ベクトライズ

様々な出来事について、その過程や流れ、方向性を自分なりに探っていきたいと、ベクトルと「分析」をひっかけた造語です。

静岡のタリウム毒殺未遂事件について

2005年11月03日 13時52分48秒 | 暗い事件について
容疑を否認する少女を犯人と断定するのは、早急な気がする。

彼女自身が、犯行を確認できない何かがあるのかもしれない。
もしかすると、真実が欠片も表に出ていない可能性も残っている。彼女が優秀な科学者を気取ったのなら、あるいは冷静に実験を行ったのなら、それを雄弁説明してもおかしくないからだ。
何かの影を感じる。それが誰かなのか、それとも何かなのか・・・・

プログを検索すると、彼女のブログのコピーが散見される。
断片かもしれないが、その内容を垣間見れそうな気がして読んでみた。
特に、「僕」と「君」の関係が気になる。
途中で「彼女の存在を感じなくなった」という記述があった。分離した「僕」は「君」を飲み込んでしまったのか、それとも、「君」がそれを望んでいたのか・・・。
「僕」が「君」を食べる夢の記述(正確には、彼女を食べる夢とあった)とともに、2つの人格の存在がとても気になる。

これまでこのブログで取り扱ったの事例がそうだったように、彼女にも強い孤立感を感じる。ただ、他の事例と違って、家族や社会に対する憎悪はそれほど強くない気がする。その点に、彼女の心理を解く鍵があるように思う。

孤立感は、社会的なモラルや人間的な優しさを薄めてしまうのだろう。強烈な孤立感と、自身の存在を定義できない苦悩は、本人が優秀であればなお辛いものなのだろうが、その中で共感者を求め、たどり着いたのが毒殺者グレアム・ヤングというのは皮肉な結果だ。

科学は分野を問わず冷徹なものだ。多々ある分野の中で、化学そして、毒を選んでしまった理由は、おそらく、例の孤立感と社会に対する漠然とした対立感なのではないだろうか。

彼女は共感者と同化しようとしたのか?
それとも、孤立感と虚無感の中で漠然と抱いていた攻撃性を、分離した別の自分として具現化してしまったのか?

そもそも、彼女が本当にその人物なのだろうか?

どこかに奇妙な乖離感のある事件だ。
いまさらヤングが蘇るばずもないのだが、そんなことさえ感じさせられる。

2 コメント

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Unknown (obachany)
2005-11-06 20:18:58
はじめまして。

TBありがとうございます。

確かに・・・そうですね・・・。

まだ事実は明らかにはなってませんし、例え事実が明らかになったとしても、その事の真実はすべて彼女の心の中にありますものね。。。。。

私たちは結局「推測」と言う名の「積み木」を積み上げているにしかすぎないのでしょうね。



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コメントありかとうございます (paco_m)
2005-11-06 23:36:59
こちらからもTBさせていただいてます。



obachanyさんのブログあったように、家族のあり方って考えさせられますね。

最近の多くの事件で、人間性の薄さを感じさせられるのは、そういう基本的なところで何かを失っている証拠かもしれませんね。
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