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存在の不思議、無常の力

キャリアコンサルタント、田中道博のブログです。
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世界の広がり、宇宙の広がり

2014年05月05日 | たわいない話
先般テレビで宇宙旅行について取り上げられていた。

「その日」を心待ちに、すでに予約金を支払っておられる方が多くいるらしく、彼らのネットワークまで出来て盛り上がっているらしい。

それぞれの価値観で日々を生き、どうしても宇宙へ行きたいという思いで過ごされることは自由だが、私にはその感覚がない。

このテレビ番組。セットで思い出した顔があった。

故立松和平氏だ。生前、彼がインタビューに答えこのようにおっしゃっていた。

「旅をすればするほどに、世界は広くなるのです。」

世界中を旅した氏の言葉は重い。

普通に考えれば、知る場所が多くなるほどに知らない場所が減り、世界が狭く感じられると思えるかもしれない。

しかし、そうではなくて広がるというのだ。

立松氏の「世界の広がり」とはつまり、どこまで行っても知り尽くすことはないということだ。なぜならばそこには日常があり、様々な人間模様がうごめいているからだと私は理解している。

宇宙の話に戻ろう。たかだか数分間宇宙から地球を眺めて、なにがわかるのか。そんなちっぽけな世界観・宇宙観で過ごしているのか。私なら想像力だけでそこへ行くことが出来る。

物理的なエリアの広がりよりももっと意味深いものがあるはずだ。

それは例えば「人の心」だったり「存在の不思議」だったりするだろう。

物理的に宇宙へ行くことよりも、内的な問いかけこそが人生の価値だ。こちらの「宇宙」の方が広く深い。

日本人と地震

2014年05月05日 | たわいない話
今朝方、関東で大きな地震があった。しかしさほど目立ってはニュース等で取り上げられなかったようだった。

これが関西圏で起こった地震であれば、かなりの大騒ぎになっていたかもしれないなどと考えていた。

統計的なことは調べていないが、私が暮らす西日本に比べると東の方が地震の頻度は高いように見受けられる。

東日本大震災という未曾有の被害をもたらしたあの地震を経験している関東の方にとっては、今朝の震度4~5弱という揺れはたいしたことがないのかもしれない。

それなりに備えもあってか、街は平静を保っているようにみえた。

日本は「地震大国」だと言われている。この狭小な国に暮らす日本人は古来多くの被害を繰り返し甘受し、都度多くの悲しみや理不尽さに耐え、そして乗り越えてきた。

もちろん関東圏ばかりではなく、西日本にも歴史上数々の被害が記録されている。

800年前の時代には京都を中心に大地震があったそうで、鴨長明の「方丈記」にも記述がある。最近では阪神淡路大震災も記憶に新しい。

それにしても、世代を経ればあまりにも自然災害への備えが出来ない。

しかし考えてみると、この場所を選び暮らす以上自然災害による理不尽な死は避けられない。悲しみの記憶を消し去ることも大切な能力・知恵なのかもしれない。

自然はそれほどまでに偉大なのだ。コントロールはできない。

改めて、無常観が根付いた土壌や、支え合い励まし合って生きる文化など、日本人の清廉さを思う。

ひまわりの季節

2013年07月27日 | たわいない話
今日はフィンセント・ファン・ゴッホの忌日だそうだ。

彼は特に晩年苦しい日々を過ごしたが、ポスト印象派の代表的存在として数々の名作を遺している。

多くの人物画も描いているが、彼の風景画も味わい深い。独特の力強いタッチは吸い込まれるような感覚を受ける。

しかし、ゴッホと聞いて真っ先に思い浮かぶのは「ひまわり」という作品だ。花瓶に挿されたひまわりは7枚描かれたそうだが、現存するのは6枚だ。

この時期の彩りに欠かせないそのひまわり。香川県にも「ひまわりスポット」があるらしいので行ってみたくなった。

ただ、ひまわりには青空が似合うのだけれど、今日はあいにくの曇り空なのでどうだろう。

ひまわりも夏の思い出には欠かせない。学校で種を撒き育てたことがあった。あの外連味なくまっすぐに陽を追う姿は、その花言葉さながら「情熱」や「輝き」の象徴であり心晴れる気がする。

熟れて種が取れる頃になると、それをおやつ代わりに食したことも思い出す。

「ひまわりを食べる」という認識のなかった私は、香ばしくて甘いその実の虜になった。そういえば飼っていたハムスターえさを食べたこともある(笑)

さて、今日ひまわりを見に行くかどうかを逡巡していたのだが、このような言葉に出会ったので出かけてみることに決めた。

「美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ。」(フィンセント・ファン・ゴッホ)

薄雲に映えるひまわりを見に行こう!

祭りだそうだ

2013年07月25日 | たわいない話
今日は、日本三大祭りのひとつ、天神祭の日だ。

私は生まれてから33年と9ヶ月の間大阪で暮らした。だから天神祭は常に身近にあった。しかし、ついぞその場に赴いたことはない。

理由はおおよそ「人混みが苦手」であるということだろうか。
「祭り」の本当の楽しさを理解しないのかもしれない。つまらない人間と言われればそれは否定できない。

祭り好きな人は理屈でなく心が躍るのだろう。子供の頃から身近にあったそれが愛おしくて仕方ないのかもしれない。

高校時代、地元の祭のために学校を休む同級生がいたが、まったく理解できなかった。
「皆勤賞」もらえないし(笑)

もちろん、ハナから否定しているわけではない。そういった行事を真剣に運営し、命がけで参加している人の心意気には敬意を持つ。

だから祭りで騒げない自分に寂しさも感じる。ある意味生きる楽しみの数パーセントを失っているとも言える。

生きる楽しみの…という意味では、食べ物の好き嫌いもそうだ。

例えば、私は鶏が食べられない。これも相当の「楽しみ」を失っているし、同席の方に迷惑をかけるケースもある。

こうして考えると、偏りあることは決して幸せではない。気づかぬうちにチャンスを失っていることになる。

人の嗜好は多種多様で正答はない。感じ方も考え方も人それぞれだ。
そういった違いを許容し、何でも楽しめる自分でありたい。

って、本当は思ってないのでは…

うん。ないかも(笑)

ダ、ダメじゃん…

チャン、チャン!

バルセロナ追憶

2013年07月25日 | たわいない話
1992年の今日、バルセロナオリンピックが開幕しました。
私自身にとっては記憶に新しく、年月の流れには驚くばかり。21年も前のことです。

その大会で日本は3つの金メダルを獲得しています。

最も印象に残るシーンは、水泳女子200メートル平泳ぎ。岩崎恭子さんの金メダルでした。14歳になったばかりの才能に世界が驚きました。

残りの二つは柔道です。

古賀稔彦と吉田秀彦。

試合前の乱取り稽古で、古賀が怪我をするという大ピンチ。練習相手だった吉田は重いプレッシャーの中で戦い勝ち抜きました。

また、怪我をした古賀も吉田に悲しい思いをさせてはならないと奮起。勇敢かつ老練な戦いを繰り広げ勝利を得ました。

金メダルだけがオリンピックではありません。他にも感動シーンはたくさんありました。しかし上記3名のことだけを捉えても、スポーツの持つ力を感じます。

あの頃の自分はどんな状況で何を思い日常を過ごしていたかなどにも思い至ります。

人生は上手くいくことばかりではありません。なんらかの障害が次から次へと目の前にやってきます。落ち込んで立ち止まることもあります。

おそらく上述の選手達もそうだったでしょう。でも結果を出した。そこから学ぶことは多いと思います。

今日はこの言葉を胸に一日に向かいます。

「あきらめからは何も生まれない。1%の可能性でも見出そうと、壁に向かったときにこそ、自分の中に秘められていた新たな力が出てくる。」(古賀稔彦)