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退職オヤジのひとりごと

退職オヤジが直面する新しい日々…感動か困惑か?
カオスの日々を綴ります

自殺

2020年09月29日 02時54分33秒 | ニュースより

思いつきで書くことではないと重々承知の上で書かずにいられなかった。




竹内結子さんが亡くなりました。


三浦春馬さんや芦名星さんが亡くなったことも記憶に新しい。



他人にはわからない大きな苦しみがあったのでしょう ・・・


・・・


でも ・・・ 死なないでほしい。



永遠に続くと思える貴方の苦しみは、それを絶つことをしたその瞬間から

『なぜ何もしてあげられなかったのだろう』

という「貴方が大切な人」である人たちの苦しみに変わって、これから何十年も続いてしまう。
 



一人ぼっちじゃありません。閉ざされてはいません。

ただ一時的に見えなくなっているだけです。




とにかく生きていてほしい。



生物の定めとしてその命がつきるまで、生きていてほしい。


生きていてくれさえすればいいんです。



生きていてくれるだけで、わたしの心は穏やかになる・・・と感じている人がいるはずですから。

 

新米

2020年09月28日 21時27分42秒 | 嬉しかったこと
米が届きました。

大学時代の友人からです。


米所新潟県産です。



水加減を間違えちゃいけない・・・というプレッシャーを感じながらも普段通り炊いて頂きました。





美味しい!





日本人を実感させるプレゼントでした。

 
大学卒業して40年も経つのに、良い友達を持って幸せです。
(米を頂けるからではありません・・・念のため)

 

菅政権の政策2

2020年09月25日 05時11分04秒 | ニュースより



少しずつ明らかになる 「菅政権の形」 から感じたことを書いてみます。(9/18の続き)


<携帯電話料金の値下げ>

 多数の国民が所持する携帯に目を付けたことは良いと思う。
しかし、家計を助ける大きな一打だと思うが、実現できると云うことは「本来の料金設定がおかしい」ことに他ならないのではないか。
 つまり、「カルテル」の疑いがあるのに、何の手も打っていなかったことにより国民が苦しんできたと云うことなのではないかという疑問が残る。



<自助・共助・公助>

安倍政権の継承と共に菅政権の国づくりの基本方針のようです。

 
加工食品の原材料表示の仕方は以下のような原則があります。
【 JAS法に基づく加工食品品質表示基準では、原材料名は、使用した原材料を全て重量順に表示するのが原則。(加工品表第4条(2)ア) 】

 つまり、『材料は多い順に表示する』ということです。

 これに沿って考えると、菅政権は『まずは自助である』と云っているに他ならない。

 政権の長が「国難はまず自分でなんとかしてくれ」と云うのはいかがなものか。

 広い意味では、これも安倍政権(自民党政権)の継承「新自由主義の継承」なのでしょう。
 
 国民に体力がある時はそれも有りかも知れないが、コロナで疲弊している今、それを第一に打ち出すと益々「貧富の差」を広げるのではないか。


「レーガノミクス」は新自由主義の旗の下行われた「アベノミクス」の模範としたものです。
しかし、その弊害は生み出された『格差』を見るに明かです。
日本でも中曽根・小泉・安部各政権により格差は広がっています。
「新自由主義」は低成長(ゼロ成長)時代の現在に、益々合わなくなっていると感じるのですが。



兎にも角にも新政権はスタートしたばかりです。

管氏個人の経歴や新しさに期待も膨らむのですが、そこだけに惑わされず先入観を持たずに見ていきたいと思います。

 
 

教育現場

2020年09月23日 04時15分47秒 | 雑感


告別式の折、知人の高校教諭と「コロナの及ぼした教育界への影響」についての話になりました。

人間教育に熱心であった故人が与えてくれた機会と捉え、色々考えました。


<カリキュラムの消化に無理がある>
例年カリキュラムを前倒しして学習する一部の進学校を除いて、高三生にとっては大学受験を控えて戸惑うことが多いと思われる。
昨年の「大学入試英語成績提供システム」や「記述式」の見送りでの混乱も記憶に新しい中、更なる混乱が無いとも限らない。

義務教育現場においても、春休みを除く10週間(3/2~5/31)に及ぶ一斉休校期間を、長期休業の短縮と諸行事を授業に振り返る方法で取り戻そうとしますが、どう考えても4~5週間は不足しそう。
それを、授業方法で取り戻そうとするから「講義形式」になっていく。
文科省が推し進めてきた「自ら考える力」は養う機会を奪われたと言わざるを得ない。


<オンライン授業には限界がある>
特に学習習慣の無い初等教育では、自習の出来ない児童に対しいきなり手探りのオンライン授業はハードルが高すぎる。
先生が黒板に向かって授業をする大学の講義のような一方通行の内容で、「授業をした」という形だけのものになっていないか。
地域差・学校間差も大きいのではないか。
ハードにしても不十分なこの方法を現役世代でテストしたような形になっている。

結果、自習という名の宿題で消化せざるを得なくなっているのではないか。


<初等教育では授業は人間教育の手段である>
初等教育の大きな柱である「対人間関係(社会性)」を学ぶ機会が奪われた。
特に、小学一年生にとって『学校となどんなところか』すらわからないまま、長期間自宅で拘束され続けた。


<部活動をはじめとして学校諸行事の持つ意味>
数字で表れる部分は改善の努力をし易いが、テストで計れない学校活動について、機会を失った影響は大きいのではないか。



これら諸問題を考えるに、コロナ禍による『目に見えない影響を予測した対策』が求められているのではないでしょうか。

今現場で行われていることを否定する訳ではありません。
むしろ先生方には医療従事者の方々同様最善の努力をされていると頭の下がる思いです。

しかし、その努力によりカリキュラムが消化できたと云うことで、水面下で起こる影響について社会が無関心ではいけないと思うのです。


運が悪かった子達・・・だけで済ませないで「目に見えない不足部分」について、社会の先輩方が丁寧に彼らと接することで補うことが求められていると思うのです。


未履修となるのは、数週間の「学習」ではなく、今年学校という集団で学ぶはずだった「日本文化に近いもの」と感じているからです。