凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

旅行とコレクション 3

2008年07月06日 | 旅のアングル
 前回の続き。
 コレクションという定義からは多少外れるかもしれないが、旅行に一つの目的を設定して、それを求めて出かけている人たちは数多い。
 前回書いたスタンプラリーなどもそういう類だが、あれはコレクションとして残るものである。しかし対象が「場所」であると、手元に残るものはせいぜい写真くらいになる。コレクションであれば、最終的にはいやらしい話「換金」可能であることもあるが(旅行と関係ないけど「切手」「コイン」さらには「骨董全般」のコレクターは財産を持ってるようなもんだ)、こういう「行った・行きつくした」満足感というものは、他人には全く値打ちのないものである。自己の興味関心と達成感だけ。前述したようにこれはコレクションではないが、その心情は純粋なコレクターと相似形だろうかと思う。

 こういうパターンで有名なのは、鉄道全線完乗だろうか。
 国鉄(現JR)の路線を全て乗りつくすというのは、鉄道ファンの中では古くからなされていたことなのであるが、宮脇俊三著「時刻表2万キロ」で広く世に知られ、国鉄も「チャレンジ20000㌔」キャンペーンを始めた。始めた、と言って、これってもう30年くらい前の話になってしまうのだろうか。もちろん当時20000km程度あった路線も廃線の嵐により減少しつづけ、国鉄ももちろんいまや無くキャンペーンも終了し、今JR全線完乗も価値が下がってしまったとも言える。
 しかし、ことJRに限るとそうかもしれないが(いや現在のJR全線だって大変なことではあるけれど)、私鉄を含めて全ての鉄道の線路を乗りつくそうとすればこれはまた大変なことになる。コンプリートは困難になってくるのではないか。
 もちろん困難である、ということは、路線が私鉄を含めると急速に膨れ上がるということだけではなく、定義付けが難しいこともあるらしい。JR、私鉄各線(東急や西武や名鉄や南海や阪急や西鉄、また第三セクター等)は当然のこととして、例えば路面電車は含むのか。線路があって、客を乗せて走るものであれば全て、という定義をすればもちろん含むことになるが、じゃ拠り所を「線路」にすると、モノレールはどうなるのか。ケーブルカーは。トロリーバスは。「軌道」とした場合はロープウェイやリフトまでも含める考え方もある。どんな人でも運賃さえ払えば乗車可能な軌道と規定したら、例えばスキー場で冬だけ稼動するリフトまで含んでしまうことにもなりかねない。もしかしたら遊園地のジェットコースターもそうか。何がなんだか分からなくなってしまう。
 また、これにはバリエーションルートの世界も存する。例えば、JRの全ての駅に降りる、という凄まじいことを自分に課して、既に達成した人もいる。凄い。ここまでくれば、何のために、などと聞くのは野暮の極みだろう。僕などはただその努力と執念に対し敬服するのみである。
 軌道だけではなく「道路」に目をむける人もいる。ライダーでよく「国道走りつくし」の人がいる。国道○号線、という標識の画像を網羅している人がいる。僕もやってみたい。

 旅行に様々な目的を設定している人はたくさん居る。ご当地ラーメン食べつくし、B級グルメ食べつくし、などなど。僕も食べるのは大好きだが、何でも食べつくせるわけがない。讃岐うどんならなんとか…と思ってカウントしているが(一覧)、香川県在住でなくとてもとても。
 温泉入りつくしもそうだろう。亡くなった美坂哲男さんは、温泉めぐりのパイオニアで日本中の温泉を巡り歩いておられた。3000湯は超えられていたかと。その後、温泉マニアはどんどん増殖し、HPを持つ人は1000湯は当然の如く記録している。こんなの一日一湯毎日でも3年かかる。どんだけなんだ。僕も影響を受けて数えてはいるがレベルが全然違う(温泉はいいなあ一覧)。これは専門で旅行しないと無理だろう。ついでで出来ることではない。
 しかもこれはコンプリート出来ない。体力の問題もあるが、今はどんどん都市部でもボーリングして温泉を掘り当て新施設が次々と登場。一体日本には何湯の温泉が存在かも掌握が難しく、全湯制覇は永遠のテーマだろう。

 場所、ということで言えば、例えば灯台だけを目指して旅している人もいる。岬めぐりだ。いいなぁと思う。僕も「日本最○○端」という場所へは出来るだけ足を運んでいるが(日本のはしっこを歩く)、岬に立つと爽快なのである。地図を歩いている感覚、と言えばいいのだろうか。また、離島専門の旅人たち。これには「SHIMADAS」というバイブルのようなガイドブックがあり、交通手段のある有人島にはほとんど足を運んだ、なんて剛の者も居る。凄い。
 目的を決めた名勝めぐりというのは他にも多い。景勝でいけば、滝の専門家。湖沼ばかり行く人。また建造物としては、国宝の建物めぐり。神社と聞けば村の鎮守様まで足を運ぶ人。あるいは城跡・天守閣めぐりをしている人はよくいらっしゃる。城については、僕もそれと意識はしていなかったがカウントすればそこそこ足を運んでいる(城を観に行く一覧)。
 僕の祖父は、天皇陵めぐりをしていた。天皇陵は近畿地方だけではなく、かなり広範囲に広がっており、現在のように交通至便の時代ではなく、祖父もかなり苦労したようだが、驚くことにコンプリートしている。ずいぶん前に死んでしまってアルバムが一冊残っているだけだが、そのアルバムは僕が形見分けしてもらって保管している。数多い孫の中で、こういうことの素養を一番受け継いでいるのはおそらく僕だろうということである。もちろん大切にしているが、保管だけではなくなぞってみたい欲求に駆られる。血脈なんかなぁ。

 ただし、以上のようなものは範囲が広大であることが多く、また増殖するもの、規定があいまいなものもありなかなか「完璧」を期しにくい。マニア向けである。もう少し簡単に達成できる枠組みとして、例えば「日本三大○○」などがある。
 旅に出て、もしも天橋立へ行ったとしたら、宮島や松島にも行ってみたいもの。兼六園に行けば後楽園や偕楽園にも…。それは人情というものだと思う。有難いことに三ヶ所で済むので、簡単にコンプリートということになる。
 それより数が増えて、近江八景など八景シリーズ。全国小京都巡り(全国小京都会議加盟都市は54都市だが流動的)。それらの頂点には、「○○百選」シリーズがある。
 最もパワーを必要とするのが「日本百名山」全登攀をされている人たちである。深田久弥氏の同名の名著をもとに、老若男女数多くの人たちがチャレンジされている。僕には無理だな。
 その他にも、「日本の滝百選」「さくら名所百選」「渚百選」など様々。百名山は深田久弥氏が独自に選んだものだが、新聞社や官庁が選定したものも多い。基準があいまいなのが難点だが、指針にはなりうる。
 「名水百選」というのは有名である。僕も、近くへ行けば寄ることにしている。一応、北は利尻島甘露泉水から南は屋久島湧水、沖縄垣花樋川(カキノハナヒージャー)まで行った。全部で三割程度は足を運んだだろうか。以前、名水百選を全て飲むと言っていた人がいたが、湧き水ばかりじゃないからなぁ。我が兵庫県に「千種川」という選に入っている川があるが、どうも見た感じ飲んだらおなか壊しそうなのだけれども(源流に行ったわけじゃないので誤解だったらごめんなさい)。
 さて、僕の場合、名水百選は「見つけたら寄る」程度なのだが、実はコンプリートを目指しているのもあるのだ。それは「日本の道100選」である。

 そもそもはこれも、前回書いたように妻のスタンプラリー好きから始まるのだが、きっかけは沖縄への旅行である。今を去ること10何年前、僕らは沖縄の八重山諸島にある黒島という島を旅していた。ここは人口200人に牛2000頭という実にのんびりした島で風景の素朴さと美しさは白眉なのだが、この島のメインストリートがその「日本の道100選」に選定されていた。
 珊瑚礁の島であり、道はその珊瑚から出来た石灰岩の石垣と赤い瓦の屋根に囲まれたそれは美しい景観なのだが、写真を撮ったときに妻が「ねぇ、全国の道100選に行ってみたいと思わない?」とのたもうたのだ。
 そんなこと今更言うなよ、というのが僕のその時の本音。だって、もう僕らは日本中旅行しまくっているのだ。もっと早く言ってくれていたらいくらでも寄れたのに。駅のスタンプだってようやく終わったところじゃないか。これからまた、イチからあちこち出かけようって言うのか。そんな殺生な。
 僕は、くれぐれもコンプリートなぞ目指さないぞ、とそのとき念を押したのだが、それでも別に旅行を止めるわけではない。それからももちろんあちこち出かける。その度に、旅に出れば最寄の近くの「道100選」にはつい寄るようになり、写真も徐々にたまってきた。こうなると本気になってしまうのが僕の悪い癖である。またもや高速を途中で降りたり、100kmも余計に走ったり、なんてことをやり、かなり足跡を残してきた。
 この「道100選」で最も問題となるのが「顕彰碑」というものの存在である。
 この選定をしているのは建設省(現国土交通省)であり、選定した道には顕彰プレートを配布して、各々がそのプレートを当該の道のどこかに設置しているはずなのだが、その顕彰プレートを探すのが一苦労なのだ。
 何のことか分かっていただけないかと思う。顕彰プレートというのはこういうものである。一部画像を出してみる。→これ
 道のどこかにこういうものがあるのだ。道は数100mの短いものもあれば、数10kmに及ぶものもある。その道のどこかに、このプレートが隠れているのである。日本の道100選の旅というのは、ひとえにこのプレートを探す旅なのである。なんだよいったい。
 始めた当時は、このプレートがどこにあるのかを示す資料は皆無だった。今では、ぎょうせい発行の資料書籍もありネットもあるので場所の特定にはあまり苦労はしないのだが、当時はそんなものはなく(書籍はあったが場所特定資料の記載が無かった)、どうするかと言えば、とにかく目を皿のようにして歩き、車を走らせ自力で探すしかなかったのである。しかも、全ての道に設置してあるとは限らなかった。自治体の判断で、碑を設置せず仕舞ってあるところもあった由。僕はよく出かける前に当該自治体の管理部に電話で問い合わせたりしたが、たいていはお役所仕事でたらい回し、明確な回答が得られることなど稀だった。観光課なども役に立たない。自力で駆けずり回るしかなかったのである。
 こんなことをツラツラ書いても、分かってくれる人など殆どいないだろう。遠い地に出かけて、頑張って探したのに見つからなかった徒労感など、同じことをやっている人にしか理解してもらえないに違いない。

 以来10数年。現在では約8割の顕彰碑の写真を収めている。本当はもっと行っているのだ。しかし、顕彰碑が見つからずすごすごと帰った場面が幾度あったか。悔しい。だが、その顕彰碑は今ではほとんどの道に設置されたという話である。また遠い場所へ行かねばならない。九州に二ヶ所、北海道にも一ヶ所残してしまっている。しかし、ここまで来たら絶対にコンプリートするぞ。全部揃ったら、大々的に画像をネットにアップする予定でいる。そのためにHPを作ってもいい。ああ宝くじが当たって毎日が日曜日にならないものか。

 旅行とコレクションについての、病膏肓のアホな話を終わります。
 

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2 コメント

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旅行そのものが (jasmintea)
2008-07-07 00:06:10
もしかしたらコレクションみたいな感じかも。
たとえばこちらで書いた日本全国制覇もコレクションみたいなもの、と思うのですがちょっと極端でしょうか?

しかしJRすべての駅に降りるってものすごい執念ですね。
それだけ物事にこだわれるって尊敬しちゃいます。
顕彰碑のコレクションも並大抵ではありませんね。
ホントに宝くじ当たったら旅行三昧であっという間に全国制覇!!!!!!
いつの日かの再び顕彰碑大々的アップを楽しみにしていますから♪
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>jasminteaさん (凛太郎)
2008-07-09 23:19:09
旅行にはいろいろなアプローチの仕方があるとは思いますけれども、旅行そのものがコレクションの色合いを強めちゃうということは確かにあると思います。旅立つ動機として「まだあそこには行ったことがないから」という言葉などに、コレクターの匂いが少ししますからね(笑)。
僕も、最初に自転車なんかで遠くに旅行に出始めた頃は、どれだけの県に足跡を残したかって数えましたもんね。そして全県終われば、次は全ての県庁所在地。そして全県宿泊。見る人が見れば不純だと言われるかもですが、どうしてもそうなっちゃうんですねぇ。でも見聞は広まりますし、何より楽しいし。

恐るべき執念で旅をしている人っているんです。全駅下車もそうですが、もうついでなんかじゃないんですね。僕は旅行献血の人と以前話しをして感嘆してしまったことがあります。茶化せないですよ。ホント。
道100選は…苦労してます。最も簡単なところでは銀座にありますよ。ここは全国でも珍しく二ヶ所にありますから分かりやすい。鎌倉の若宮大路もそうで、駅を出て大路を海側に降りればすぐ東側にあります。でも、わかんないところはホントわかんなくてねぇ…。
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