いやしの風景

フォトマスターEXの管理人がいやしの風景をお届けします。たまに雑談や撮影記なども。

良寛を読む

2018年09月12日 | 日記

ネットで良寛について書かれた本を調べると、その数の多さに驚く。それだけ魅力のある人物

である証なのだろう。一般には子供たちと手毬をついて遊んだ坊さん程度の理解だろうけれど、

実際はかなり奥の深い人物であることが知れる。

寺に住んだわけでもなく、仏法も説かなかったので、良寛禅師とか良寛和尚とか呼ぶのは適さ

ないように思われる。両著者もただ「良寛」とだけなのは実態をよく理解してのことだろう。

井本氏は文芸評論家であり、他方水上氏は作家なので視点が異なるのは当然だ。漢詩や短歌、

俳句などから人物像を読み解くわけだが、井本氏は人生に悩み続けた人として、水上氏は芸術

に精進した人として見ているのだが、私はもっと飄然と生きたような気がする。実際中野孝次

氏が「清貧の思想」で述べているように、作品は個人的でしかも作家と言うには数が少ない。

漢詩が500弱、短歌は1500程度で俳句と合わせても2000~3000ほどではないかと想像する。

漢詩に限って考えても、20歳くらいから74歳の示寂までの約50年間に500の作品だから、年に

10個程度なので、これでは作家と言うには少なすぎるような気がする。むしろ片手間と見たほ

うが当たっていよう。

良寛は22歳から岡山円通寺で十余年修行するが、その後流浪の旅に出る。近藤万丈と言う人が

高知で良寛に出会ったという話が残っていて、部屋には仏像一体と荘子(古代中国の哲学書、万

物斉同を説く)しか無かったという。私にはこれは興味のある話に思える。仏教書が無いのは先

に述べた、仏法を説かなかったことと符合するし、万物斉同は禅宗の死生一如とも符合するから

だ。ちなみに円通寺は曹洞宗。要するに良寛は本質に興味があって、俗にまみれた宗教には興味

が無かったという事らしい。貞心尼との出会いを興味本位に扱う向きもあるようだが、60歳頃の

話なので、信ずるに値しないと思う。良寛の葬儀には300人弱の会葬者がいたというから、多く

の人に慕われていたことは事実であり、貞心尼もその一人だったと言うべきだろう。

 

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