●7月4日(月)
この日は現地ツアーに参加しました。
英語ガイド付きで、
オビドス -> アルコバサ -> ナザレ -> バターリャ -> ファティマ
の5箇所を回りました。
●まずはオビドスへ。
オビドスは中世の城壁に囲まれた人口800人余りの可愛い村で、中世の趣きを残しています。
メインゲートの【ポルタ・ダ・ヴィラ】↑
18世紀のアズレージョで覆われ、とても雰囲気があります。
隅っこでおばあさんがひとり、手芸をしていました。
【地球の歩き方】にも手芸をしているおばあさんの写真が載っているのでいつもいるみたい。
家々は花が咲き乱れ、可愛いお土産屋さんが並んでいました。
サンタマリア教会はこじんまりとして ↓
内部のアズレージョ(17世紀のものだそう)がすばらしかったです。
私はオビドスが気に入りました。
●次はアルコバサへ。
サンタ・マリア修道院は世界遺産です(写真なし)。
1153年から創設が始まったそうで、禁欲的なシトー派の精神に基づいた簡素な作りでした。
その中で、ペトロとイネスの石棺の緻密な彫刻が目を惹きました。↓
ペトロ(未来の国王)が結婚相手の王女についてきた侍女イネスに恋をしたのですが、
その顛末は、暗殺、暗殺とつながっていき、なんとも悲しいものでした。
ペテロは王位継承後、イネスの遺体を墓から掘り起こして、正式な妻と教会に承認させ、
今はこうして揃って眠っています..
●次はナザレへ。
日差しが強くて暑かったです~~
砂浜には海水浴用のパラソルが並び(日本とは違っていました)
その向こうに青い海が続き、すかっと明るい眺めでした。
7枚重ねの短いスカートをはいたおばあさんを見るのを楽しみにしていたのですが、
ツアーなので、1箇所の滞在時間が短く、どこに行っても大慌て。
7枚重ねのおばあさんをなんとか4人ほど見つけたのですが、全員未亡人のようで黒づくめでした。
赤いパラソルの下に座る黒づくめのおばあさん、その向こうのパラソルの下のおばあさんも黒づくめ。
お昼はツアーのみんなで一緒に頂きました。
20数名のツアーだったのですが、
日本人は私達の他にメキシコ勤務の20代の男性がいました。
3テーブルに分かれたのですが、私達のテーブルは、
日本人3人、スペイン人2人、ドイツ人2人、イギリス人1人。
どの人も皆で話そう話そうとして、和気あいあいとした楽しい時間となりました。
「日本には昔仕事で行ったことがある。シブヤ、ロッポンギ、ハルミ..」
「スペインのグラナダはよかった」
「私も行ったことがある。アルハンブラ宮殿はベリーベリービューティフルだった」
「地震は大丈夫だったか」
地名とか行ったことがあるとか簡単な会話なので私にもなんとかわかりました。
食事はスープ、パン、お魚、プリンでした。
ナザレをゆっくり見られなかったのは本当に残念でした。
●バスはバターリャへ向かいました。
バターリャはポルトガル語で【勝利】を意味し、
スペインからの独立をかけての戦いに勝利したことがこの地名の由来だそうです。
バターリャ修道院は勝利に感謝して建てられました(1388年着工)。
この修道院も世界遺産です(写真なし)。
●最後にファティマへ。
1900年代になって聖母マリアが出現するという奇跡が起こったとされ、
今はカトリックの大聖地となっています。
以上でこの日のツアーは終了、皆でリスボンまで帰ってきました。
ツアーはやっぱり慌ただしかったです。
私の感想は..オビドスとナザレの2箇所だけに行ってゆっくりしたかった~~
この記事のコメント欄は閉じさせて頂きますね。
この日は現地ツアーに参加しました。
英語ガイド付きで、
オビドス -> アルコバサ -> ナザレ -> バターリャ -> ファティマ
の5箇所を回りました。
●まずはオビドスへ。
オビドスは中世の城壁に囲まれた人口800人余りの可愛い村で、中世の趣きを残しています。
メインゲートの【ポルタ・ダ・ヴィラ】↑
18世紀のアズレージョで覆われ、とても雰囲気があります。
隅っこでおばあさんがひとり、手芸をしていました。
【地球の歩き方】にも手芸をしているおばあさんの写真が載っているのでいつもいるみたい。
家々は花が咲き乱れ、可愛いお土産屋さんが並んでいました。
サンタマリア教会はこじんまりとして ↓
内部のアズレージョ(17世紀のものだそう)がすばらしかったです。
私はオビドスが気に入りました。
●次はアルコバサへ。
サンタ・マリア修道院は世界遺産です(写真なし)。
1153年から創設が始まったそうで、禁欲的なシトー派の精神に基づいた簡素な作りでした。
その中で、ペトロとイネスの石棺の緻密な彫刻が目を惹きました。↓
ペトロ(未来の国王)が結婚相手の王女についてきた侍女イネスに恋をしたのですが、
その顛末は、暗殺、暗殺とつながっていき、なんとも悲しいものでした。
ペテロは王位継承後、イネスの遺体を墓から掘り起こして、正式な妻と教会に承認させ、
今はこうして揃って眠っています..
●次はナザレへ。
日差しが強くて暑かったです~~
砂浜には海水浴用のパラソルが並び(日本とは違っていました)
その向こうに青い海が続き、すかっと明るい眺めでした。
7枚重ねの短いスカートをはいたおばあさんを見るのを楽しみにしていたのですが、
ツアーなので、1箇所の滞在時間が短く、どこに行っても大慌て。
7枚重ねのおばあさんをなんとか4人ほど見つけたのですが、全員未亡人のようで黒づくめでした。
赤いパラソルの下に座る黒づくめのおばあさん、その向こうのパラソルの下のおばあさんも黒づくめ。
お昼はツアーのみんなで一緒に頂きました。
20数名のツアーだったのですが、
日本人は私達の他にメキシコ勤務の20代の男性がいました。
3テーブルに分かれたのですが、私達のテーブルは、
日本人3人、スペイン人2人、ドイツ人2人、イギリス人1人。
どの人も皆で話そう話そうとして、和気あいあいとした楽しい時間となりました。
「日本には昔仕事で行ったことがある。シブヤ、ロッポンギ、ハルミ..」
「スペインのグラナダはよかった」
「私も行ったことがある。アルハンブラ宮殿はベリーベリービューティフルだった」
「地震は大丈夫だったか」
地名とか行ったことがあるとか簡単な会話なので私にもなんとかわかりました。
食事はスープ、パン、お魚、プリンでした。
ナザレをゆっくり見られなかったのは本当に残念でした。
●バスはバターリャへ向かいました。
バターリャはポルトガル語で【勝利】を意味し、
スペインからの独立をかけての戦いに勝利したことがこの地名の由来だそうです。
バターリャ修道院は勝利に感謝して建てられました(1388年着工)。
この修道院も世界遺産です(写真なし)。
●最後にファティマへ。
1900年代になって聖母マリアが出現するという奇跡が起こったとされ、
今はカトリックの大聖地となっています。
以上でこの日のツアーは終了、皆でリスボンまで帰ってきました。
ツアーはやっぱり慌ただしかったです。
私の感想は..オビドスとナザレの2箇所だけに行ってゆっくりしたかった~~
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