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音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

♪クラシック音楽の伝統を受け継ぐ真の音楽芸術家を目指して活動しています♪ 「YouTubeクラシック音楽道場」も更新中♪

「神」について色々と考えました ~ 1月7日(土)のつぶやき

2012年01月08日 | ◆一言◆
00:43 from Keitai Web
「神はサイコロ遊びをしない」なら、磨き抜かれたクラシック音楽作品もまたそうである、と信じています。限りなく神的な創造に近づいた偉大な作曲家達の仕事を、その場の気分だけで取り扱っているようでは、本当の魅力に辿り着くことは出来ないのではないでしょうか
00:47 from Keitai Web
←と、理想を掲げてみたものの、現世を今生きて音楽している我々が、いつも理想を達成できるわけではありません・・・残念ながら。でもその度に心が折れていてはやってられません!がんばるしかない、のかもしれないですね、理想を思い描けるのなら、それを達成できるようにと。
00:49 from Keitai Web
そう!「理想を思い描ける」のは、これはなかなか大したことではないでしょうか!? その理想が、個人のわがままでなく、真理に触れるものであるなら・・・これが本当の理想!?「理想」は決して悪いものではないはず。「理」を「想う」んだもの。
01:36 from Keitai Web
「真理」なのか、それとも単なる「人が決めた掟」なのか、その差を見極めたいものです。(そんなことを考えているから僕は現実社会で奇妙な衝突をしてしまうのかも(泣))
13:18 from Keitai Web
「神はサイコロ遊びをしない」と昨夜(先程!?)書きましたが、ちょっと更に考えながら、これはあくまで物理的な意味での真理の象徴としての神をさしていて、運命論的な神ではないな、なぞと思いました。
13:20 from Keitai Web
「神」の見方、捉え方は、一概ではない、ということでしょうか。宗教観でもあり、あるいは世界観でもあったり。ひとくちに「神」と言って生じる誤解も、少なからずあるのではないだろうか。難しい問題です!
13:24 from Keitai Web
音楽をしながら「神」を感じる・見いだすこともあるわけですが、これもまたあらためて考えてみると、運命論的な神であったり、あるいは物理的・自然界における摂理としての神(汎神論!?)であったりと、ケース・バイ・ケースのようにも思われてきました。どちらもあり、なのだとも思われますし!!
by pianistGS on Twitter
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