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存在の不思議、無常の力

キャリアコンサルタント、田中道博のブログです。
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登山と人と

2014年05月08日 | たわいない話
今年のゴールデンウィークも複数の山岳遭難事故がニュースになった。

もしかすると毎年のようにこの類いの文章をアップしているかもしれないが、今年も書いてみようと思った。

登山はある意味「麻薬」のようなところがある。

一定のレベルをクリアすると、人は必ず高次の目標にチャレンジしようとする。アブラハム・マズローがいう「自己実現の欲求」のことだ。

これは人が元来持つ特性であり、もちろんよい点でもある。この山を登ったから次はあの山を…。このルートから登ったから次は少し難しいあのルートから…。

これが繰り返されることになる。そしてそれをクリアする都度自己効力感が高まり、エスカレートしていく。止められなくなるのだ。

しかし人はほぼ例外なく加齢とともに衰える。次の…、次の…の積み重ねを想像すればわかるだろう。

そこには自らの実力を過信した老人が居る。

登山の実績と体力が反比例し、一定のところで不具合な事態が生じることもあろう。

このようなことは日常にいくらでも散見される。

時代の変化を学ばず経営力を過信した経営者。毎日運転してきたからと齢80を過ぎても運転し続けるおじいちゃん。子供の運動会で骨折するお父さんなど…。

笑い話ではない。人は元来そういった存在である。だからこそ自己を客観視する目が必要だ。そして、そのために他者の存在がある。

これからは山へ行く老人に勇気を持って言おう!
「もうやめた方がいいのではないか?」と。

私の「冒険」観

2014年05月08日 | キャリア
私自身の真ん中にある言葉、それは「冒険」という言葉だ。「自己概念」についた名前である。自分と自分を含む世界を「冒険」と捉えている。

「人生は冒険」だと思っている。だから出会う人は皆、人生という「冒険」の中にいると見ている。

さて、その「冒険」とはなんだろう。おそらく辞書的な意味合いとは異なる。

一般的に「冒険」とはどこかへ出かけていって、野外活動を伴う行動を指すのだろう。故植村直己さんや三浦雄一郎さんなどが「冒険家」と呼ばれる所以である。

しかし私のいう「冒険」は少し違う。もちろん上記のような行動は間違いなく「冒険」である。植村直己さんの本はワクワクして読んだし、すばらしい冒険家だと思う。

私の捉える「冒険」は日常にある。仏教には「四苦八苦」という言葉があって、人生に困難はつきものだ。避けては通れない。

避けて通れないのだから、正面からぶつかって乗り越えるしかない。風雪に耐え、急坂を越え、岩場をよじ登るのと大きな違いはない。

そして困難を克服したときの喜びや、ひとつの山を超えたときの達成感もまた「冒険」であり日常に存在する。

つまりは日常を過ごすこと自体が「冒険」だと捉えている。

「人生行路」という言葉もある。人生を旅に例えることもある。人は人生という「冒険」をいかに自らの色に彩るか、いかに楽しむかを命題として生きていると信じている。

この話。いくらでも話題が出て来そう。今日はこのへんで。

「生き方」の話

2014年05月08日 | キャリア
求職者の方とお話ししていて感じること。それは「転職」を志す動機についてあまり考えておられないケースが多いことだ。

地方においては今や給与アップに繋がる転職はない。そのような中で明確な転職理由を持たずして戦うことはますます自分を安く売ることに繋がる。

「なぜその仕事に就きたいのか?」「なぜその会社なのか?」「なぜ自分なのか?」を語ることを求められるのに、それがない人が多い。

私の仕事の多くはそのことに気づいていただくことだ。「背中を押す」ことはあまりよい結果に繋がらないと認識している。

そのときはいいかもしれない。「背中を押していただいたおかげで、うまい具合に就職が決まりました。」と感謝されるかもしれない。

しかし、いざ仕事に就いてみるとそこには就業前には気づかなかった壁がいくつも立ちはだかる。思い通りにならないことの方が多い。

このような壁を乗り越える力は、つまるところ本人次第。仕事を決める前から「軸」があったかどうかだ。

深い自己理解のもと「自らが選んだ!」という感覚が大切だ。選んだからには「選択責任」がある。少々の壁はこれで乗り越えることができるはずだ。

「こんなはずではなかった。」が即「転職失敗」に転じてしまうのは、つまり入口の心構えから間違っている。転職=パラダイスでは断固あり得ない。

「自分とはどのような人間で、どう生きるのか。」

こういった基礎の上にはじめて、よい転職が築けるのだと思う。

働くって…?

2014年05月07日 | キャリア
転職支援をしていると、残念ながら紹介した方が退職したという情報を知ることがある。流動化の時代と言われる昨今。ある意味当たり前だという見方も出来よう。

しかし、私にとってみれば残念極まりないことだ。

もちろんすべての条件、すべての環境を漏れなく把握して紹介はできない。しかし、結局は自らが選んだ道である。

なぜそれほどまでに早く退職せざるを得ないのかということを考えてみた。わずか数年でなぜ自己の決断を翻すのか…

いくつかのパターンがあると感じている。
1.自分には「天職」があると本気で信じていて、それを探すため。
2.仕事は「我慢してするもの=苦行」だと思っていてプライベートに生きる道を求める。
3.こんなこともあんなこともできるのに、それをさせてもらえないと不満。
4.「守・破・離」を理解しない。入社後間もないのに現状を否定することしかしない。
5.自己否定が甚だしい。

上記が複合的に存在する人もいれば、どれかの人もいる。

天職は、本気になって働いた末に自然とやってくるものだ。楽しんで働かないと人生が無駄な時間に支配される。

また自己の客観視は大切だし、「理解してから理解される」ことは社会人としてのデリカシーの問題。

そしてもう一つは「I love me」というキーワード。自分を愛せなくて誰が愛してくれるのか。助けてくれるのか。

さて、改めて「働く」って…?
実は身近で大切なこと。でもほとんどの大人、考えていない気がしている。

ニュアンスの違い

2014年05月07日 | キャリア
私は、自身のことを「キャリアカウンセラー」と名乗ることを好んでいる。

一般的には「キャリアコンサルタント」という表現もあるし、仕事上でそのように名乗ることが多い。

単なる言葉の問題なので、こだわる必要はないといえばない。しかしニュアンスの違いはあるだろうし、こだわりもある。

しかしその「ニュアンス」について考えてみると、これも取り方は百人百様。人それぞれだ。

例えば「キャリア」という意味の捉え方もたくさんあって、何も示されなければどのように捉えるかは取る人次第だろう。

「仕事」や「職歴」のことだという前提で話を進めるのと、「キャリア」とは「人生全体」だと捉えるのとでは大きく違う。

「専業主婦にキャリアはないのか?」というとそれは違うと思うし、ボランティアだって立派な「キャリア」になりうる。

自ら生きる意味を見出し、学び、成長できる過程を過ごしてきたことが「キャリア」に繋がるのだと思う。

では「カウンセラー」と「コンサルタント」の違いは?ということも考えてみる。自分自身の中にある「ひっかかり」は何か?

私にとって「コンサルティング」とは相談業務自体で収入を得ることだ。また向かう方向性について、「問題解決」の提案を行うというニュアンスを持つ。

しかし、問題解決を行うのはあくまでもクライエントである。

「キャリアカウンセリングとは傾聴によりクライエントの自己概念の成長を促すこと」

こちらの方がしっくりくる。