私が小学生頃のことでした)
[コーダ?]と
思ったところは実はまだ
[提示部のコデッタ]でしかなく!
その後、[展開部][再現部]そして[コーダ]と続く
長い長いシューベルトの室内楽を聴きながら、
まだ始まりの部分[提示部]の終わりを
曲の終わり?と感じてしまった、そこで
集中力を切らせてしまった少年に
その後も十数分に渡って続いた音楽は
いつ終わるのかも分からない…生き地獄のような体験として
私の記憶には残っております(笑)
シューベルトは…長い?(笑)

それはさて置き、
というわけで、
このような被害者が出ませぬよう、皆さま、
(知らぬが仏、とはおっしゃらずに(笑))
音楽における形式について、
どうぞ、
ご興味をお持ちいただけましたらと、
長くなりましたが、ここに
文にしておきたく思います。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました!!



P.S.
今日はこれから
演奏時間3時間に渡る大作
J.S.バッハ《マタイ受難曲》を
聴きに行く予定です。
大きく分けて前・後半からなりましょうか。
イエス・キリストの受難の物語を追いながら、
その合間に挟まれた美しいアリアの数々を
全体像を思いながら(笑)
聞いて来たく思っております♪



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