徒然なるままに 平和と音楽を求めて

平和憲法のもと日本は戦争しない国として、いろんな国の国民から賞賛されてきた。この日本が戦争する国に変質しようとしている。

皆川達夫さんのこと

2020-04-23 | 読書

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西洋音楽史学者の皆川達夫さんが4月19日に亡くなられたと報じられた。

皆川さんがかかれた何冊かの本を読んだ記憶がある。以前このブログに感想を書いていた。

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「中世・ルネサンスの音楽」

「中世・ルネサンスの音楽」を日比谷図書文化館から借りて読み始めた。

ルネサンス期の歌を歌い始めて、このようなハーモニーと心地よい響きが生まれるのは何故という疑問に答えてくれそうな本。

 多声音楽・ポリフォニーがヨーロッパで目立つようになるのは、9,10世紀ころからという。でもヨーロッパだけではないとも。

 12世紀後半になると、それまで修道院や教会でひっそり歌われていた多声音楽が大聖堂でたくさんの人々に聞かせるようになってきた。その中心舞台は、パリのノートル・ダム、経済の発展と自由都市の建設がすすめられた時代と重なる。

 14世紀、十字軍の終わりと町人出身の富豪の出現。ダンテやボッカチオが活躍する時代、多声音楽が宗教の世界から世俗の世界へと広がる。「アルス・ノヴァ(新音楽)」がギョーム・ド・マショーによって。

 中世のイギリスは、今日考えられているような不毛ではなかったとも。

フランドル・フランス学派が大きな役割、デュファイ、オケゲム、そして、ジョスカン・デ・プレ。ジョスカンの「約90曲に及ぶモテトゥスのうち、<アヴェ・マリア・・・ヴィルゴ・セレナ>は、練れた通模倣書法による傑作である。そのうち柔軟なポリフォニーの流れはたとえようもなく美しく、レオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』をれんそうさせる清澄な世界を繰り拡げてゆく」

 「ルネサンス音楽とは」と、問いかけ、「『古代の復興』というように解釈」することは正しくないと指摘、「中世の音楽とルネサンス音楽との決定的な相違点は、それは音を作曲家の表現意欲に従って、ひとつの有機体につみあげてゆこうとする力の方向である。」と述べている。

15~16世紀のイタリアは、フランドル・フランス系のポリフォニーが歌われ、内容も、恋人よさようなら><口づけしてと>など恋のシャンソンがミサ曲のなかにも鳴り響くこともあったという。このじき、宗教改革とあいまってカトリック側で改革が行われた。トレントの公会議で、教会音楽も対象となった。まさにこの時期に「パレストリーナが登場」パレストリーナの曲は、「ポリフォニーでありながら、つねに魅力ある旋律が鳴り響き、しかも温かく柔らかい和声(原則として基本位置による和弦)によって支えられ、不協和音は一定の手続きで用意され、解決されてゆく。」

「日本ではじめてヨーロッパの中世・ルネサンス音楽を聞いたのは、大内義隆と大友宗麟、そして織田信長と豊臣秀吉だあったと言ったら、」と、切り込んでいる。十分にあり得ることのようだ。

 「中世・ルネサンスの音楽」皆川達夫:著、講談社学術文庫


「東京人」4月号”クラシック音楽散歩”

2020-04-23 | 読書

買ったことのない雑誌を買って読んでいる。「東京人」4月号。この号のテーマは「クラシック音楽散歩」。散歩というだけあって、上野の奏楽堂から始まり、日比谷・丸の内・銀座・築地の街を歩く。築地鉄砲洲の外国人居留地にかつてあった西洋文化を象徴する学校なども紹介。

六本木、赤坂から初台、池袋を通って、紀尾井町、渋谷、王子、江戸川橋から川崎、青葉台へ飛んでいく。このなかで、青葉台のフィリアホールだけは足を運んだことがない。中央線では、カレンダーが埋まらないという心配がないという杉並公会堂。

 1900年に設立された関口教会にある東京カテドラル聖マリア大聖堂、小金井の宮地楽器ホールも「繊細な音も豊かに響くトップレベルを地元で堪能」と紹介している。

 指揮者やソリストも紹介しているが、西洋音楽のパイオニアとして幸田延・幸姉妹や森鴎外や夏目漱石の音楽とのかかわりについて触れている。山田和樹さんが、「日本の面白い作品をもっと聴いてください!」と話し、2016年にサントリーホールで演奏した柴田南雄さんの「追分節考」を語った。山田さんがカルタのように札をあげたり下げたりするとそれに合わせて演奏されるというパフォーマンスにびっくりしたことを思い出した。

 恩田陸、片山杜秀、林田直樹、大野和士の退団では、「官」と「民」は何ができるかとして、「あいちトリエンナーレ」の展示中止の問題や企業や政治家の理想的なサポートの方法、「日本人の演奏には哲学がない」との恩田さんの意見。まだ読んでいない「蜜蜂と遠雷」を読んでみたくなった。

 


自然豊かな野川

小金井市東町の南側を流れる野川。 国分寺崖線のはけの道に沿って。