凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

早川義夫「この世で一番キレイなもの」

2023年12月31日 | 好きな歌・心に残る歌
 父母が90歳を超えてしまった。親父はもうすぐ91歳になる。
 いわゆる「昭和ヒトケタ」と呼ばれる世代なのだが、僕の観察範囲だけだと結構長命している。妻の両親である義父母も健在。兄の義父は不慮のことで亡くなったが義母は元気にしている。妹の義父母も。
 かつて「昭和一桁短命説」というものがあった。焼け跡派は育ち盛りが食糧難であり、発育に十分な栄養がとれず成長したため長寿は難しかろうと言われた説である。空論であったことが証明されてしまったようだ。むしろ飽食の時代に生まれた世代の方が身体に負担がかかっているのではないか。
 もちろん、長命してくれるのは有難い。
 ただ親のここまでの長寿を想定していなかったことも、これまた事実ではある。
 こう書くのは複雑な心境なのだ。まるで早く死ねと言わんばかりに聞こえる。そんなことは無論考えていない。ただ覚悟が必要にはなってくる。
 近年は兄弟で話し合うことが増えた。かつては疎遠だったとまでは言わないが、こんなに密に兄弟間で連絡をとることなど思いもよらなかった。昔と違い、今はLINEグループなんていうものもある。あれはどうしよう、これはどうしようといつも鳩首密議している。内容はもちろん親の認知症と介護のことである。
 詳細を書くとキリがないのだが、身体能力は当然加齢で下がり、動けなくなってくる。脳機能も衰える。しかし臓器には問題がない。この先にある道は、惚けて寝たきりで長生きする、という事実である。だから覚悟が必要になる、ということ。
 僕は言った。「これは100歳を想定せんとあかんぞ」
 我々はその頃、70歳前後だ。老々介護ってこういうことか。悩みは尽きない。

 従兄弟から連絡があった。「〇〇子さんについて弁護士から照会があったんやがそっちにも来とる?」
 叔母のことである。父は六人兄弟の長男だが、弟4人は全て亡くなり、存命は妹がひとり。その叔母は子供がなく独居生活が続いていて、正直疎遠になっていた。内容は、どうも認知症になり身体も弱っていて施設に入れたいのだが、身内の手続き及び様々な手伝いがいるという。
 「いやワシのとこには来てへんで。なんでやろ」
 そうか。うちには父がまだいるからおそらく連絡は父にきているのだ。なのでこちらにまで下りてこない。従兄弟のお父さん(叔父)は先年亡くなっている。
 父はそんな連絡を見てないだろう。かと言って連絡相談するとそんなん聞いてないぞ見てないぞお前ら頭越しに勝手にやりやがって子供のくせに俺が指示する俺の指示通りにみな動けと沸点が上がりキレ散らかして挙句何も進まなくなるだろう。認知症というものは恐ろしい。
 叔母さんの諸般のことは手分けして行ったが、家をひとつ仕舞うというのは存外大変なことである。それでも叔母さんは独居となった段階で家財道具など所有物を明らかに減らしていた。これは、助かった。
 「断捨離」という言葉は、嫌いだ。正確には、徐々に嫌いになっていった。
 その言葉が持つ思想的背景は措いて、遣われ方に何だか引っ掛かる。一年使ってないものはもういらないよ。シンプルライフ。ミニマリストは素晴らしい。こんまり的世界観。上っ面だけを心棒する人々が追憶否定にかかる様子に辟易していた。うるせー何でも捨てろと言うな。
 しかしながら、この長寿時代。身辺整理はやはり必要なのではないか。自分で処理処分できなくなってしまう前に。人に迷惑をかけないためにも。
 実家は、モノだらけである。常軌を逸するほどモノがある。どうするこれ。親父が死んでからやればいい、とぼんやりと思っていたが、僕らが70歳を過ぎてからそれが出来るのか。今直ぐにでもやりたいのだが、判断能力の鈍っている親との戦いは心身を耗弱させる。
 本当に頭が痛い。

 しかし僕も実家ほどではないが、かなりの物持ちではある。蒐集癖はある。さらにはモノを捨てられない。こういうのは経済状況とも関わりがあるのだろう。資産家は、捨てても必要になればまた買えばよい、と思って整理できるが、僕らのような庶民は「いつかまたこれも必要になるかもしれない」とどうしても考えてしまう。結果、紙袋や戴きもののタオルやホテルの歯ブラシやモロゾフのプリン容器等が無限に増えていく。
 数年前の話だが、一度「断捨離」の機会があった。市域のゴミ袋が有料になるという。可燃物とプラスチックごみの袋。
 少額とはいえ、捨てるものに金がかかるというのは業腹な話である。これを機会に整理しようじゃないか。
 決定から半年ほどの猶予期間があった。その間に、不要物と考えられるものを絞り出して、景品や新聞業者さんが持ってきたゴミ袋(これも相当に溜まっていた)やレジ袋(スーパーの袋有料化により過去のものを捨てなくなっていた)を総動員し、断腸の思いを繰り返しながらかなりのものを処分した。おそらく、40ℓくらいのゴミ袋で5~60袋くらいは出したのではないか。
 「だいぶスッキリしたんやないか?」
 「そうねえ…?」
 あれだけ捨てたのに全然変わってないように見える。どうしてなんだろうか。

 今年の夏の話。
 マンションの大家さんから会いたいと言われた。
 「申し訳ありませんがマンション老朽化により取り壊しを決断せざるを得ませんでした。ご退去頂きたい」
 「えっ?!」
 えらいことになった。青天の霹靂である。
 このマンションにはもう25年も住んでいる。最初は社宅借り上げという形で住み、その後期限が切れたが気に入っていたので再契約して住み続けた。僕は生まれた家を22歳のときに出たので、生涯で最も長く住んだ家になっている。
 このマンションは、僕より年上である。その間に阪神大震災に遭い、相当な補修をしている。しかしもう限界が来たのだという。大家さんも老朽化(失礼)し、後継者もなく売ることも出来ず、仕舞いたい、と。
 ここには、65歳までは住もうと思っていた。そのあとのことを考えていたわけではないが、とりあえずその頃には第二の人生を迎えているだろう。それまでは。だがそれは叶わなくなった。
 色々なことは省くが、致し方なく引っ越しをしなくてはいけない。面倒なことになった。
 その慌てていた時期が、先程の叔母の話の頃やなんやと重なっている。
 僕らには、子供がいない。親父のように「あとは任せた」と言って死ねない。僕がまだ若いうちにポックリいけば、妻は大変に苦労してしまう。若いうちならおそらく兄や妹も手伝ってくれるとは思うが、それでも…。さらに、親のように長命した場合はどうなるか。
 叔母のように、甥や姪に迷惑をかけることになる。叔母の場合、僕ら第二世代はまだたくさんいたのでみんなで頑張れたが、僕の甥姪は3人。彼らがその頃どこに住んでいるかもわからないし、当然あてには出来ない。とにかく、自分たちで道筋を作っておかなければ。
 そんな折の引っ越し通告である。

 以前多少のものは処分した、と言っても、可燃ゴミが大半である。紙のものや不燃物は全くの手つかず。あの時は「引っ越しするつもりで捨てよう」と言っていたのだが、本当に引っ越しするわけではないからやはり甘さがあった。今度は背水の陣になる。本気で思い切らないと。
 例えばうちには冷蔵庫が二つある。一つは僕が独身時代に使っていた小さなもので、今は電源も入れずに収蔵庫と化している。ただまだ動く。主要冷蔵庫が突然壊れたときに試しに電源を入れてみたら冷えて助かった。使えるものを捨てるのには抵抗がある。リサイクル料金もかかる。しかし、もう処分しよう。このサイドボードも捨てよう。このホットプレートも処分しよう。この釜めし容器も捨てよう。
 しかし、そんなの微々たるものなのである。
 だいたい、生活に関わるもの以外でうちにある荷物の大半は、書籍なのだ。
 昔(もう18年前か)、book batonという企画をやって、その時にうちに何冊本があるか、と数えたことがある。約3000冊が答え。それから約20年で、全然減っていない。しばしば処分はしているのだが。本を整理するという記事を書いたこともあるが、こういうのは減っただけ増えるものなのである。だいたい、これらの記事を書いたときから書棚がひとつ増えている。全部で10棚。
 減らそう。無くしてしまうことは出来ないが、減らそう。

 本というものは、縛ってゴミにするのは簡単であるが、他人がやるならともかく、所有者がそれをやるのは結構なストレスである。本好きでなくとも分かってもらえるのではないか。しかししょうがない。雑誌のバックナンバーはそうやって心を痛めつつ大半を処分した。
 書籍や漫画本は、ブックオフである。週末になれば、リンゴ箱に詰めた本を何箱も持ち込んだ。こういうものは、金にはならない。ほとんど値はつかないが、どこかで誰かが手に取るかもしれない、という一縷の望みを励みに勤しんだ。だがこの電子書籍の時代に、そんなの妄想であることはわかっている。しんどい。辛い。鬱になりそうだ。しかし、もっと高齢になればこんなことも出来なくなる。
 しかしながら結局、1/3くらいしか処分できなかった。まだまだ自分に甘い。

 持っているのは書籍だけではない。もうひとつ山がある。それは「音源」。
 あるのは、レコード、CD、カセットテープ。そしてビデオテープ。DVDなどもあるが、自分にとって歴史が浅いためすぐに処分出来た。だが、思い入れのあるものはなかなか決断が出来ない。ほとんどが、青春期から20歳代に入手したもの。
 ブログを書きだしたのは約20年前だが、書いていることの多くはこれら書籍と音源に寄っている。その間、思い出を反芻する作業を続けたせいか、愛着がさらにわいてしまっている。駄目だ駄目だ。
 ただ、今は配信も、サブスクもYoutubeもある。ああいうものは所有しているわけではなくいつ消えるかわからないうたかたのものだが、それでもアクセス出来る可能性が高いものであればまだ良い。僕は「処分したらもう二度と聴けない視られない」ものをまず残す基準にした。次に、そのもの自体に思い入れが深いもの。入手経路や聴いていた時の風景も全て思い出せるものは、人生の一部だ。そんな甘いことを言っていては駄目なのだが、あまりやりすぎても鬱になってしまう。
 レコードは、1/10まで減らした。LPは20枚、シングルは10枚だけ残した。あとは捨てるのではなく(前述したように書籍と違って可燃ごみなので業腹なことに金がかかるので)、全て売った。
 書籍とは異なって、レコードにはだいたい値が付いた。レコード復権の時代がきていることは知っていたが、これは意外だった。中古レコード市場というものが復活していたのだ。
 中島みゆきの「グッバイガール」などは、買った時の倍の値が付いた。そうかこのLPって、みゆきさん最後のLPなのだな。以後はCDリリースだけになっていく。そんなこともあるのかもしれない。これなら、必ず誰かが手に取ってくれるだろう。世の中のどこかに残る、という思いだけで、なんとなくストレスが減っていく気がする。
 ビデオテープは、8本を残して全て処分した。全てプロレスのテレビ録画である。だいたいもうビデオデッキを持っていない。どうするんだと言われそうだが、許してほしい。
 カセットテープが一番苦しんだかもしれない。300本くらいあっただろうか。
 買ったものは数本を残して処分した。前述したようにアクセス可能だからである。例えば松山隆宏さんの「時代を渡る風」なんてのはもう入手不可でありさすがに手放せないが、そんなの以外は目を瞑って。またレンタル店を利用したアルバムのコピーやダビングものは、えいやっと捨てた。ただエアチェックは、本当に思い入れがあり選別できない。大げさに言えば人格形成に寄与したものとも言える…やっぱり大げさだな。処分処分。
 だが、カセットが一番残してしまっただろう。半分以下にはなったが。

 それらに比べれば、CDはそうでもない。DVDと同じく、自分にとって歴史が浅いからだろう。追憶ともあまりリンクしていない。なのでみんな処分してしまおう。
 …と思ったのだが、なかなかそうはいかない。
 引越に関わる作業中は、CDを主として流していた。レコードやカセットをかけようとすると少し手間である。CDはお手軽なので、処分前に供養のつもりで次々とかけた。
 こういうのは、失策である。惜しくなるから。
 沖縄で買い集めた民謡集は、もう一年だけ待つか。次の夏が来るまでは。喜納昌吉「BLOOD LINE」ももう少し置いておくか。りんけんバンドは…ダメだこりゃ。拓郎も陽水もかぐや姫も正やんもふきのとうもNSPもみんな手放したのに。洋楽はほぼ手放したのに。聴いちゃダメなんだ。
 こういうことをやっていると進まなくなる。
 小谷美紗子の「PROFILE」はもうちょっとだけ置いておこうか。名盤だしなあ…。あれ、小谷美紗子ってサブスク解禁したんじゃなかったっけ?
 全くのところ、なっていない。葛藤の中、10数枚の盤を残した。

 その中に、早川義夫の「この世で一番キレイなもの」もある。
 早川義夫さんのこのCDは、僕が最も新しく購入したCDのような気がする。六文銭の「はじまりはじまる」とどっちが後に購入したかははっきりと覚えていないが、もしかしたら「僕が最後に買ったCD」だったかもしれない。
 本当に最近は…10年以上も盤を買っていない。感受性の摩耗と面倒くささと…様々な要因があるが、音楽はネットで済ませている。そういう人は多いと思う。盤を買わないことが業界の衰退につながるのは重々承知している。ごめんなさい。

 「この世で一番キレイなもの」は、しかも新譜で入手していない。中古で見つけて買った。
 以前、早川さんが作った「サルビアの花」をお題にして記事を書いたことがある。2007年のこと。→もとまろ「サルビアの花」
 このうたは非常に著名で、僕より上のフォーク好きならだいたい知っている。僕も好きな歌なのでブログに書いてみたいと思ったのだが、その記事の中でも、ジャックス乃至は早川義夫さんのことを「知るところが全然ない」「僕はジャックスについては全然知らなくて」と繰り返し書いている。知らなくても記事は書けるのだが、中身はジャックスに在籍していた木田高介さんのことと、うたをこねくり回した解釈みたいなものに個人的な追想を付けてひとつの記事にしている。なので、薄っぺらい。
 その後に、僕は早川義夫というミュージシャンに改めて興味を持ち、著作「ラブ・ゼネレーション」「ぼくは本屋のおやじさん」を古本屋で見つけ、さらにアルバム「この世で一番キレイなもの」を中古店で掘り出した。
 早川さんがジャックス解散後、ソロアルバム「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」を1969年にリリース(「サルビアの花」所収)し、その後音楽から距離をおき書店主となった。以後20数年。1994年にアルバム「この世で一番キレイなもの」で復活を遂げた。
 僕はその復帰した頃のことも、当時あまり詳しくは知らない。ただ「サルビアの花」が好きで2007年にブログ記事を書いただけ。それがきっかけで、時を措かずして本とCDを買った。
 そのことは別に記事にもしてない。このブログは基本的には思い出ブログで、聴いたばかりのうたはあまり採り上げてはいない。自分の中で熟成していないし、付随する追憶もない(当然だ)ので、あまり書くことがないからだ。ただ当時は、このアルバムに非常に感銘を受けたことは記しておきたい。有体に言えば、感動的だった。中でも同名の表題曲は、繰り返し聴いた。CDはレコードやカセットと異なり、早戻し(巻き戻しとはいわない)が容易だ。なのでついもう一度と一曲戻しを繰り返したような覚えがある。

  弱い心が指先に伝わって 痛々しいほどふるえている

 以来、しばらくぶりに聴いた。
 あれから16年くらい経った。十分に熟成期間を置いたが、特に追憶が付随したわけでもない。ただ、聴いていて涙が滲んだ。それだけ。
 もう、この歳になると涙腺が弱くなっていて、まあ生理現象みたいなものだろうと思う。

  もっと強く生まれたかった 仕方がないね これが僕だもの

 思い出を否応なしに断ち切るような作業をずっと続けていると、心が弱る。

  この世で一番キレイなものは あなたにとって必要なもの

 ずいぶん昔に、僕は「結局人生とは追憶なのだ」という結論に達している。その考えは今も変わらない。人生が終わるときに一番大切なもの、それは思い出である。極論すれば、死ぬときに莞爾として人生を終われるかどうかは、自分の中にめぐる美しい記憶があるかないかだ。地位も名誉も関係ない。財産も持って死ねない。歴史に名を残そうと頑張っても、結局その歴史に残った自分を見ることは叶わない。
 自分に残るのは、追憶だけなのだ。
 だから、持って死ねない書籍や音源は必要ない、とも言える。
 しかし、「いやいやそうではない」という思いもある。
 莞爾として死んでゆくためには、キレイな思い出だけあればいい。それさえあればいい。それは分かっている。だが、その思い出を失ってゆく老人たちを、僕はここしばらく見続けてきているではないか。
 一番キレイなものを失ってしまう恐怖にお前は耐えられるか。だから追憶は常に反芻し、上書きし更新して失わない努力をせねばならない現実があるのだ。その補助材として、記念品や写真や書籍や音源があるのではないか。

 そんな葛藤も、心が弱っているせいだろう。とりあえず今はそういう屁理屈はどっかにおっぽり投げて、ダンボールに詰める作業を続けないと、終わらないよ。後ろでカミさんの「何ボーっとしてんの」という声が聞こえる。ごめんごめん。

 引越は11月半ばに決行。
 別に遠くに居を移すわけではなく、市内の近隣地域に越しただけであり、断捨離が成功したとは言い難いけれども多少荷物も減ったので、傍目には楽な引越に見えたはずである。もちろん当人にとっては楽とは言い難い引越だったが、何とか無事に終了した。
 新居はダンボール箱の山が連なり居場所がない。その積み重なった荷物を解くのに、ずいぶん時間がかかってしまった。ひと月以上経って、ようやく全てのものが収まった感じ。
 「この世で一番キレイなもの」も、持ってきてしまった。ダンボール山脈の中から比較的早期に発掘し、そしてまた聴いている。なんだかこの怒涛の引っ越し期間のテーマ曲のように思えている。

  キレイなものはどこかにあるのではなくて あなたの中に眠っているものなんだ 
 
 次の年はどうなるかな。まだまだ問題が積載してるけど、とりあえずひと段落とさせてくれ。
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