次なるステージは、銀河系の場と連動する。
← このイラストは、イメージ・トレーニング用
基本的にこれらの構成体は、「次元空間船」における中心座標に合わせることで得られる構成体である。このイラストは、かなり生成が進んだ段階のステージを表わしている。
これらの空間領域は、古くは釈迦の大乗仏教における曼荼羅図としても描かれていたが、特に色濃いのが、ポロブドールの遺跡であり、これは華厳経の世界観を模した 「蓮華蔵荘厳世界」 を表わしたものである。これら釈迦が著わした曼荼羅図 = 「蓮華蔵荘厳世界」 の背景は、実は 「銀河系システム」 そのものであり、ここを仏の住まう世界(仏国土=浄土)と称し、これを「蓮の華」で表わした。この仏国土は、仏が永い修行の結果、光明を得て、始めて到達できる 「彼岸の場」 ともなっている。
まさしく 「銀河」 は、宇宙空間に咲き誇る 「蓮の華」 である。この銀河の中心に、ひときわ明るい領域が銀河セントラル・サンであるが、このセントラル・サンは、5次元の魂のコアからなる集合体と深いつながりを持っている。
私もずいぶん前に、瞑想を行っている最中に突然、銀河のセントラル・サンの中に飛び込んでしまった経験があり、その時は巨大な魂の光明空間と自己の魂が溶け合い、懐かしさと歓喜を味わった。「三昧」(サマーディ)とは、このことかと思っていたら、しばらくして銀河の主宰神らしき大霊(銀河のブラフマン)が、私にコンタクトをとってきた。コンタクトとはいっても、姿・形は見えないが、巨大で高貴な意思ともいうべき存在とつながったのである。この経験から、銀河系と仏教の世界観とが深いつながりを持っていることを初めて知らされたのである。
因みに仏教では、これらの宇宙の霊太陽=大霊(大生命)は、華厳経の仏=盧舎那仏(ビルシャナ仏)の当体ともなっており、これは遍く光明を放つ太陽のような位置づけになっている。身近な例では、奈良、東大寺の大仏が、この華厳経のビルシャナ仏であり、光明の仏として国の安寧を願って建てられた。
今回のアセンションで、皆が次なるステージに無事にステップ・アップすることを願うが、これらの流れではっきり言えることは、皆が一様に自動的にステップ・アップすることはあり得ない。ようするに、自助努力や他者からの働きかけ無くしてステップ・アップすることは不可能だからである。他者からの働きかけを通し、自助努力する 「良き縁」 をもたらすこと。しかし、現代はなかなか真理が伝わりにくくなっていることも事実である。
これを仏教的な表現でいうと、現在は 「末法」 であり、精神的にかなり荒廃が進んできていて、いわば末期症状に近く、精神的に不安定な人が急増している。そのため、多くの人たちにとっての 「魂の救済」 が急がれている。
これら、現代の地球社会に住まう人々を 「凡夫」 の住まう 「娑婆世界」 と称し、ここから、かなり隔てた位置に、次なるステージとしての 「銀河系システム」 が置かれている。ようするに、彼岸に 「渡す」 道しるべとなるのが、「大乗菩薩」 の役割(お産婆さん)であり、特に現在は、これらの目覚めた人たちが率先して、それぞれ隣人に目覚めのための 「触発行為」 を行っていくことが急務となってきている。
かつての宮沢賢治も、銀河に憧れを抱いた一人であり、彼にこれだけ強い影響力を与えたもの、それが 『法華経』 であり、『法華経』 のイメージと銀河系とが結びつき、先んじて銀河の本質につながった一人であった。その後、彼の童話作品の中でも、特に最高傑作となったものに 『銀河鉄道の夜』 があるが、銀河へ 「渡す」 乗り物として、「蒸気機関車」 をモチーフに見事な描写で世に著わした。
物語は、人の死と銀河への旅立ちがテーマになっていたが、人の死後、それぞれの人によって行く先が決まっていた。ある意味、宿命的なものをそれぞれが背負っていたように思われた。つまり、今回のイニシエーションも、これとよく似たものがあり、この時期のための 「天の予告」 と捉えても一向に構わない。今、一番言えることは、”死んで気付く” よりも、”生きている内”に、気付き、共に生きている者同士で目覚めのための 「触発行為」 を行って行くことこそ最も大切な時期ときといえよう。
その結果、どれだけの人が、これから自己の本質に目覚め、彼岸に渡って行くのか、今のところかなり未知数ではあるが、しかし天のプログラムは、次なるステージを用意している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0a/4f/c49f1c8e2c2ad5b5bad9dc61e8410623_s.jpg)
基本的にこれらの構成体は、「次元空間船」における中心座標に合わせることで得られる構成体である。このイラストは、かなり生成が進んだ段階のステージを表わしている。
これらの空間領域は、古くは釈迦の大乗仏教における曼荼羅図としても描かれていたが、特に色濃いのが、ポロブドールの遺跡であり、これは華厳経の世界観を模した 「蓮華蔵荘厳世界」 を表わしたものである。これら釈迦が著わした曼荼羅図 = 「蓮華蔵荘厳世界」 の背景は、実は 「銀河系システム」 そのものであり、ここを仏の住まう世界(仏国土=浄土)と称し、これを「蓮の華」で表わした。この仏国土は、仏が永い修行の結果、光明を得て、始めて到達できる 「彼岸の場」 ともなっている。
まさしく 「銀河」 は、宇宙空間に咲き誇る 「蓮の華」 である。この銀河の中心に、ひときわ明るい領域が銀河セントラル・サンであるが、このセントラル・サンは、5次元の魂のコアからなる集合体と深いつながりを持っている。
私もずいぶん前に、瞑想を行っている最中に突然、銀河のセントラル・サンの中に飛び込んでしまった経験があり、その時は巨大な魂の光明空間と自己の魂が溶け合い、懐かしさと歓喜を味わった。「三昧」(サマーディ)とは、このことかと思っていたら、しばらくして銀河の主宰神らしき大霊(銀河のブラフマン)が、私にコンタクトをとってきた。コンタクトとはいっても、姿・形は見えないが、巨大で高貴な意思ともいうべき存在とつながったのである。この経験から、銀河系と仏教の世界観とが深いつながりを持っていることを初めて知らされたのである。
因みに仏教では、これらの宇宙の霊太陽=大霊(大生命)は、華厳経の仏=盧舎那仏(ビルシャナ仏)の当体ともなっており、これは遍く光明を放つ太陽のような位置づけになっている。身近な例では、奈良、東大寺の大仏が、この華厳経のビルシャナ仏であり、光明の仏として国の安寧を願って建てられた。
今回のアセンションで、皆が次なるステージに無事にステップ・アップすることを願うが、これらの流れではっきり言えることは、皆が一様に自動的にステップ・アップすることはあり得ない。ようするに、自助努力や他者からの働きかけ無くしてステップ・アップすることは不可能だからである。他者からの働きかけを通し、自助努力する 「良き縁」 をもたらすこと。しかし、現代はなかなか真理が伝わりにくくなっていることも事実である。
これを仏教的な表現でいうと、現在は 「末法」 であり、精神的にかなり荒廃が進んできていて、いわば末期症状に近く、精神的に不安定な人が急増している。そのため、多くの人たちにとっての 「魂の救済」 が急がれている。
これら、現代の地球社会に住まう人々を 「凡夫」 の住まう 「娑婆世界」 と称し、ここから、かなり隔てた位置に、次なるステージとしての 「銀河系システム」 が置かれている。ようするに、彼岸に 「渡す」 道しるべとなるのが、「大乗菩薩」 の役割(お産婆さん)であり、特に現在は、これらの目覚めた人たちが率先して、それぞれ隣人に目覚めのための 「触発行為」 を行っていくことが急務となってきている。
かつての宮沢賢治も、銀河に憧れを抱いた一人であり、彼にこれだけ強い影響力を与えたもの、それが 『法華経』 であり、『法華経』 のイメージと銀河系とが結びつき、先んじて銀河の本質につながった一人であった。その後、彼の童話作品の中でも、特に最高傑作となったものに 『銀河鉄道の夜』 があるが、銀河へ 「渡す」 乗り物として、「蒸気機関車」 をモチーフに見事な描写で世に著わした。
物語は、人の死と銀河への旅立ちがテーマになっていたが、人の死後、それぞれの人によって行く先が決まっていた。ある意味、宿命的なものをそれぞれが背負っていたように思われた。つまり、今回のイニシエーションも、これとよく似たものがあり、この時期のための 「天の予告」 と捉えても一向に構わない。今、一番言えることは、”死んで気付く” よりも、”生きている内”に、気付き、共に生きている者同士で目覚めのための 「触発行為」 を行って行くことこそ最も大切な時期ときといえよう。
その結果、どれだけの人が、これから自己の本質に目覚め、彼岸に渡って行くのか、今のところかなり未知数ではあるが、しかし天のプログラムは、次なるステージを用意している。