佐野元春が30周年なのだそうだ。デビューは1980年だから、今年(2011年)で、丸30年という計算か。そんなこんなで、よくマスコミに登場している。そして、30周年記念のセルフカバーアルバムが発売されたらしい(「月と専制君主」2011/1/26リリース)。
「YOUNG BLOODS」も入っているらしいので聴いてみたいと思っていたところ、先にTVで披露してくれた。とても楽しみにして聴いたのだが、完全に別の楽曲になっていた。
アルバムを未だ購入もしていないのにこういうことを上っ面で書くことはよくないと思うし、生意気なことだと思う。だいいち、僕は佐野元春さんを最近とんと聴いていない。最近どころか、僕が所持しているアルバムは「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」までである。30年の、最初の10年くらいなのだ。20年も離れていた。
そして誤解があってはいけないので書くが「別の楽曲になった」というのは僕の独りよがりな感想であり、さらに、悪くなったとも良くなったとも書いていない。実際、悪くなったとは思っていない。
「セルフカバー」というのは、かつて自らが表現したものと同じものを提供することではなく、またそうであってはいけないと思っている。そして、今の佐野さんが歌う「YOUNG BLOODS」は、見事に現在の佐野元春のうたになっている。50も半ばの、髪も白くなり声質も変わり、それでも第一線を張りつづけている素敵で格好いいおじさんのYOUNG BLOODS。アレンジが変わりなんと言うかジャズっぽくなり、気だるい雰囲気もあり、「Morning Light」を「朝の光」と日本語に替えた。優しく、つつみこむように。そんな突っ張らかしていられるか。
だから、あの「YOUNG BLOODS」とは、違う。
僕は、振り返ればそんなに初期からの熱心な佐野元春のファンじゃなかった。「アンジェリーナ」でデビューした頃は、僕はまだ中学生であり、高石ともやとナターシャセブンを聴き吉田拓郎を聴きブリティッシュハードロックに夢中になる少年だった。佐野元春という人のことは、よく知らなかった。
出会いは「ナイアガラ・トライアングルVol.2」。Vol.1は大滝詠一・山下達郎・伊藤銀次のあの伝説の三人であり、ナイアガラおじさんこと大滝詠一がその第二弾を作成するということで、かなり話題になった。ただ、佐野元春はむろん杉真理という人も、その当時あまり聴いたことがない。
そのVol.2は、申し訳ないが高校1年の僕には、さほどインパクトは無かった。大滝詠一のアルバム、という印象(ゴメンなさいホントガキでした)。
その前後から、友人たちが佐野元春を聴き出す。軽音楽部の連中は「アンジェリーナ」「ガラスのジェネレーション」をレパートリーに入れる。僕はそういう友人たちを通じて、佐野元春という音楽を知ることになる。ただ、高校生レベルの演奏では真価が分かろうはずも無い。
「SOMEDAY」という曲は、その頃から耳には入っていた。いい曲だなと思った。そして、その曲をタイトルに冠したアルバムが発売されたので、とりあえず友人に借りて聴いた。
びっくりした。「Sugertime」「Happy Man」「Down Town Boy」全てが疾走していく。
その当時の僕には、どう表現したらいいのか言葉が見つからなかった。センスがいいなぁというくらいのもので。「sophisticated」という覚えたての言葉もあったのだけれども、そういう言葉よりももっと違う何ものかがあるような気がした。で、今もって適切な言葉が浮かばないが、サザンオールスターズが急に泥臭く感じた。
一般的には「都会的」なのだろう。だが、この言葉には少し抵抗がある。
今、このアルバムを聴けば、そこはかとない郷愁を感じる。ただそれは、以来30年近く過ごした僕の思いというものも加味されているので、これまた適切ではない。
表題作の「SOMEDAY」。佐野元春の代表曲でもあり、知らない人を探すほうが難しい。この曲については言い尽くされてもいて、またそれぞれのリスナーに思い入れがあるとは思う。よく、都会へ出てきた若者の「群集の孤独」をこれほど表現した楽曲はない、とも言われるが、その「都会」とはどういう場所なのだろうか。東京のことなのか。
何だかよくわからないが、イントロにかぶさる車のクラクションを聞くだけで胸が締め付けられる思いがする。俺は人ごみに紛れながら何とか頑張ってんだよ。
とにかく、このアルバムが欲しくなった。手元に置いておきたい。だが、当時はそんなにホイホイとアルバムを買うほどの金持ちではない。僕は友人に、スコーピオンズのアルバムを示しこれと交換せよと迫った。そういう入手方法で、なんとか「SOMEDAY」を手に入れた。今でもこのLPは我が家にある。
時は流れ僕は大学生になった。
実家から自転車で通える距離にある大学である。その空気感は、高校のときとさほど変わりは無い。
大学一回生の冬。僕は一度、東京に行ってみようと思った。東京という日本の首都には、行ったことがないわけではない。ただ、いずれも子供のときであり、家族旅行だった。20歳になる前に、今の自分の感性で、いつもTVに映る街を見てみよう。そうして、京都発の夜行バスに乗った。東京には、一人だけ高校時代の友人が暮らしている。そこに転がり込んだ。
僕の生まれた街は大学が多く、わざわざ東京の大学に入ろうというやつはいない。就職した連中はなおのこと。その友人も紆余曲折あって東京に出た。けれども、一人暮らしというのは何だか羨ましい。
1985年の春。当時、佐野元春の「YOUNG BLOODS」がヒットしていた。
静かな冬のブルースに眠るこの街のニューイヤーズディ 大地に果てしなく降るモーニングライト
いつの頃か忘れかけていた荒ぶる胸の想い アクセルためてルーズな空見上げる
このうたは、アルバムの人だった佐野元春としては、例外的に売れたシングルだった。もちろん、曲の素晴らしさが要因であることは自明だが、何でそんなにシングルとして売れたのかの記憶があいまいだったので調べてみたら、「国際青年年」のテーマソングだった由。なるほど。それで、普段佐野元春を知らない人にまで広がったのか。
そんなこんなで、この時の東京での日々に、「YOUNG BLOODS」が表裏一体の思い出となっている。
東京は、面白かった。
もちろん、僕は旅行に来たのであって、都会への憧れなんてものもなく、また関西人独特のいわゆる敵愾心を持っていたわけでもない。単に観光旅行だった。だから、訪れるところは史跡などが中心だったが、いわゆる「おのぼりさん」的な場所にも出かけた。見聞は広めたい。つまり、ここが新宿か、ここが銀座か、ここが六本木かetc. TVでよく見かける風景が目前に現れるのは面白かった。渋谷のハチ公というのはこういう場所に居るのか、なんて。とにかく、人の多さに驚いた。
代々木公園にも、行ってみた。「YOUNG BLOODS」のPVが撮影された、その場所である。
このPVは、本当に秀逸だったと思う。早朝にゲリラ的に撮影されたと聞くが、佐野元春の血のたぎるような歌声に三々五々人々が集まり、最後にはひとつの野外ライブ会場がそこに生じる。
冷たい夜にさよなら その乾いた心窓辺に横たえて
ひとりだけの夜にさよなら 木枯らしの時も月に凍える時も
今そのPVを見返すと、「時代」が如実にあらわれている。今にして思えば昭和の末期。バブルというかりそめの時代が始まろうとしていた。
もっとも、学生の分際ではそういう経済状況など何の関係も無い。ただ、もうすぐ二十歳を迎えようとする自分の、若さゆえの衝動的な心の高鳴りと、それを形に出来ない鬱屈した気持ちは常に持ち合わせていた。そんな胸の内が、代々木公園の冬のぬけるような青空に拳を突き出してうたう佐野元春の、若き血の飛沫が吹き出るような声に昇華されていった。Let's stay together!
以来、四半世紀が過ぎた。僕は髪に白いものが増え、また佐野さんも成熟した。そして、再び佐野元春は「YOUNG BLOODS」をうたう。もはや共に、若くはない。
新しいYOUNG BLOODSには、他にも以前と異なるところがある。TVでは、字幕スーパーで画面に歌詞が映じていた。
鋼鉄のような意思 輝き続ける自由
「Morning Light」を「朝の光」と歌い換えた佐野さんだが、この部分は「Wisdom」「Freedom」と原曲どおりに歌っていた。だが、それはメロディーに乗らないのでそう歌ったが、本当は「意思」「自由」と置き換えたかったのではないだろうか。賢明であること。自由であること。それを、もっと我々に伝えたかったのではないだろうか。偽りに沈むこの世界で、願いをこめて。
いつの頃か忘れかけてた 荒ぶる胸の想い
この叫びが、今胸に迫る。僕たちは、あれから月落ち星流れ、その荒ぶる魂を忘れかけてたどころか、本当に忘れてしまったんじゃないか。
佐野元春は、「YOUNG BLOODS」を違う形で我々に提供した。それは、荒ぶる魂がまだ健在であることを示すためであったのかもしれない。50歳代になって、同じ表現方法はとれない。代々木公園の青空に拳突き上げ歌えば、「劣化」を感じられてしまう可能性すらある。だから、優しくうたう。けれども、魂は失ったわけじゃない。それが、強き意思を持ち続けることそして自由であることへの願いを感じさせる今回のカバーとなったのではないだろうか。
そして、あの1985年の「YOUNG BLOODS」もまた、永遠になった。そんなふうに思っている。
「YOUNG BLOODS」も入っているらしいので聴いてみたいと思っていたところ、先にTVで披露してくれた。とても楽しみにして聴いたのだが、完全に別の楽曲になっていた。
アルバムを未だ購入もしていないのにこういうことを上っ面で書くことはよくないと思うし、生意気なことだと思う。だいいち、僕は佐野元春さんを最近とんと聴いていない。最近どころか、僕が所持しているアルバムは「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」までである。30年の、最初の10年くらいなのだ。20年も離れていた。
そして誤解があってはいけないので書くが「別の楽曲になった」というのは僕の独りよがりな感想であり、さらに、悪くなったとも良くなったとも書いていない。実際、悪くなったとは思っていない。
「セルフカバー」というのは、かつて自らが表現したものと同じものを提供することではなく、またそうであってはいけないと思っている。そして、今の佐野さんが歌う「YOUNG BLOODS」は、見事に現在の佐野元春のうたになっている。50も半ばの、髪も白くなり声質も変わり、それでも第一線を張りつづけている素敵で格好いいおじさんのYOUNG BLOODS。アレンジが変わりなんと言うかジャズっぽくなり、気だるい雰囲気もあり、「Morning Light」を「朝の光」と日本語に替えた。優しく、つつみこむように。そんな突っ張らかしていられるか。
だから、あの「YOUNG BLOODS」とは、違う。
僕は、振り返ればそんなに初期からの熱心な佐野元春のファンじゃなかった。「アンジェリーナ」でデビューした頃は、僕はまだ中学生であり、高石ともやとナターシャセブンを聴き吉田拓郎を聴きブリティッシュハードロックに夢中になる少年だった。佐野元春という人のことは、よく知らなかった。
出会いは「ナイアガラ・トライアングルVol.2」。Vol.1は大滝詠一・山下達郎・伊藤銀次のあの伝説の三人であり、ナイアガラおじさんこと大滝詠一がその第二弾を作成するということで、かなり話題になった。ただ、佐野元春はむろん杉真理という人も、その当時あまり聴いたことがない。
そのVol.2は、申し訳ないが高校1年の僕には、さほどインパクトは無かった。大滝詠一のアルバム、という印象(ゴメンなさいホントガキでした)。
その前後から、友人たちが佐野元春を聴き出す。軽音楽部の連中は「アンジェリーナ」「ガラスのジェネレーション」をレパートリーに入れる。僕はそういう友人たちを通じて、佐野元春という音楽を知ることになる。ただ、高校生レベルの演奏では真価が分かろうはずも無い。
「SOMEDAY」という曲は、その頃から耳には入っていた。いい曲だなと思った。そして、その曲をタイトルに冠したアルバムが発売されたので、とりあえず友人に借りて聴いた。
びっくりした。「Sugertime」「Happy Man」「Down Town Boy」全てが疾走していく。
その当時の僕には、どう表現したらいいのか言葉が見つからなかった。センスがいいなぁというくらいのもので。「sophisticated」という覚えたての言葉もあったのだけれども、そういう言葉よりももっと違う何ものかがあるような気がした。で、今もって適切な言葉が浮かばないが、サザンオールスターズが急に泥臭く感じた。
一般的には「都会的」なのだろう。だが、この言葉には少し抵抗がある。
今、このアルバムを聴けば、そこはかとない郷愁を感じる。ただそれは、以来30年近く過ごした僕の思いというものも加味されているので、これまた適切ではない。
表題作の「SOMEDAY」。佐野元春の代表曲でもあり、知らない人を探すほうが難しい。この曲については言い尽くされてもいて、またそれぞれのリスナーに思い入れがあるとは思う。よく、都会へ出てきた若者の「群集の孤独」をこれほど表現した楽曲はない、とも言われるが、その「都会」とはどういう場所なのだろうか。東京のことなのか。
何だかよくわからないが、イントロにかぶさる車のクラクションを聞くだけで胸が締め付けられる思いがする。俺は人ごみに紛れながら何とか頑張ってんだよ。
とにかく、このアルバムが欲しくなった。手元に置いておきたい。だが、当時はそんなにホイホイとアルバムを買うほどの金持ちではない。僕は友人に、スコーピオンズのアルバムを示しこれと交換せよと迫った。そういう入手方法で、なんとか「SOMEDAY」を手に入れた。今でもこのLPは我が家にある。
時は流れ僕は大学生になった。
実家から自転車で通える距離にある大学である。その空気感は、高校のときとさほど変わりは無い。
大学一回生の冬。僕は一度、東京に行ってみようと思った。東京という日本の首都には、行ったことがないわけではない。ただ、いずれも子供のときであり、家族旅行だった。20歳になる前に、今の自分の感性で、いつもTVに映る街を見てみよう。そうして、京都発の夜行バスに乗った。東京には、一人だけ高校時代の友人が暮らしている。そこに転がり込んだ。
僕の生まれた街は大学が多く、わざわざ東京の大学に入ろうというやつはいない。就職した連中はなおのこと。その友人も紆余曲折あって東京に出た。けれども、一人暮らしというのは何だか羨ましい。
1985年の春。当時、佐野元春の「YOUNG BLOODS」がヒットしていた。
静かな冬のブルースに眠るこの街のニューイヤーズディ 大地に果てしなく降るモーニングライト
いつの頃か忘れかけていた荒ぶる胸の想い アクセルためてルーズな空見上げる
このうたは、アルバムの人だった佐野元春としては、例外的に売れたシングルだった。もちろん、曲の素晴らしさが要因であることは自明だが、何でそんなにシングルとして売れたのかの記憶があいまいだったので調べてみたら、「国際青年年」のテーマソングだった由。なるほど。それで、普段佐野元春を知らない人にまで広がったのか。
そんなこんなで、この時の東京での日々に、「YOUNG BLOODS」が表裏一体の思い出となっている。
東京は、面白かった。
もちろん、僕は旅行に来たのであって、都会への憧れなんてものもなく、また関西人独特のいわゆる敵愾心を持っていたわけでもない。単に観光旅行だった。だから、訪れるところは史跡などが中心だったが、いわゆる「おのぼりさん」的な場所にも出かけた。見聞は広めたい。つまり、ここが新宿か、ここが銀座か、ここが六本木かetc. TVでよく見かける風景が目前に現れるのは面白かった。渋谷のハチ公というのはこういう場所に居るのか、なんて。とにかく、人の多さに驚いた。
代々木公園にも、行ってみた。「YOUNG BLOODS」のPVが撮影された、その場所である。
このPVは、本当に秀逸だったと思う。早朝にゲリラ的に撮影されたと聞くが、佐野元春の血のたぎるような歌声に三々五々人々が集まり、最後にはひとつの野外ライブ会場がそこに生じる。
冷たい夜にさよなら その乾いた心窓辺に横たえて
ひとりだけの夜にさよなら 木枯らしの時も月に凍える時も
今そのPVを見返すと、「時代」が如実にあらわれている。今にして思えば昭和の末期。バブルというかりそめの時代が始まろうとしていた。
もっとも、学生の分際ではそういう経済状況など何の関係も無い。ただ、もうすぐ二十歳を迎えようとする自分の、若さゆえの衝動的な心の高鳴りと、それを形に出来ない鬱屈した気持ちは常に持ち合わせていた。そんな胸の内が、代々木公園の冬のぬけるような青空に拳を突き出してうたう佐野元春の、若き血の飛沫が吹き出るような声に昇華されていった。Let's stay together!
以来、四半世紀が過ぎた。僕は髪に白いものが増え、また佐野さんも成熟した。そして、再び佐野元春は「YOUNG BLOODS」をうたう。もはや共に、若くはない。
新しいYOUNG BLOODSには、他にも以前と異なるところがある。TVでは、字幕スーパーで画面に歌詞が映じていた。
鋼鉄のような意思 輝き続ける自由
「Morning Light」を「朝の光」と歌い換えた佐野さんだが、この部分は「Wisdom」「Freedom」と原曲どおりに歌っていた。だが、それはメロディーに乗らないのでそう歌ったが、本当は「意思」「自由」と置き換えたかったのではないだろうか。賢明であること。自由であること。それを、もっと我々に伝えたかったのではないだろうか。偽りに沈むこの世界で、願いをこめて。
いつの頃か忘れかけてた 荒ぶる胸の想い
この叫びが、今胸に迫る。僕たちは、あれから月落ち星流れ、その荒ぶる魂を忘れかけてたどころか、本当に忘れてしまったんじゃないか。
佐野元春は、「YOUNG BLOODS」を違う形で我々に提供した。それは、荒ぶる魂がまだ健在であることを示すためであったのかもしれない。50歳代になって、同じ表現方法はとれない。代々木公園の青空に拳突き上げ歌えば、「劣化」を感じられてしまう可能性すらある。だから、優しくうたう。けれども、魂は失ったわけじゃない。それが、強き意思を持ち続けることそして自由であることへの願いを感じさせる今回のカバーとなったのではないだろうか。
そして、あの1985年の「YOUNG BLOODS」もまた、永遠になった。そんなふうに思っている。
当時EPICソニー全体のファンクラブ的なものに加入していて、
来てくれないか?と電話が来ました。
16歳の私も、チラッと写っておりました。
晴れ着の女性がいらっしゃいましたので正月か成人式ではないかとは思っていたのですが、やはり三が日でしたか。
しかし何といっても羨ましい。大変貴重なお話をありがとうございました!
SOMEDAYも、だんだん自分の中で変化がありました。今では本当に素敵な曲だと素直に言えます。
「永遠」になられた方も、30周年を祝っておられるでしょうか。事情は存じ上げませんが、佐野元春の大ファンだった方に謹んで哀悼の意を表します。
佐野元春、その名前を知ったのは私も中学生のときで、今は亡き後輩が、元春さんの大ファンだったから。
けれど、その時代は私もまるっきりフォークに染まっていて、あまり聴き入らなかった。
そして高校に入学し、アンジェリーナが高校の学祭のテーマソングに使われ、そこから初めて入っていったのです。
SOMEDAYは高校の卒業式に全員で歌ったけれど、その頃は元春さんの曲の中では好きな方ではなかった。
今は、泣けて歌えない曲のひとつになった。
けど、今も、私はツイッターでフォローしながら元春さんのラジオを聴いています。
私に佐野元春さんの存在を教えてくれた彼女は、地元では何番目かに高いビルの屋上から飛び降りて永遠になった。
元春さんの曲のいくつかは、凛太郎さんのおっしゃる通り、まさに、私の中で、最近になってようやく「永遠」になりました。