ベクトライズ

様々な出来事について、その過程や流れ、方向性を自分なりに探っていきたいと、ベクトルと「分析」をひっかけた造語です。

またしても「虚無」の影(東大阪の少年の事件)

2005年04月23日 13時55分31秒 | 暗い事件について
また、悲しい事件になってしまった。

被害者には申し訳ないけれど、彼の行動にある程度のブレーキが掛かってくれたことを幸運に思う。

受験がきっかけかどうかは分からないが、希望や将来展望を失っていたのは確かだと思う。

「虚無に捕らえられた者」は、建設的・創造的にはなれない。自分自身に存在価値も見出せない。
その中で彼らは、自己を放棄し、攻撃的な行動をとる。自暴自棄、全てを終わりにしたい思い。その場合、彼らの敵は社会全体であり、その社会に大切にされている「何か」は憎むべき存在になるということなのだ。

「全てを終わりにしたい」という思いは、自殺者とも共通するものだ。(偶然にも有名人が自殺したニュースも流れているが・・・)
自殺者との違いは、攻撃の方向性だけだ。内に向くか、外へ向くかの違い。それだけだ。

今回も、目的や希望を失って自分の存在を放棄しようとする、社会全体を敵視している様子がありありと感じ取れる。

家族の問題なのか、受験の問題なのか、社会の問題なのか、全て複合した問題なのか?
大手の新聞も今のところ経過を大きく取り上げていないが、このケースは経過を詳細に報道すべきだ。

最後の工程でブレーキが掛かっている点から、彼がまだ正常に思考できる範囲内に留まっている可能性が高い。それなら、彼の心の内が出てくるはずだ。
「心の動き」がこの事件の本質だあり、多くの人々に知らせることが、この手の事件を防ぐ最も有効な手段になるはずだから。

虚無に落ちていく人々、特に子供たちを救うために、「ひとごと」にして聞き流してはいけない。
多くの人たちが、親たちが、自分自身に問い掛けることが必要だと思う。