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papalion - 航海日誌

東京で活動するライブバンド papalion(パパライオン)のブログです。

papalionJapanTour2007~後書き~41

2009年02月12日 | キャンプでライブツアー'07・後記

>> 2007TOUR~後書き~40の続き

翌朝8月23日(木)、早々に出発。
午前中、原発が見えるJビレッジ近くの日帰り湯で汗を流してから、途中のスーパーで買出しをした。
日帰り湯では営業開始時間から入った事もあって人も少なく、大きな湯船を独占状態で楽しんだ。
スーパーでは獏原人村にこれから行くだろうヒッピーな人達をちらほら見かけた。そして日差しが痛いほど熱い日光の中、獏原人村に向かった。

獏原人村は、思った以上に遠い。
山を登れども登れども人里に着かず、トンネルを越え、山際のか細い人家を通り過ぎてやっと、開けた土地にたどり着き、そこからまた山を越えた。
その開けた人里でようやく獏原人村への看板を見かけた。
その看板を頼りに道を進み、この道は本当に国道なのかといった砂利道をを上り、泥濘道へと入っていった。
途中、歩いて獏原人村へ向かうヒッピーを横目に見ながら。

昨夜降った雨の影響か舗装されていない山道は険しく、対向車とのすれ違いもかなり厳しいものだった。

山道をとりあえず前へ前へと進み、ようやく泥道を抜けてたどり着いた獏原人村。
ここは東南アジアの農村か!といった雰囲気。

入場口で入場の手続きを済ませ、化繊の腕輪を付けて貰い、会場内を車を走らせる間「マジですか!」とその光景に唖然とした。

山の斜面に作られた山村の空間所狭しと道路脇に車が停められて、その裏にはずらりとテントが設置している。
所々から煙が出てて、そこで動いている人達も、皆ヒッピーっぽい感じ。
とりあえず車を停めて、開いている土地(畑?)にテントを設営した。

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papalionJapanTour2007~後書き~40

2009年02月12日 | キャンプでライブツアー'07・後記

>> 2007TOUR~後書き~39の続き

このツアーで東日本初のライブは福島県の獏原人村での野外イベント。
このイベントに参加するため、その出演予定の前日、8月22日(水)の昼過ぎ3時くらいだったか東京を出発した。関東平野を走ってて、環七で渋滞に巻き込まれたり、道に迷ったり、ひどいスコールに遭遇したり散々だったが緩々国道を北上し、夜も遅く高速に乗って、茨城のPAで夜を明かした。

(・~・)

西日本ツアーが終わって、10日ほど暇があった。
仕事も無く、その暇な間にひびが入った竹楽器を修復・改良するとか色々やるべき事はあったんだけど、東日本ツアーのブッキングがまだ未定だったし、それを連絡つけたり、友達のライブを見に行ったり、昼間はほぼ放心状態で毎日one pieceのyoutube動画を見てたりした。
one pieceにはまってた!

東日本に行く前にとりあえずまとめとして "西日本ツアー後記"

探り探りで始めたツアー。
ツアーに行くまでも、レコーディングやらミックス、ブッキングをやって、自分の仕事の事も含めてほんとに大忙しだった。
でも、それだけ労力を掛けた甲斐があったと思う。
多くの経験を得れたし、何よりも多くの出会いがあった。未知の発見もいっぱいあった。
音楽以外でも九州とか中国地方って、これまで全く接点が無く、自分の中では未開の土地だったけど、見て知る事が多々あった。
実際に足を運んでみて、その土地で地元の人と話して空間を共にして、楽しい経験をする事が出来た。
地元の今の空気・今の音楽も見ることが出来たような気がする。(既に1年半前の出来事だけど・・・)

地方のライブハウスの状況については、九州はこう、四国はこう、関西ではこれ、東海ではこれこれ、といった地方地方の特徴も感じることが出来た。
その違いはすごーく勉強になるもので、好感を得たり、助けられたし、逆に戸惑ったし、その地方の特徴の幅に驚かされたりもした。
でも、それを1日2日見たツアーバンドが個別に云々と言うのは無意味なのかな。
地方ではそれぞれの歩みがあるのだと思う。あえてそれを述べるものではないのかなと思う。

ストレートな感情としては、高校時代に初めてライブハウスに足を踏み入れた時の既に忘れてた気持ち、を10何年ぶりに思い起こされたツアー。
バンドの「はじめ」を思い起させられた西日本ツアーだった、と思います。

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papalionJapanTour2007~後書き~39

2009年02月11日 | キャンプでライブツアー'07・後記

>> 2007TOUR~後書き~38の続き

8月13日(月)、静岡の清水JAMJAMJAMでのライブご高速のPAで夜を明かし、
翌朝、最後に海水浴場に行きたいとのミズキの訴えに従って、海を目指した。

早朝、高速を下りてからマックに立ち寄った。

マックには無線LANがあるのでメールチェックやら何かと便利がいい。
1時間くらいネットで情報を得た後、海へ。
少し道に迷ったけど駅に情報を貰いに行ったりと迷走したあげく、海に着いた。

その日、神奈川の二宮袖ヶ浦海水浴場は、日差しは強く絶好の海水浴日和だったけど、波が高く海に入っての遊泳は禁止だった。
なので波打ち際で、海に浸かる程度の水遊びしか出来なかった。
監視員が目を光らせているし。
遊びに来ていたお客さんは親子連れが多かったが、白い肌の秋葉系っぽい一団(8人くらい)が目に付いた。
彼らはかなり面白かった。

彼らは海に似つかわしくない出で立ちなのに、テンションは一際高く、目隠ししてのスイカ割りしてたり、写真撮影会してたりと、アイドル夏の感謝祭?というような遊び方。
周囲があぜんとする雰囲気で「アハハアハハ」と砂浜をはしゃいで駆けている・・・
本人達が楽しんでるのは見てわかったけど。

そんな今まで見たこと無い光景を横目に、海にどっぷり入れない苛立ちもあって昼過ぎには海水浴場を後にした。

国道1号をゆーっくりと渋滞と戦いながら東京まで帰った。
夕方、日が落ちる前には家に到着。
長かったツアーの西日本部門の終了。

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papalionJapanTour2007~後書き~38

2009年02月03日 | キャンプでライブツアー'07・後記

>> 2007TOUR~後書き~37の続き

8月12日(日)、静岡の清水JAMJAMJAMでライブ。

清水JAMJAMJAMのブッキング担当?店長さん?とにかく仕切ってる責任ある人が若い女の人で、えーこんなに若いのにそんな立場なの??って思うくらいびっくりした。
つーか自分が予想以上に年食ってるのか・・・

で、清水の町の散歩後、パパライオンツアー西日本のシメとなるライブに臨んだ。
僕らのライブは他のバンドと明らかに違う雰囲気で、上げ上げなノリが多かったこの日のライブの中では、少し浮いた存在だったのかなーと思い返します。

ライブ後、お客さんがなかなか帰らなくて、ライブハウス前で夜中まで大騒ぎだったけど、他のバンドさん達ともお客さんともコミニュケーションが取れて、なかなか楽しかった。
CDも買ってもらえたし。

そうしている間に、人もチラホラいなくなって、僕らも皆さんに別れを告げて、東京に向かった。と言っても、とりあえず高速PAで一晩寝るために高速に乗るだけだけど。

長かったツアーの前半が終わるのが少し感傷的になったのか、今までのことを思い返した夜だったように憶えています。

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papalionJapanTour2007~後書き~37

2009年02月03日 | キャンプでライブツアー'07・後記

>> 2007TOUR~後書き~36の続き

8月12日(日)、静岡のならここの里キャンプ場を朝出て、途中風呂に浸かり清水JAMJAMJAMに午後3時くらいに着いた。
既にライブハウスには人が出入りしていた。

ライブハウス前の駐車場に車を停めて、挨拶をしてライブハウスの中に入った。思いの他、広い。天井は少し低く、三茶のヘブンズくらいか。
リハ中、対バンに挨拶しつつ、僕らもリハをした。
リハ後、対バンの「いなかやろう」が東京のバンドだという事がわかり、色々話をしていると、Boatのアセさん関連レーベルだと言う話。アセさんとかミクロの人達とは昔少し関わりがあったので、懐かしいのと、最近の新鮮な話題とで盛り上がった。
いなかやろうは週末を使ってのツアーを長いことかけてやってるとの事。
毎週末、気持ちを切り替えないといけないし、毎回金土or土日2日連チャンライブで、東京に帰れば仕事があるだろうし、身も心もハードだろうな。

その後、時間があったので、清水の町を散歩。

港町らしくすぐ近くに漁港があって、魚臭い潮臭い風が常に吹く町。
駅前は最近できたらしい大きな施設だったけど、アーケードとか古い商店街は、懐かしい昭和の雰囲気をかもし出していた。
逆に落ち着く。

ライブハウスに戻って見ると、ちらほらお客さんも入ってきてた。
ライブハウスは町の中心部から少し離れてるんだけど、自転車をかっ飛ばして地元の人達は見に来るんだね。
嬉しいなー。

清水は東京も近いし太陽も近くに感じられてイイ場所。町は小さいけど、古い町並みも港町にしては清潔だったし、生活スペース的には全て揃ってて特に困らなそう。
東京から移住してもいいなーなんて思った。
清水が受け入れてくれないかもしれないけど・・・


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