中学3年間、同じクラスだった子が一人だけいます。
彼女は勉強が出来る子でした。
何かの時に先生に言われたことがあって、それは
あまりにも勉強しない私に、勉強できる彼女を傍に置いたということ。
その期待にはまったく応えることが出来なかったけど
彼女と親しい友人2人が神戸の大学に行って
私は大阪の製菓学校に行ったので、何度か関西のケーキ屋さんめぐりなんかをしたりしました。
彼女が結婚して千葉に住むようになり
私がまれに上京した時は、よく行きたいお店に連れて行ってくれたりもしました。
彼女はお盆やお正月はいつも帰省していたので、会えるときは会っていました。
まぁ時々、なんだこいつ!と思ったりしたこともあったけど(笑)
そんな彼女が逝ってしまいました
体調が悪いと聞き、会いに行こうと思っていた前の晩に。
なんだ私に会いたくなかったのか!?と
彼女のお母さんと笑いました。
どこかの選択で、違う選択をしていたら
もしかしたら逝ってしまうという結果にはならなかったのかもしれないと思いながら
避けては通れない道だったのか?と思ったりもしました。
逝ってしまうのは悲しいことだけど
重い身体から解放されて、今度は自由に、私たちが気持ちを研ぎ澄ませばいつでも会えるようになった。
またね!!まったくパパリン泣かせだよ(笑)
彼女は勉強が出来る子でした。
何かの時に先生に言われたことがあって、それは
あまりにも勉強しない私に、勉強できる彼女を傍に置いたということ。
その期待にはまったく応えることが出来なかったけど
彼女と親しい友人2人が神戸の大学に行って
私は大阪の製菓学校に行ったので、何度か関西のケーキ屋さんめぐりなんかをしたりしました。
彼女が結婚して千葉に住むようになり
私がまれに上京した時は、よく行きたいお店に連れて行ってくれたりもしました。
彼女はお盆やお正月はいつも帰省していたので、会えるときは会っていました。
まぁ時々、なんだこいつ!と思ったりしたこともあったけど(笑)
そんな彼女が逝ってしまいました
体調が悪いと聞き、会いに行こうと思っていた前の晩に。
なんだ私に会いたくなかったのか!?と
彼女のお母さんと笑いました。
どこかの選択で、違う選択をしていたら
もしかしたら逝ってしまうという結果にはならなかったのかもしれないと思いながら
避けては通れない道だったのか?と思ったりもしました。
逝ってしまうのは悲しいことだけど
重い身体から解放されて、今度は自由に、私たちが気持ちを研ぎ澄ませばいつでも会えるようになった。
またね!!まったくパパリン泣かせだよ(笑)