『宇宙の再構成プログラム』

次元変容の旅を通して … 見えてくる世界とは!

宇宙の高位者が設定した「地球人類の保育器」

2009-03-19 00:44:26 | Weblog
宇宙のフナブ・クたる創造者(神々)は、地球を一定期間宇宙から隔離し、人類が自己確立できる時期まで、子宮内宇宙という内部閉鎖空間に閉じ込めた。これは、ちょうど母体の中にいる胎児が母親の子宮内に十月十日育てられることに似ている。

図では、四次元立方体の内側に入子状の立方体(赤い格子状のマトリックス)があり、ここを我々は「子宮内宇宙」と呼んでいる。この「子宮内宇宙」の特徴に、「時空間因果律」の作用が働くことが上げられる。この、「時空間因果律」を体験することによって、魂は体験を通して、様々な学習をすることとなる。

このように、魂は自由意志の元で、様々な行為を試し、その結果、得た手応えから、魂は喜びを感じたり、その反対に苦い経験をしたりする。そこから反省したり、新たな認識を得ることで意識は成長し、自己確立へと向かうことになる。

ここには、大昔に外宇宙から地球に侵入したダークサイドの連中たちも地球人に憑依し、様々な権力・支配・暴力・虚偽や隠し事・自己中心的な感情(自尊心と強欲)、等の悪意に満ちた行為を自由意志の元で、背後から助長してきた歴史がある。そして、その支配は今現在も、相変わらず、国家の上層部・指導層に憑依し、人類を支配ているという現実がある。

我々地球人類は、永い間この「善・悪」を見極めるための学習として、許される範囲の悪事も「必要悪」として、宇宙から愛情を持って見守られ、様々な経験値を積みつつ学習してきた訳だ。この学校も、目出度く卒業の日を迎えようとしているのである。

また、別の見方をすれば、この宇宙の保育器である「子宮内宇宙」で一定期間、置かれたので、(胎児も子宮内で十月十日が経ったので)、十分に胎児(地球人類)も育つことができた。それで、いよいよ出産の時期(2012年以降)が間近に迫り、地球も本格的に「外部宇宙」へと旅出って行かなくてはならない。

この来るべき時に、地球と人類の出産は、無事に「安産」として迎えることができるのか。あるいは、「難産」が予想されるのか?はたまた、最悪のケースとして「死産」になってしまうのか?「母体」と「赤子」の運命はいかに・・・!。我々に残された時間は極僅かであり、この間に地球人類の意識の目覚めと併せて、根のカルマの大浄化を果たし「次元移行」をある程度、達成させなくては地球と人類を安全な領域まで持っていくことはできない。

この「次元移行」が促進するにつれ、徐々に「外部宇宙」領域に出ることになるが、ここでは、以前のような「時空間因果律」の作用がまったく存在しない時空間領域なので、慣れるまで多少の時間がかかることが予想される。我々が以前に学習を通して感覚で体験してきた 『 因果の法則 』 が2012年以降、年を追う毎に、年々希薄になっていくという現象を体感することになる。

この頃から、電気製品の不具合が目立つようになり、最終的には、地球上の電気製品が一切使うことができなくなる。この原因について、世界中の科学者がみな首をひねる事態に陥ることになる。何故なら、この「次元移行」に伴い、時空間が、「電子レベル」から、「光子レベル」に切り換わるからである。

それを、うまい表現で言い表しているのに、「マヤの時間工学」がある。以前の「子宮内宇宙」では、「時空間因果律」の作用により、時間は一定(リニア)な時間感覚であったが、これから訪れる時間領域は、銀河の「放射状時間」に切り換わるという表現をしている。なぜなら、そこには時空間が因果律によって跳ね返るための「内部障壁」すなわち「檻(おり)」がない。

そのため、時空間は因果律の制約を受けずに、一気に宇宙に放たれることになる。そこでの時間感覚は、以前に体験したこともないような感覚領域に突入することが予想される。

前回の 「クリスタル・スカルに隠された暗号」〔TEXT-Ⅱ〕 の所でも書いたように、チャネリングによる宇宙の高位者からのメッセージに以下のようなメッセージが記されている。それによると、地球人類に対し、一定期間「檻(おり)」を設けたことを初めて明かされた。

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”「人間たちは今も、我々が宇宙のどこにいるのかを知りたがっている。三次元に固執するあまり、時空の相違性を超えた次元に我々がいるということが理解できないからだ」

「時空の本質は錯覚だ。時間とは、より高い知性によって、脳と肉体機能をコントロールするために作り出されたものに過ぎない。物質腐敗の防護壁とはなるが、本質的には存在しないものだ。

肉体と脳とから独立して存在するが、時間は物質の創造物だ。想念は時間無しに存在する。メカニズムとしての時間は、人間を三次元にそして地球にとどめておくために、物質と人間の心にもたらされたのだ。脳が理解できるものではなく、心が理解できるものを探求せよ」

「時間は数として人間にか関わっている。数も時間も、人間を時空にとどめておくための防護壁としてプログラムされたもので、深みのないものだ。

心によってではなく、脳によって機能している。人間を三次元の物質次元に繋ぎ止めるための脳の機能異常だと言ってもいい。

『数』とか『時間』とか『空間』とか名付けられている相対的なものは、三次元だけに関わる脳の機能で、人間はそれらによって現実という物質世界に囚われの身となっている。この時間の幻想はいつか消えていまう」”

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ここからも解かるように、地球は「宇宙の高位者」が、あらかじめ人類を「地球に止めて置くための防御壁」として設定したことにより、脳内感覚に支配されるようプログラムされたことを明かされた。このことにより、物質的な感覚は、主に「大脳の新皮質」によって捉えるため、宇宙の真実を映す世界から見ると、すべてが「錯覚」であり、この「錯覚」が地球人にリアリティーを作り出してきたともいった。

この『数』 とか 『時間』 とか 『空間』 とか名付けられている相対的なものは、三次元だけに関わる脳の機能で、これらは物質に囚われる現況ともなっている。何故なら、”時は金なり”という「諺」にも象徴されるように、『数』は、地球人の共通な品定めのスケールとして定着し、「モノ」や「金銭」を獲得するこが、自らにとって自由な人生を生きることができる、ということに直結しているからである。

この人生ドラマを生きることで、より感覚をエンジョイでき、それら様々な刺激を追い求めることで、より生きているという実感が強く得られるのである。そのことからも、 『物質』 や 『時空』 に強い結びつきを持ってしまう。

これら、「モノ」や「金銭」を獲得することが、人生の最大の目的という人にとって、その強い欲心から、時に、それが手段を選ばなくなると、たちまちダークサイドの力に憑依される危険性があるので、地球人は何よりも「欲心」や「自尊心」をコントロールする「理性」と「謙虚さ」を十分に学ぶ必要がある。

この「錯覚世界」に閉じ込められてきた地球人を喩えて言うなら、映画館に入った ”観客” に等しく、館内のスクリーンに映し出された映像世界にリアリティーを見出してしまうのである。これは、一種の「集団催眠」であるが、それにより、一時的であれ、映画の持つ臨場感を体感する訳であるが、映画の終了と同時に映画館を出て、現実世界に引き戻される。

そして、今やっと外の現実世界に自分が戻り、何時ものように楽しく会話を交わし、街を歩いていくが、ここでも尚、眠りから覚めることなく「錯覚世界」は永延と続くことになる。それは、単に場面が変っただけ!というナンセンスな「幻想世界」に自分たちが置かれているということに誰一人、気付く者、疑う者はいない。

感覚の奴隷は、外部のリアクション的な刺激(感覚による快・不快)に彩られており、その自動反応から多くの人々は、深い眠りに陥っている。とグルジェフは言っている。ようするに、何らかのストレスを抱えながらも、そのストレスを外部の刺激で、紛らわそうとする「夢遊病者」のごとく、軽い「陶酔状態」にいるようなものであり、このような状態に自分たちが置かれていることすら、気付かない状態ということである。

これを、かのプラトンも 『 洞窟の比喩 』 でうまい表現している。ちょうど、我々は洞窟の内側にいて、その奥の壁面に映し出された「人影」を真実の世界だと思い込んでいるという。プラトンいわく、「真実」は、「人影」を映し出す背後に存在する光源としての「太陽」に他ならないと・・・!。その光源である「太陽」の存在を人は、一向に気付いていない!ともいっている。

映画 『 マトリックス三部作 』 は、正しくこのテーマを扱った作品になっている。いみじくも 『 マトリックス 』 は、「母体」という意味があり、私はこの映画を見る度に、日本に昔からある童謡の 『カゴメ唄』 をつい思い出してしまうのである。

”カゴメ、カゴメ、かごの中の鳥は、いついつ出ある、夜明けの晩に、鶴と亀が、すべった、後ろの正面、だあれ?”


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1 コメント

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一人の人類として (yayyaydan)
2010-10-06 13:17:32
以前から夢の中や日常の営みの中で繰り返し感じ受け止めてきたものが、この宇宙観もしくは時空感をうまく表現してあり、うれしく思いました。専門知識はありませんが、地球人(生命体)としての心がうなずくのです。地球社会のグランドデザインをこれからもっと発想し描き続けようと思います。
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