個人的には共通の心情を感じる。
長崎の少女の場合は、バスケをやめてしまった喪失感がトリガーとなって、
生きがいを失った「虚無感」に沈んでいたんだと思う。
寝屋川の少年の場合は、「本当の自分」が求める何かを掴めずに、
彼自身が「家族の望んでいる自分」になろうとし続けて、
強い「虚無感」に沈んでいったんじゃないかな。
本人が気づいていなかったかもしれないが、
大きなずれがあるのを彼自身では調整できなかったんだと思う。
「僕はこんな人です」って自己主張のできる子じゃなかったんだ。
「いじめがあったのに・・・」は、彼がいかに人が苦手だったかの、
「助けてくれなかった」は、彼の孤立感・孤独感の現れだと思う。
実際に客観的にそう認められるものがあるかどうかには関係なく、
彼はそう感じていたんだ。
「虚無感」は、一旦心の中に生まれると、なかなか消えないものだ。
彼らは、その中に凶行に至るまで、飲み込まれてしまったんだ。
ネット上の匿名性を盾に暴言を吐き続ける連中と同化して、
攻撃的になり、イライラを募らせて、世界中が敵だと思ってしまた彼女も、
自らの立場や思いをひたすら押し殺して、
強い孤独感から世界が敵となり、やり場の無い不安感と虚無感に沈んだ彼も、
共に「虚無」にとりつかれてもがいていたんだと思う。
学校の警備とか、いじめがどうとかよりも、僕はこの「虚無」に注目したい。
過去のいくつもの事件で、「虚無」が関わっていたはずだ。
大人がそれに目をむけ、一緒に戦ってあげないと、子供たちはその闇の中で
溺れてしまう。
「虚無」はどこから生まれてくるのか?
もっと早く救ってあげられないものだろうか。
長崎の少女の場合は、バスケをやめてしまった喪失感がトリガーとなって、
生きがいを失った「虚無感」に沈んでいたんだと思う。
寝屋川の少年の場合は、「本当の自分」が求める何かを掴めずに、
彼自身が「家族の望んでいる自分」になろうとし続けて、
強い「虚無感」に沈んでいったんじゃないかな。
本人が気づいていなかったかもしれないが、
大きなずれがあるのを彼自身では調整できなかったんだと思う。
「僕はこんな人です」って自己主張のできる子じゃなかったんだ。
「いじめがあったのに・・・」は、彼がいかに人が苦手だったかの、
「助けてくれなかった」は、彼の孤立感・孤独感の現れだと思う。
実際に客観的にそう認められるものがあるかどうかには関係なく、
彼はそう感じていたんだ。
「虚無感」は、一旦心の中に生まれると、なかなか消えないものだ。
彼らは、その中に凶行に至るまで、飲み込まれてしまったんだ。
ネット上の匿名性を盾に暴言を吐き続ける連中と同化して、
攻撃的になり、イライラを募らせて、世界中が敵だと思ってしまた彼女も、
自らの立場や思いをひたすら押し殺して、
強い孤独感から世界が敵となり、やり場の無い不安感と虚無感に沈んだ彼も、
共に「虚無」にとりつかれてもがいていたんだと思う。
学校の警備とか、いじめがどうとかよりも、僕はこの「虚無」に注目したい。
過去のいくつもの事件で、「虚無」が関わっていたはずだ。
大人がそれに目をむけ、一緒に戦ってあげないと、子供たちはその闇の中で
溺れてしまう。
「虚無」はどこから生まれてくるのか?
もっと早く救ってあげられないものだろうか。