今年のゴールデンウィークも複数の山岳遭難事故がニュースになった。
もしかすると毎年のようにこの類いの文章をアップしているかもしれないが、今年も書いてみようと思った。
登山はある意味「麻薬」のようなところがある。
一定のレベルをクリアすると、人は必ず高次の目標にチャレンジしようとする。アブラハム・マズローがいう「自己実現の欲求」のことだ。
これは人が元来持つ特性であり、もちろんよい点でもある。この山を登ったから次はあの山を…。このルートから登ったから次は少し難しいあのルートから…。
これが繰り返されることになる。そしてそれをクリアする都度自己効力感が高まり、エスカレートしていく。止められなくなるのだ。
しかし人はほぼ例外なく加齢とともに衰える。次の…、次の…の積み重ねを想像すればわかるだろう。
そこには自らの実力を過信した老人が居る。
登山の実績と体力が反比例し、一定のところで不具合な事態が生じることもあろう。
このようなことは日常にいくらでも散見される。
時代の変化を学ばず経営力を過信した経営者。毎日運転してきたからと齢80を過ぎても運転し続けるおじいちゃん。子供の運動会で骨折するお父さんなど…。
笑い話ではない。人は元来そういった存在である。だからこそ自己を客観視する目が必要だ。そして、そのために他者の存在がある。
これからは山へ行く老人に勇気を持って言おう!
「もうやめた方がいいのではないか?」と。
もしかすると毎年のようにこの類いの文章をアップしているかもしれないが、今年も書いてみようと思った。
登山はある意味「麻薬」のようなところがある。
一定のレベルをクリアすると、人は必ず高次の目標にチャレンジしようとする。アブラハム・マズローがいう「自己実現の欲求」のことだ。
これは人が元来持つ特性であり、もちろんよい点でもある。この山を登ったから次はあの山を…。このルートから登ったから次は少し難しいあのルートから…。
これが繰り返されることになる。そしてそれをクリアする都度自己効力感が高まり、エスカレートしていく。止められなくなるのだ。
しかし人はほぼ例外なく加齢とともに衰える。次の…、次の…の積み重ねを想像すればわかるだろう。
そこには自らの実力を過信した老人が居る。
登山の実績と体力が反比例し、一定のところで不具合な事態が生じることもあろう。
このようなことは日常にいくらでも散見される。
時代の変化を学ばず経営力を過信した経営者。毎日運転してきたからと齢80を過ぎても運転し続けるおじいちゃん。子供の運動会で骨折するお父さんなど…。
笑い話ではない。人は元来そういった存在である。だからこそ自己を客観視する目が必要だ。そして、そのために他者の存在がある。
これからは山へ行く老人に勇気を持って言おう!
「もうやめた方がいいのではないか?」と。