ベクトライズ

様々な出来事について、その過程や流れ、方向性を自分なりに探っていきたいと、ベクトルと「分析」をひっかけた造語です。

園児刺殺事件について

2006年02月18日 11時56分54秒 | 暗い事件について
「まさか引率者が…」登園中の惨事に衝撃 園児2人殺害 (朝日新聞) - goo ニュース

動機について語ることは無いかもしれない。
本人は殺人そのものよりも、殺された子供達の存在を排除したかったのではないかと思う。彼女にとってはとても重い存在で、心理的に耐えられなくなったのだろう。

親同士の関係は、案外微妙なものだ。思惑の違う部分が多々あるはずだ。新興住宅地は、別々の環境から別々の嗜好を持った、関連性のない人たちが集まっているから、既存のコミュニティーが存在しまい場合もある。そうなると、もともと自力で人間関係を作るのが苦手な人にとって、まわりの人とのコミュニケーション自体が難しいものになる。内向的で、文化背景も違う外国人なら、なおさら難しい状況だっただろう。

僕の住む地域にも、多くの外国人がいるし、子供の小学校にもフィリピン出身のお母さんもいる。以前お隣にいた中国出身のご夫婦とは、お互いが引っ越した後も葉書のやり取りが続いている。ご本人達も、自分達が日本の生活に慣れてはいても、周りの人たちと同じにできないことがあることを意識しているし、そのことを回りも理解してフォローしている。どこでもそうだとは思わないが、日本人は外国人には優しい。

ただ、なじめないまま離婚して帰国したお母さんもいた。その人の場合は、内向的で自分から人と話すのが苦手なようだった。どのように対処していいかわからないことが多く、よく迷っていたようだが、例えば「担任の先生と話してみたら?」というようなリードでは、話を進められなかった。そのように勧めてしまうと、突き放されたように感じていたようだ。積極的にコミュニケーションできない人には、慣れない土地で関係の薄い人たちと話しをするというのは、とても大変なことなのだ。

生活自体が負担になっている人がいて、うまく相手に気持ちが掴めないまま、コミュニティーの中で一定の役割を果たし続けることの心理的な負担は、周りの想像を超えるストレスだったはずだ。その中で、他の子供達を預ること自体が重く苦痛なものになり、重圧を排除しなければ耐えられなくなったとしたら、犯行へのベクトルは理解できなくもない。

殺人なのだから、理由を付けて肯定するものではない。数々の事件が起きている時期だから、社会的な影響も大きいし、父兄にとってはあまりにもショックな出来事だろう。ただ、彼女の心の動きを解き明かしていくことは、最近ありがちな犯罪の温床を理解する大きな鍵になる。もし、この推察が正しければ、今回のケースは比較的理解しやすい構造になっている気がする。

孤立。内向する思い。限界に達した時の悲しい結末。加害者を憎んでも、何も解決しない。社会はこういう心理的弱者をどのように救っていくのかを考える必要があるのだろう。ご主人の影が出てこない点も気になるが、諸事情があるだろうし、批判するつもりはないが、誰かが何とか支えてあげられないものかと考えてしまうのは、僕だけではないと思う。

彼女もきっと、やがて自問することだろう。どうして、そこまでに至ってしまったのか。そして、我々は何ができるのだろう。