三宅香帆氏の『 なぜ働いていると本が読めなくなるのか 』を読みました。
先日池上彰さんのTV(いま話を聞きたい30人)に著者が出演していて、この本を知りました。
番組の中で『一生かかっても図書館の本全部を読めない・・・』という発言が刺さりました。
私は高二の時、一心不乱に本を読みました。結果は1年間でおよそ100冊。
その時、通っていた街の小さな本屋さんで「自分は一生かかっても、この小さな本屋さんの本ですら読みきれない」とショックを受けた経験があったからです。(ちなみに著者は1年間で365冊読むそうです・・・スゴイ!)
番組では、自分の気持ちを言語化できないモヤモヤが、本を読むことで語彙を得て表現できるようになるとも仰ってました。
この本の内容は、
まえがき 本を読めなかったから、会社をやめました
序 章 労働と読書は両立しない?
第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生 - 明治時代
第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級 - 大正時代
第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか? - 昭和前期・戦中
第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー - 1950~60年代
第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン - 1970年代
第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー - 1980年代
第七章 行動と経済の時代への転換点 - 1990年代
第八章 仕事がアイデンティティになる社会 - 2000年代
第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか? - 2010年代
最終章 「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします
いくつか印象に残った部分を挙げると
『現代の労働は、労働以外の時間を犠牲にすることで成立している。』
石川啄木の詩「飛行機」について・・・『高く飛んでいこうとする日本全体の国の勢いの一方で、貧困にあえぐ若者たちは絶えることはなかった。明治末期の労働者階級の読書の在り方を端的に示した詩である』
『教養とは、本質的には、自分から離れたところにあるものに触れることなのである。』
『私が提案している「半身で働く社会」とは、働いていても本が読める社会なのである。』
『新自由主義は決して外部から人間を強制しようとしない。むしろ競争心を煽ることで、あくまで「自分から」戦いに参加させようとする。』(そのことが燃え尽き症候群から鬱に繋がる)
著者は結論として働きながら本を読めるように半身で働こうとまとめています。
半身でいることで燃え尽きて鬱にならない社会・・・本が読める社会。
そして、ネットなどの「情報」にはない読書で得られる「ノイズ」こそが『教養』なのだとしています。
その、働くこと以外の教養を取り入れる余裕がある・・・それこそが「健全な社会」と云うことです。
私も、退職して初めて健全な社会の末席を汚せたのかもしれません。