【1492年(名応元年)】
スパイスの国、インディアの地へ向けて。さらには黄金の国、ジパングへ向けて、西へ西へ帆を進めた、
クリストファー・コロンブス。25歳以降の人生で、ドン・クリストーバル・コロン提督と名乗った彼は、出帆以来、克明に航海日誌をつけていた。航海に出て約2ケ月後、ついに陸地を発見。その最初の島であるグアナハニ島に上陸、領有宣言の後にサン・サルバド-ル島と命名。そして、その後はインディアの地であり、ジパングも近いと信じ込んでいた未踏の地、実は西インド諸島の島々を帆船で探検することになる。その目的は、2つ。当時から、希少価値の高かった、黄金と香辛料を手に入れるためと思われる。このコロン提督の膨大な日誌を、後にバルトロメー・デ・ラス・カサス神父が要録、それがコロンブスの航海日誌として広く知られるようになったが、その中に次のような1493年1月15日の記録がある。「アヒー(Aji)は、大量にある。アヒーは、彼らの香辛料であり、コショウよりも値打ちがある。食事の際にアヒーを食べない人間は、誰もいない。アヒーは、健康によいということである、云々」 (青木康征 編訳 「完訳 コロンブス航海誌」 株式会社 平凡社)。西欧諸国で珍重されていたコショウ(ペッパー)ではないが、先住民の香辛料を手に入れた感激が読み取れる。それから500年以上経過した今では、世界各国に2000種類とも5000種類とも存在すると言われる唐辛子が、国際社会への登場を果たした瞬間だったのである。また、アヒー(Aji)は、アラウカノ族(南米、先住民)の言語で野生の唐辛子、原種を意味しており、現在でもペルーやエクアドルには、アヒー(Aji)と呼ばれる、唐辛子ソースや調味料が料理に使われているのである。この2ケ月後、航海日誌の3月15日、提督はパロスに帰港。カステリア(スペイン)国王に、唐辛子の原種を持ち帰った。唐辛子も、歴史はコロンブスから始まったことになる。
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