30年振り以上かもしれない。
私は京都で生まれ、その後親父の仕事のせいで各地を転々としてきました。
今年親父が死に、親父の墓がある京都に行くことが何回かありました。
ある熱い夏の日。沖縄へ帰る日です。
京都駅で時間があまり、何をして時間を潰そうかと思っていました。
ふと、死んだ親父の顔が頭に浮かび、もう30年以上も寄りついてなかった生家が見たくなりました。
京都駅から2,30分で行けるところです。
せっかく持ってきたK-7は疲れと暑さのため京都駅のコインロッカーにしまい込みました。
近鉄桃山御陵前駅で下車。駅を出ると見覚えのある赤い鳥居が見えます。
幼稚園の頃見た鳥居より小さく感じました。
とても懐かしく思え、ポケットのiPhone4で撮影をします。
鳥居をくぐって左側。
私が通っていた幼稚園です。キリスト教の幼稚園です。
記憶では木造の幼稚園でしたが、今でもしゃれた木造でした。
しばらく感慨にふけります。
いつも帰るとき男女で手をつなぎスキップして教室から出させられました。
スキップの出来ない私はいつも最後でした。
さらに歩いて行くと整然とした長い長い並木道が見えてきました。
桃山御陵につながる道です。
この道は不思議と歩いた記憶がありません。
鬱蒼とした森は子供には恐く見えたせいでしょうか。
この並木道を通らず、御陵の横を通る道を歩きます。
この道は昔舗装はされてなかったと思います。
母と姉と3人で毎日通った道です。
スーパーマーケット宣伝の飛行機がオモチャのパラシュートを空から撒いたりしていた時代でした。
買い物、幼稚園の行き帰り。いつも3人でこの道を歩いた記憶が強く残っています。
この道は基本的に大きく変わっていないようでした。
道の両側は鬱蒼とした森です。
天皇御陵のおかげで開発はできないからでしょう。
思ったより早く、右手に乃木神社の鳥居が見えました。
ここを曲がります。まもなく生家です。
思ったより道幅が狭く感じます。
そして線路にかかる橋が見えてきました。
生家から2,30mのこの橋の上ではよく祖母と姉と遊びました。
線路は単線で、いつも蒸気機関車が通ると歓声を上げ煙にまかれに橋の上にかけつけたものです。
今ではディーゼル列車が走っています。まだ単線でした。
あの頃、煙を吐いて走り去る蒸気機関車をいつまでも見つめていました。
子供ながらに線路がどこに続いているのかと考えていたように思います。
ずっと遠い世界に続いていると考えていたように思います。
この線路脇の道。
細い細い砂利道で、緑がうっそうと茂る森に続いていたと思います。
祖母と姉と3人で手をつなぎ、グミの実を採りにいったものです。
今では立派に舗装され、道も広くなり、その時の面影はありません。
線路を渡ると、左手に家が見えました。生家です。
こんな小さかったんだ。家の前の道もこんな狭かったんだ。
落ち葉で焼き芋をしていて、車のタイヤで足を踏まれたのを思い出します。
しばらく家を眺め見た後、先に進みます。坂があるはずです。
坂はありました。ずっと続く長い長い坂だったと思います。
この先に大きな川が流れていました。
ある日、近所で火事があり、姉と走って見に行くとき、この坂でつまずいてから、できなかったスキップができるようになりました。
坂の手前の左手は一面の原っぱでした。
蝶々や菜の花が満開でよく遊んだ記憶があります。
今は駐車場になっていました。
これが私の30年振りの帰郷です。