私感・雑感

平和、平穏。

安全、安心。

でもそれらを脅かすものは許さない。

自己理解と他者理解……相互理解と将来への可能性②

2011年02月03日 | 日記

ライブそれ自体、あるいは書物それ自体についての内容については既にあちこちにアップされているので、それらの記事をどうぞ読んで下さい。

私は3年前の夏までは、自分に障害があると気付かずに過ごしていた。ただ、何か違うな、とか、ちょっと不思議だな、って気はしていた。
でもそれの何たるか、ということまでは……正直、核心がつかめないでいた。

例えば職歴にしても……はっきり言って、俺の履歴書は傷だらけなんで、市販のフォーマットにおさまりきらず、止むを得ずPCで自作する羽目に……><

でも、そう、転職本とかによく書いてある「職歴はどんな短いのでも省略すべからず」ってのは必ずしもそうじゃない、ってことにも……気付かないんだよね~ハハハ!

あまりにも転職歴が多過ぎて、自作のフォーマットでも扱いきれなくなってさ(爆)ようやく「少し省いたろかぁ~」って思う始末。

今?社会保険とか年金手帳の記録にないところはかなり大胆に間引きしてます(^^;だってバレナイもんね。

話を元に戻すと、そう、どうして俺はいつも仕事が長続きしないんだろうな、って……例えば人間関係が破綻したり、あるいは、疲労困憊して体調不良を起して止めざるを得なかったり……。
ま、職場環境と上司のせいもゼロじゃないけど、その大抵は発達障害の問題と密接な結びつきがあるんだろうな、って思った。

最初はね、はっきり言って障害は認めたくはなかった。
なんて言うんだろうな、何もかも全てをそのせいにしてしまうんじゃないか、って……自分は白黒はっきりつけたがる面も強いし、何事につけてもその理由を求めて納得したがる傾向も強いから、だから、全てを障害のせいにしたくない、という気持ちも強かった。

でも、WAISⅢという発達検査や、色々な心理検査の結果を見て、これは事実なんだから、受け止めていかなくっちゃいけない、そう……思うようになった。

その頃から半年くらいの間かな、発達障害について、色々な情報を得るのに夢中になっていたのは。

そう、アスペルガーの特徴は、とか、自閉症スペクトラムって何だろう、とか、広汎性発達障害とは何か、とか、あるいはLD、ADHD、サヴァン、ディスクレシア、ハイパレクシア……。

そういう中で、自分以外の発達障害の人、って実はひとりしか知らなかった。
もっと多くの発達障害の人たちと知り合いになりたい、と……思った。

中京エリアに本部を置く当事者会があるのは知っていたが、何せ遠いのでそれは断念。

発達障害の人たちの書いているブログに何か情報はないかと、探しまくってみた。

するとどうやら関西にも当事者会が複数存在することが分かった。

その中で、比較的交通の便もよく、行きやすいところで、とあるNPOが開催している当事者会に、おそるおそる参加してみた。

慣れない場所に行くのは緊張する。でもここぞというときはやはりスーツだろう、という勝手な自分の決め事があって、花見の頃だからちょっと暑かったけど、冬物スーツで出かけた。

あ、モトカノとの最初で最後のデートのときも同じスーツだったか。

実はそこに参加したときには、1回だけ顔出しして、つまり様子を見て判断しよう、という意図もあって、だから……あまり多くを語るつもりなどさらさらなく、隅っこの方でおとなしくしている予定だった。

ところが、である。

どうしたことか……語る語る……(^^;

さらに近くのファミレスで開かれた二次会にも足を運んだ。

そこに参加したみんなの優しさと、そのGW(グループワーク)、そしてアフターの居心地の良さに、それから毎月参加する運びとなった。また、翌月からは、当事者のご家族と支援者も交えたGWにも参加するようになった。

いつしか、月2回のGWは私にとっては欠かせないリズムになっていた。

およそ半年が過ぎ、参加者も大幅に増える頃、最初に自分が参加したときの目的……他の当事者のみんなの思いを知ることや、自分自身のことを語ること……から、自分の参加意識が変わってきていることが分かった。

こういう場は、もっと広げなくってはいけない……。そう、思うように、なった。
だから、いつか自分もGWを旗揚げしたい、そう……思うようにもなった。

だから、多くの当事者仲間たちとの触れ合いもさることながら、どちらかと言えば、自分自身がGWを立ち上げたときの、いわばファシリテーターの修業、そういった位置づけの方が自分にとってはより濃厚になっていった。

また、世間ではまだまだ発達障害についての理解も、かつてよりは進んできたとはいえ……まだまだだし、もっと自分自身があちこちでカミングアウトして、発達障害とは何かを理解してもらうこと、それが啓蒙活動につながる、と思ったりしていた。

講演会の企画を聞いたのもこの頃だった。

丁度その頃、所属の組合の大会で、100人以上の参加者の前で、たった7分くらいの短い時間だが、自らの障害を明らかにし、その上で対処してほしいことなどについて……発言した。

発言は結果としてそれ自体が労働問題とどう結び付くのか、私自身ですら自分の話す中で解明しきれなかった点などについても、討論のまとめの場では書記長が綺麗にまとめてくれた。
(ちなみに数ヵ月後の合宿では、2次会でそのことが少し話題になった。
その半年後つまり昨年の秋の大会では、議案書に発達障害の文字が載る運びとなった。
ちょっぴり、嬉しかった。)

その直後に、淡路島へ合宿http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pai31415/diary/200912#2に出かけた。
楽しかった。ためになった。美味しかった。

年末に、春に開かれる講演会に向けて、その実行委員のひとりに選ばれた。
年明けから、結構バタバタするようになったが、みんなの協力や助け合いで、どうにか春の講演会http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pai31415/diary/201003#23は成功裡に終わった。

物凄い黄砂の日、幸砂の日。

それからしばらくは、新しいイベントもなく、いや、5月にSST合宿があったんだが、まあ、これについては色々と語るまい。

その直後に先述のオフ会があった。

それからしばらくして、数ヶ月間にわたってNPOで色々とあって……詳細は語らないが、私は他の数人の仲間たちとともに、その団体を去らざるを得なかった。

寂しく、悲しい決断ではあったが、それが当時の自分にとっての自己一致であったからだ。

さて、じゃあもうその団体の誰とも繋がっていないのかというと、そういうわけではなく、同時に立ち去った仲間たちとは今でも仲良くしてもらっている。

また、今でもその団体に通っている仲間とも、何らかの形でやりとりもあったりする。

勿論旧NPOやそこの仲間たち以外にも、支援センターなどの方々とも自身の発達障害についての考究は進めていて、少しづつではあったが自身の特性や特徴、あるいは向き不向きなども次第に明らかになってきた。

その中で、どうも自分の思っていたこと、つまり、世間の多数派、いわゆる発達障害のない人々に対して、俺たちや私たちのことを理解してほしい、分かってほしい、という……そういう姿勢でいいんだ、って思っていたこと、それはどうやらちょっと違うぞ、というのが……おぼろげに形作られはじめてきた。

自分にできることとできないこと、得手不得手は誰だってある、それを理解してもらうのは大切なんだけど、でも、非当事者だって理解しようとはしていても、なかなか理解できないことだってあるかも知れない、その辺も僕ら当事者は理解したいと思っている、そんなことも……なんとなく、だけど、感じつつあった。

以前私は、啓蒙啓蒙と躍起になっていた(注;意識だけで実際には行動が全く伴なっていないのだが)ときに思っていたこと、それは、アドボケイトということで、行政を突き動かしてもっと色んな支援の形を特性に応じて拡大していくことができれば、というのもあったし、多くの生き難さを感じている当事者の居場所が沢山できれば、というのもあった。

だが、今は微妙に違う。

先日のライブでひとみさんもMCの中でおっしゃってたこと、あるいはブログにも書いておられることと重なるようで申し訳ないのだが……

私を含む、当事者の人は……自身の障害が分かるまで、他の人との違いにはうすうす感づいていて、こう……何て言うんだろうな、何かが違う、何かがおかしい、でもその中心が何なのか分からない。

でも他の人たちと仲良く、つまり社会適応をしたいがために、他人のことを必死で観察する、学ぶ……
確かに思い返してみると、そうだった。

その、多くの当事者の思い、社会適応のために必死の努力をする中で、日常の色んなことにも問題意識を持ってそれらを言語化して4コマ漫画もつけて思いを綴ってきておられるのがhttp://ameblo.jp/asupe-san/しーたさんのブログであり、そのブログが書籍化されたものがhttp://shop.gakken.co.jp/shop/order/k_ok/bookdisp.asp?code=1340458400「アスペルガー症候群だっていいじゃない」だ。

一口に、アスペルガー、あるいは発達障害当事者と言っても、そうではない人々が人それぞれ違うように、障害の特性の現れ方も、また強弱も、あるいは二次障害の有無も、み~んな違う。
だから日々発生する困りごとや直面する問題もみんな違うわけで……。

だから、これは飽くまでしーたさんの体験されたこと、経験されたことがベースにされているのであって、全当事者がこれに当てはまるかというとそうではない。

それはしーたさんも最初に書いておられる。

俺も読んでいて、ウンウンなるほどなぁ、って思うところもあったし、へぇ~そうなんだぁ、って思うところもあった。

しかし発達障害のことを知らない人が最初に手に取る本としては、その読みやすさ、分かりやすさ、面白さ……。
最初の本として、入門書として最適かと。

そうそう、世間に出回っている発達障害の「ちょっとオカタイ」本ってね、その多くは……精神科医、あるいは大学の先生の執筆された本の多くが……はっきり言って「ナイナイ尽くし」なんだよね。

そう、これができない、あれが不得意、それはできない……
そういった本ばっかり読むと、当事者なら自己否定感を強くするし、そうでない人が読んだら下手をすると偏見を抱いてしまい、ややもすれば差別意識につながる危惧を感じる。
それは俺の考えすぎなのかも知れないが……。

これまで当事者目線で書かれた本って、あるいは当事者が著した本ってさほど多くなかったような……
森口奈緒美さんの「変光星」「平行線」、あるいは外国ではテンプル・グランディンさんの、あるいは家族・支援者の立場から「晴れときどきアスペルガー」……などなど。
最近でこそちょっとづつ増えてきてはいるけどね。

これからも、もっと色んな立場の当事者からも、色んな意見の本が出されていけばいいな、って思う。

それから最後になったけど、もうひとつ思ったこと、それは……ね、発達障害があろうがなかろうが、みんな人として、人間としては同じなんだし、どの道いずれはひとつになるんだろうしさ、くだらないことで喧嘩したり、いがみ合ったり、あいつは定型だから分かりっこないとか、あるいは当事者は人の気持ちが読めない、とか、しょうもない諍いや揉め事なんかやめて、み~んな仲良くできればいいな、って。

まあ、なかなかそう簡単にはいかないのが現実かも知れないけどさ、でも……

今すぐでなくっても、100年後、200年後、いや、もっと近未来かも知れないし、あるいはもっと遠い将来かも知れない。

でも、きっと……そうなると思うし、そう願って止まない。

そんなとこかな、うん。