今日5月11日は1970年に植村直己と松浦輝夫が日本人として初めてエベレストに登頂を果たした日だそうだ。
現在からは比べものにならない装備や情報で成し遂げた栄誉。しかしその後の二人の人生は異なっている。
植村はエベレスト登頂後の8月にマッキンリーに登り、世界初の五大陸最高峰登頂者となった。冒険家としてのキャリアを重ね、最後はそのマッキンリーで消息を絶つことになる。
かたや松浦は1981年に隊長としてK2(世界で2番目の高峰)登頂後に引退。実業家としての道を歩み現在も存命中だ。
冒険家としては植村の方が有名だし、国民栄誉賞も得た超一流である。しかし松浦の生き方にも惹かれる。
材木商として会社経営、その後1990年代には屋久島で陶芸に打ち込み、その収益をネパールの学校へ奨学金として寄付している。
彼が山の第一線から退いた理由はわからない。しかしやはり彼の地への思いを持ち続けながら経営者として身をなし、芸術家へと転身していったことが窺える。
いずれにせよ人生はさまざまだ。それぞれの思いで山を見つめそして行動し、その積み重ねが人生をつくる。
他のエベレスト登頂者の名前を調べると気になる人がいた。
1996年5月11日。今日からちょうど18年前のこと、ひとりの登山家がエベレスト下山中に命を落としている。
そう、今日は難波康子の忌日でもあった。
世界最高峰をめぐる人間模様、人生模様は同山の登山適季であるこの時期に集中する。
現在からは比べものにならない装備や情報で成し遂げた栄誉。しかしその後の二人の人生は異なっている。
植村はエベレスト登頂後の8月にマッキンリーに登り、世界初の五大陸最高峰登頂者となった。冒険家としてのキャリアを重ね、最後はそのマッキンリーで消息を絶つことになる。
かたや松浦は1981年に隊長としてK2(世界で2番目の高峰)登頂後に引退。実業家としての道を歩み現在も存命中だ。
冒険家としては植村の方が有名だし、国民栄誉賞も得た超一流である。しかし松浦の生き方にも惹かれる。
材木商として会社経営、その後1990年代には屋久島で陶芸に打ち込み、その収益をネパールの学校へ奨学金として寄付している。
彼が山の第一線から退いた理由はわからない。しかしやはり彼の地への思いを持ち続けながら経営者として身をなし、芸術家へと転身していったことが窺える。
いずれにせよ人生はさまざまだ。それぞれの思いで山を見つめそして行動し、その積み重ねが人生をつくる。
他のエベレスト登頂者の名前を調べると気になる人がいた。
1996年5月11日。今日からちょうど18年前のこと、ひとりの登山家がエベレスト下山中に命を落としている。
そう、今日は難波康子の忌日でもあった。
世界最高峰をめぐる人間模様、人生模様は同山の登山適季であるこの時期に集中する。