長崎の少女の件は、小学生ということもあるが、
寝屋川の事件では、すでに高校生の年代。
「個の希薄さ」を感じずにはいられない。
おとなしいで済ませてはいけない何かがある気がする。
「自己主張」は大切なことだ。
思うこと、感じることを的確に表現して、まわりの人に伝えることで、人としての存在を示すことができる。それをしないと、まわりの人たちにとっては価値のないものになってしまう。
徒党を組んで仲良しを装う前に、個としての己をしっかり形成すべきなんだ。
「いじめられる」のは、ちゃんとした主張ができないから、
「いじめる」のは、異質の存在に怯え、それを許容できないからだ。
どちらも「個の希薄さ」に起因する。
ネットでの乱暴なふるまいも、「個の希薄さ」の証明と言える。
攻撃的な行動で、自分を認めさせたいのだろうが、認められてもなにも得られない。
子供たちは、狂った大人たちの中で育っている。
大人たちがもっとしっかりした「個」を持たなければ、彼らもまともに育ちはしない。エリートを気取って税金にタカる高級官僚や、事なかれ主義で成り上がった無責任経営者たちが、この国を代表する現状では、人格を云々するのは馬鹿げたことかもしれない。
我々大人たちが、自覚を持って成長しないと、この国の不幸な循環を止めることはできない。
寝屋川の事件では、すでに高校生の年代。
「個の希薄さ」を感じずにはいられない。
おとなしいで済ませてはいけない何かがある気がする。
「自己主張」は大切なことだ。
思うこと、感じることを的確に表現して、まわりの人に伝えることで、人としての存在を示すことができる。それをしないと、まわりの人たちにとっては価値のないものになってしまう。
徒党を組んで仲良しを装う前に、個としての己をしっかり形成すべきなんだ。
「いじめられる」のは、ちゃんとした主張ができないから、
「いじめる」のは、異質の存在に怯え、それを許容できないからだ。
どちらも「個の希薄さ」に起因する。
ネットでの乱暴なふるまいも、「個の希薄さ」の証明と言える。
攻撃的な行動で、自分を認めさせたいのだろうが、認められてもなにも得られない。
子供たちは、狂った大人たちの中で育っている。
大人たちがもっとしっかりした「個」を持たなければ、彼らもまともに育ちはしない。エリートを気取って税金にタカる高級官僚や、事なかれ主義で成り上がった無責任経営者たちが、この国を代表する現状では、人格を云々するのは馬鹿げたことかもしれない。
我々大人たちが、自覚を持って成長しないと、この国の不幸な循環を止めることはできない。