2013年 年賀 2013-01-04 01:00:43 | Weblog 2013年からアルファ・オメガ循環へのカウントダウンがいよいよ始まった。 これから徐々に、地球や人の身体構造の変化が目覚ましい発展を遂げていくことだろう。 何故なら、地球も身体も宇宙の構造とリンクし、その臨界点を迎える時期が到来する。 このとき、何が起こるのか・・・? #超常現象 « 惑星二ビルの地球接近と地球... | トップ | フラワー・オブ・ライフの図... »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 久々の更新ありがとうございます。 (udema) 2013-01-07 19:36:02 いつも楽しみに読ませていただいてます。このところ更新がとだえていたので、やった~新しい記事だ~と大変喜んでいます。これからもご指導宜しくお願いします。 返信する はじめまして。 (たけ坊) 2013-01-08 03:11:20 昨年の11月頃、こちらのブログの存在に気づき、興味深く拝読させていただいております。一つ質問させていただいてよろしいでしょうか。"カゴメの原理"に出てきた"鏡"の話と、仏教の唯識等でいわれているような「この世は自己の心の表れ」という話は、とてもよく似ていると思うのですが、実質的には同じものと解釈してもよろしいのでしょうか?それとも違うものなのでしょうか?ご多忙中大変申し訳ございませんが、お時間の取れたときにでもお返事いただければと思います。宜しくお願い致します。たけ坊さん(1)はじめまして。ご質問の・・・"カゴメの原理"に出てきた"鏡"の話と、仏教の唯識等でいわれているような「この世は自己の心の表れ」という話は、とてもよく似ていると思うのですが、実質的には同じものと解釈してもよろしいのでしょうか?それとも違うものなのでしょうか?これについては、広い意味では同じ「自己の写し鏡」ということが言えると思います。但し、ハッキリ区別をするならば、唯識でいわれている「この世は自己の心の表れ」とい意味は、客観的な世界はすべて否定され、もっぱら主観的な心の面にウエイトがかけられています。一方、「カゴメの原理」に出てくる"鏡"の意味は、ある出来事を通して、自己との共通性を見出すことに重きを置いています。これは、問題事として自分に降りかかる出来事が起きた時、大概人は精神的に堪えるわけです。この場合、自己の欠点というか足りない部分に対し、環境から気付きが与えられる訳です。この出来事は、主に人間関係だったり、処理不能な事柄だったりしますが、この出来事を「外在神」からのメッセージとして捉え、逃げ出さないで問題直視する姿勢を養います。これには、強い精神性を必要としますが、自己の潜在意識と降りかかった出来事とを照らし合わせ、問題を解くための糸口を手繰り寄せます。そして、悩み葛藤の末に、遂に問題を解決していくわけです。この壁を乗り越える作業を通して、魂の成長も一緒に成し遂げていくことになります。これが「カゴメの原理」の全貌です。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
このところ更新がとだえていたので、やった~新しい記事だ~と大変喜んでいます。これからもご指導宜しくお願いします。
一つ質問させていただいてよろしいでしょうか。
"カゴメの原理"に出てきた"鏡"の話と、仏教の唯識等でいわれているような「この世は自己の心の表れ」という話は、とてもよく似ていると思うのですが、実質的には同じものと解釈してもよろしいのでしょうか?それとも違うものなのでしょうか?
ご多忙中大変申し訳ございませんが、お時間の取れたときにでもお返事いただければと思います。
宜しくお願い致します。
たけ坊さん(1)
はじめまして。
ご質問の・・・
"カゴメの原理"に出てきた"鏡"の話と、仏教の唯識等でいわれているような「この世は自己の心の表れ」という話は、とてもよく似ていると思うのですが、実質的には同じものと解釈してもよろしいのでしょうか?それとも違うものなのでしょうか?
これについては、広い意味では同じ「自己の写し鏡」ということが言えると思います。但し、ハッキリ区別をするならば、唯識でいわれている「この世は自己の心の表れ」とい意味は、客観的な世界はすべて否定され、もっぱら主観的な心の面にウエイトがかけられています。一方、「カゴメの原理」に出てくる"鏡"の意味は、ある出来事を通して、自己との共通性を見出すことに重きを置いています。
これは、問題事として自分に降りかかる出来事が起きた時、大概人は精神的に堪えるわけです。この場合、自己の欠点というか足りない部分に対し、環境から気付きが与えられる訳です。この出来事は、主に人間関係だったり、処理不能な事柄だったりしますが、この出来事を「外在神」からのメッセージとして捉え、逃げ出さないで問題直視する姿勢を養います。これには、強い精神性を必要としますが、自己の潜在意識と降りかかった出来事とを照らし合わせ、問題を解くための糸口を手繰り寄せます。そして、悩み葛藤の末に、遂に問題を解決していくわけです。
この壁を乗り越える作業を通して、魂の成長も一緒に成し遂げていくことになります。これが「カゴメの原理」の全貌です。