物江潤氏の『 SNS選挙という罠 』を読みました。
本屋さんの新書のコーナーでぶらぶらしていた時、ふと目につきました。
最近、選挙が様変わりしていることを感じていたので、思わず買い求めました。
内容は、
はじめに
第一章 SNS選挙の問題点
第二章 兵庫県知事選を振り替える
第三章 ストーリー参加型選挙の危険性
第四章 戦後最大の思想家・吉本隆明
第五章 偽りのストーリーを破壊する
第六章 自立の思想
おわりに
前半は現状の検証。後半は過去の事例との共通項を見いだすことによる考察・・・といった流れでしょうか。
印象に残るフレーズは沢山ありました。
いくつか挙げてみると・・・
迷惑系ユーチューバーのように、金のためであれば手段を選ばない人々がネット上で続出する。
極論であるほど注目を集めて力を持つ。
ネットリテラシーを高めることで真偽を見極めるという作戦は、AIに真っ向から勝負を挑むようなもので無理筋です。
敵と味方を峻別する「味方であればどんな悪行をしても善」「敵であればどれほどの善行をしても悪」 愛国無罪・反日無罪もそれでしょうか。
「正義の反対は悪ではない、また別の正義だ」という言葉を思い出しました。
膨大な数のポストの中で、思わずスクロールする手を止めて読み始めてしまうのは、読めばすぐ理解でき賛同してしまう刺激的でよりシンプルなもの、つまり極論。
SNSの世界では、対話的理性が発揮され対立する論者間で合意形成が成立することなど無い。
岩盤支持層は自説の正しさを確信していて対話的理性による合意形成は望んでいない。
・・・これって最近の政治家さんたちが陥っている(利用している)現象でしょうか。
一般社団法人はお金を払えばだれでも設立できる。
一般社団法人が発信していること全てを鵜呑みにする事は危険と云うことですね。
保守インフルエンサーが、敵対するインフルエンサーの主張を引用した上で「このままでは日本が終わる、こんな人たちをのさばらせないために、我々は立ち上がらなくてはならない!」といい、「攻撃せよ」とは命じないものの、暗に指示している。
安倍元首相がそんなこと言ってました。トランプさんもこの手法ですかね。
他人が作った二項対立の土俵に乗れば、それは思考停止と同じ。
SNS上のストーリーに乗ることは、「自分の頭で考えること」を放棄するだけでなく、これまで自分が考えてきたことを含む自分の過去を軽んじてしまうこと。
自分に自信を持ちつつ「対話的理性による合意形成」のできる柔軟さが必要だと感じました。