pcfxはおっぱいの大きさに特にこだわりはない。
大きかろうが
小さかろうが、それは
女性のパーツの一部分に過ぎないし、性行為に特に必要な物ではない。
人間の女性のおっぱいが発達した理由には諸説あるが、最も流布されているものでは
「
サルは尻で発情期アピールをするが、直立歩行する人間は尻が目線に入りにくいので、
顔の直下にある胸でセックスアピールするようになった」という説がある。
pcfxの知人には超貧乳も巨乳もいる。確かに巨乳は非常に目立つし、アピールを感じる。
特に胸が開いた服を着て胸を寄せている人を見ると、その谷間に指を垂直に挿し込みたく
なる衝動には駆られるが、胸が真っ平らな女性でも顔が好みであればそれで十分だ。
ただ、以前ペッタンな女の子から「胸が小さい事に関する愚痴」を電話で数時間語り続け
られ、非常に疲れた事があった。そのことから、「胸の小ささを気にし過ぎる女性」には
辟易とするようになった。
軽くコンプレックスを持っている女性には萌えを感じるが、
あまりにコンプレックスを抱え、それに振り回されている女性はウザいだけで好感を
持てない。そういう意味では「適度にあった方がいい」と結論できる。
女性から胸の大きさに関する相談を持ちかけられても男性に何ができるというのか。
当たり障りの無い慰めの言葉をかけるだけしか選択肢はない。女性の相談というのは
問題解決を探る質問ではない。ただ愚痴りたいだけで、共感して欲しいというオナニー
である。そんなオナニーを見せつけられ、襲いかかったら訴えられるとかは何の罰ゲーム
なのか。胸の大きさの「相談」を持ちかけられ、「オレは気にしないからやらせろ」と
言えない「善良な男」に対して、女性は「酷い事」をしているという自覚を持ったほうが
いい。pcfxはあまり善良な男ではないので、「オレは気にしてないからやらせろ」と
言うが、それを責めるのもやめてほしい。善良でない男としては誘ってるとしか思えない
からだ。
これでもまだわからない女性には例え話をしよう。男性が事あるごとに「オレ、チンコ
小さいんだよね」と延々語られたらどうだろうか。やはり最初は当たり障りの無い慰め
を言うことしかできまい。アクティブで怖いもの知らずの女性なら「どれ、見せて見ろ」
というかも知れないし、それが言えない女性はセクハラに耐えるか訴えるしかあるまい。
そう、これはセクハラなのだ。男は訴えることすらできないのだから、胸のことで相談
するのは直ちにやめるべきだ。相談を持ちかけるのは誘ってる場合だけに留めてほしい。
でないと善良でないpcfxのような男は誘ってると思っていらない努力をし、その努力が
空振りになって「無駄なことさせんなボケ!」と怒り、その後相談してきた女性に対して
嫌悪し、人間関係がギクシャクしてしまうのだ。
集団における人間関係で問題を起こすのはたいがい女性だ。その「問題」とは、大抵が
このような「女性のセクハラ」が原因になっている。「誘っているつもりはない」という
がそれは言い訳に過ぎない。本当に誘うつもりがないのであればセックスアピールを微塵
も感じさせない格好をするはずであり、性的な話題を振るはずがない。つまり、イスラム
女性のような
全身を覆う服を着て、イスラム女性のように外出さえ控えるはずだ。その
ような努力もせずに、挑発的な服を着てフランクに性的な話題を男に持ちかけるのは
「ビッチ」と呼ばれても仕方のない行動であり、セクハラされようが痴漢に遭おうが
強姦されようが文句は言えないという「常識」を忘れた愚かな行為だ。売春婦でもない
のにそのような事をする方が間違っているのであり、売春婦のように見られたり扱われ
たりするのを覚悟するべきである。「ファッションだから」「流行りだから」というの
なら、ファッションで痴漢されても、流行で強姦されても文句は言えない。
さてこのような話をすると「襲う男が悪い」という意見も出てきそうだが、それは完全に
間違っている。本当に間違っているのは「性倫理」のほうであり、実際は男も女も
間違ってはいないのだ。男性の性とは準アクティブであり常にオフェンシブなものだ。
そういう体と脳の構造によって本能に強制されているのであり、男性の心理や精神が
悪いのではない。逆にその煮えたぎる本能を常に抑制しつづけるのは、実は大変な負担に
なっているという事を女性はあまり理解していない。もしその本能を責めるのならば、
ほとんど受動的でディフェンシブな女性の性の「やる気の無さ」や「保守的さ」も責め
られてしかるべきであり、それが平等だ。その不平等さは社会の性倫理にあり、一方で
女性の開放や社会参加を進めながら、一方では子供のように責任感を免除する。そんな
片手落ちでは、女性は脱いでいいのやら着込んでいいのやら迷ってしまうだろう。
だから本来は女性は間違ってないのだ。無論男性も間違ってはいない。
ヨーロッパで抗議運動をする女性が「トップレス」で抗議する事がよくあるが、これも
「脱いでいいのやらわるいのやら」という社会風潮に抗議しているわけだ。脱ぐことに
よって「ハッキリせえや!」と言いたいのだ。この抗議は非常に正当であり、pcfxも
大変に喜ぶ抗議方法だ。「おっぱいまるだし」という行動はセックスアピールを
煽りながら、逆に「おっぱいまるだし」はセクシーではない普遍的な姿だと主張する。
男性は平気で胸を出しているのに、なんで女性はいけないのかという抗議だ。全く正しい
し、本来は「まるだし」にするべきだと強く頷ける。未開民族の女性も常に「おっぱい
まるだし」だが、強姦や痴漢やセクハラが部族で蔓延しているわけではない。逆に
婚姻における純潔の方が重要視されている。
では、現代の性倫理のどこが間違っているのだろうか。このことを述べるには、人間が
どこまでを性の対象とするべきかの枠組みを定義する必要がある。性行為とは生殖行為の
事だが、生殖可能となった時から生殖不能となった時までが行為の対象年齢となる。
個人差はあるが女性なら
10歳から
50歳前後あたりだ。人間は嗅覚が弱いので、女性に
生理が来ているかどうかは匂いではわからない。フェロモンには反応しているのかも
しれないが、ここではそこに言及しない。匂いでわからないので、言語や観察や推測に
よってそれを計るしかない。「あなた生理はもう来ましたか?」といちいち聞いて回った
り、いきなりパンツを下げて「ふーむ」とか観察したりするのは多少無理があるので、
大体の年齢から推測せざるを得ない。よって10歳から50歳あたりを「生殖適齢期」と
定めるのが適当だろう。
ロリコンも熟女マニアも合法である。もちろん傷害は性倫理より優先されるべきなので、
男性のサイズも勘案せねばなるまい。平均よりも小さい人は低年齢でも可だが、大きい
サイズの人は下限年齢が上方修正される。これは定期的な身体測定によって公式に許可証
を出すべきであり、「あなたのペニスは勃起時に長さ20センチ、太さ5センチなので
レベルBと認定し、25歳以上の女性、若しくは経産婦との性交のみ許可する」などの
許可証が国家に発行される。女性との性交前には許可証の提示が義務付けられ、許可証
を提示しなかった場合は強姦として処罰もありえる。
女性もサイズを計測され、女児も身体測定で膣口を広げられて傷害を負わないサイズを
計測される。「あなたの初潮は4ヶ月前に確認された。あなたの膣口の拡張負荷限界は
直径1.4cmなので、それ以下のサイズのペニスを持つ男性との性交を許可する」などと
書かれた許可証を国家保険委員会あたりが発行する。それを提示しないと処罰される。
各個人の性癖や好みによって手術でサイズを変更する事も認められる。ロリコン男性は
対象年齢に応じたサイズに縮小手術を行い、熟女マニアは拡張手術を行う。
さて、出産を前提とした生殖行為だが避妊も許可される。但しあくまで避妊は失敗の
可能性があるので、やはり出産を前提とした行為という原則が適用される。一般的に
生殖可能なら出産も可能だ。だが出産適齢期というものがあり、これは優生保護法を
強固にせねばならない。またそれには遺伝子の優劣も勘案しなければならない。また
遺伝子の多様性にも配慮が必要であり、重篤な遺伝病を定義し、それ以外は許可する事
になる。許可された以上は遺伝的な病気や傷害は個人と国家で責任を持って保護される
ので、国民皆保険制度は肯定され、より充実される事になる。つまり税金から捻出される
のでその分増税になる。だから出産に危険性のある生殖行為は節税の為に認められない。
出産が困難とされる場合は生殖行為許可も降りない。だからサイズ的に適合する場合
でも、出産困難の場合は許可されない。いくら早く初潮が来ても体全体のサイズが一定の
大きさになるまで許可されない。また高齢者の場合、高齢出産や遺伝子の機能低下など
による障害児出産の回避という事から、一定年齢で生殖機能を停止する手術を行える。
手術を行わない場合は50歳前後で許可証が発行されなくなる。あくまで出産が前提
だからだ。
男性の性を挑発する服装を公共の場で着用する場合、セクハラや痴漢や強姦などの性犯罪
に対する防衛権は著しく剥奪される。裁判時、被告に大きく情状酌量が認められる。
「挑発する服装」に関しては挑発される側の性癖によって変わる上、時代と共に変化する
ものであるという特性から、大多数の原則的かつ普遍的性向であるという理由の元に
「露出の多い服装」という定義になる。「肩、二の腕、胸、腹、背中、性器、臀部、腿」
を露出する服装を公共の場で着るべきでなはないという事になり、もし公共の場に故意に
そのような服装をしてきた場合には「露出罪」という軽犯罪の扱いになる。
また、誘惑する目的でなく男性を挑発するような言動を行った場合は「挑発罪」という
軽犯罪として扱われる事になる。これは親告罪なので男性側から訴えが合った場合に、
一方的に男性側の主張を根拠に検分される。現在の「セクハラ」や「痴漢」と同じ方式
である。女性側は「挑発罪」に問われないよう懸命な努力をしなければならない。
「あの女が挑発する目線をオレに向けた。あれは誘っていたのだ」と男性に言われない
ように、公共の場では男性に目線を向けず、うつむいていなければならない。
「あの女、胸が小さい事をオレに相談してきた。あれは誘っていたのだ」と言われない
ように、身体に関する相談を男性にしてはならない。
「あの女、電車の中でオレに体を寄せてきた。誘っていたのだ」と言われないよう、電車
で絶対に体を接触しないように気を張っていなければならない。
「あの女がバレンタインにチョコをくれたのだ。誘ってきたのだ」と言われないように、
義理チョコなどを安易に配るべきではない。
挑発罪を親告された女性は警察に逮捕され、事情聴取される。どんなに「そんなつもり
ではなかった」と弁明しても無駄である。一旦逮捕されるとたちまちメディアに実名で
公開され、「またビッチが挑発」と見出しと写真が載り、「以前からやたら色目を使う
女だった。逮捕されて安心した」などの男性同僚のインタビューが掲載されるのだ。
まあこんなことくらいは、現在男性がされている事なので女性に反映されても当然の事
だ。これは女児にもオバハンにも婆さんにも適用される。
「この女児が自分からヒザに乗ってきたのだ。これは誘ってる」
「あのオバハンが自分で人前に脱いだのだ。誘ってる」
「あの婆さんが暑いからといって脱いだ。誘ってる」
これらも全部「挑発罪」の適用になる。女児の場合は責任能力はないが、それによって
セクハラや痴漢や強姦に発展した場合は被告は情状酌量を受ける。処罰は教育が至らな
かった両親に転嫁され、マスコミの取材に土下座して謝罪した上で、被告にも謝罪する
事になる。「ウチの娘が大変申し訳ない事をしました。私どもの教育が至らないばかりに
あなた様を挑発し、許可証提示のない性交をさせてしまった事を深くお詫びします」と
涙ながらにマイクに語り、その映像はネットによって世界中に出回るのだ。
許可証のある女児は自己判断によって性行為をする事ができる。但し判断能力が十分に
ないと保護者が判断した場合は、許可証を携帯して出歩かないように預かる事ができる。
だから許可証を持っていて性行為に同意した場合は強姦罪は適用されない。問題は
同意したかどうかであるが、他のあらゆる契約は書類を取り交わし、捺印が必要なのに
対して、性行為だけ例外というのはおかしい。性行為も書類に印鑑を押す契約書を
取り交わすのが正しい。
「私山田花子(以下甲とする)は、鈴木太郎(以下乙とする)と平成23年3月13日午後
7時15分より生殖を原則とする避妊による性行為を行うことに同意し、売春行為ではない
ので、この性行為による一切に金品の授受を行いません。また避妊失敗によって妊娠
した場合は、当該法によって堕胎、若しくは出産する事に同意します。乙の性行為許可
証を確認し、適正な相手である事を確認したしました。乙も甲の性行為許可証を・・・」
と、このような契約書に公証人役場で記入し、捺印して役場に書類が受理されたら、
今度は保健所や病院に出向いて性病の検査を行う事になる。検査結果がでるまでは
性行為は違法であり、お互いの検査結果を確認した上でやっと性行為を行える。また
相手が女児や男児であった場合、許可証はあっても後に責任能力についてトラブルに
ならないように、児童の両親に事前告知をする事が義務付けられている。
「私こと鈴木太郎はこの度、あなたがたの次女である山田花子(9歳6ヶ月)と、来たる
3月13日午後7時15分に性行為をする事になりました。必要書類のコピーを同封しました
のでご確認下さい。場所はお宅の次女の寝室で執り行います。必要な道具類は持参
致しますのでおかまいなく。また私の趣味により、山田花子に学校の体操着を着用させ
ますが、洗濯の際、その汚れについて詮索しないようにお願いいたします」
これを受けて両親は、本当に同意の上なのかを次女に問いただす事になる。性行為や
妊娠について正しい知識があるのかどうかを家族会議する。それでも同意であると
認めると反対する理由もないので、認定状を発行する事になる。
「今回の当家次女の性行為に関して、次女に十分な知識と同意がある事を確認しました。
また同封の書類も公的に認められたものであると確認致しました。ついてはこの度の
次女の性行為を認める事になりましたが、次女が低年齢であることと、初体験である
事から鑑みて、私ども両親の監督下で行うという条件を提示致します。性行為の邪魔は
致しませんが、万一次女が痛がるような事があった場合に行為の中止を提案する事を
ご承諾下さい」
こうして鈴木太郎氏は合法的にロリとの性行為を果たすことができるわけだ。両親が
横から「もうちょっとローションを足したほうが」とか「その体位だと挿入角度が」とか
多少うるさかったと思われるが仕方がない。
どうだろうか、これらの話はどこかおかしいようでもあり、正しいような気がしてこない
だろうか。全ては一定のルールの不在に起因し、一定のルールによって起こっている
不具合なのだ。そしてルールを徹底するととても面倒くさい事になり、許可証なしの
非合法性行為が横行するだろう。つまり現状と変わらないわけだ。
動物全般における性行為は行動では特殊なものであり、その扱いは「エラー」として捉えるべき
ものだ。動物は繁殖期になると「
無駄な動き」をして求愛する。通常は捕食者に見つから
ないように鳴りを潜めるものだが、繁殖期だけはその危険を犯し動きまわり、鳴き叫び、
色彩を派手にして誇示する。人間も同様に、発情すると理性が飛んでしまい、冷静な行動
ができなくなり、判断を誤る。しかもオスは常に発情の準備下にあり、メスは毎月発情する。
人間に近い動物はメスの発情に触発されてオスが発情する。人間は着衣によってメスの
発情サインがわからないので、オスは常に「無駄な動き」をしていなければ機会を失う。
それを見たメスはオスが常に発情しているように見えるので、他の動物と同じように自己
の発情期以外は
手痛く拒絶する。拒絶されたオスは混乱して、一層滑稽で哀愁を誘う
「無駄な動き」を繰り返すのだ。これが「人間の哀しさ」であり、「人間のマヌケさ」を
表している。常に着衣するようになってから、人間は「狂気のいきもの」になったのだ。
昔、21世紀には、人々は体にピッタリとした全身銀色のスーツを着るものと予想されて
いたが、見えない発情期に翻弄された22世紀の人類は、裸族に戻るだろう。服なんか
着ているからややこしいことになったのだ。22世紀、科学によって身の回りの温度が
完全にコントロールされる技術が確立されると服を着る必要がなくなり、最低限必要な
道具を入れるポーチなどを裸体にぶら下げて歩くだろう。また生まれる子供の保護が
保証される世の中になっているので、妊娠や出産における不安がなくなり、現在のような
法的疎外もなく気軽に性行為を行うことになる。生まれた子供は支援を受けながら自分で
育ててもよいし、国家に預けることもできる。原始共産制に近い制度となるだろう。
裸族で原始共産制だから、その様子はまさに原始人である。
科学に守られた原始人は、それでもまだ胸の大きさに悩んで「おっぱいをまるだしにする
かどうか」でモメているかもしれないが、それをグダグダと男に相談するのが女だ。
そして触ると怒る。そこは怒らずに「イヤ~ンまいっちんぐ」と言っておけば全て丸く
収まるのだ。
マチコ先生はこの世の真理であり、福音であり、女神だったのだ。