夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

負け犬の反対語はフケ犬

2005年01月06日 | Weblog
負け犬論争について

私は負け犬の反対語は勝ち犬じゃなくて、フケ犬だと思う。
ふけた、というのは、老いた、という意味ではなく、花札なんかで、たとえば、(何点を基準にするかはローカル・ルールによって違うが)20点以下しか取れない人が一人でもいると、その勝負自体がなかったことになる、ていうのがあるじゃないですか、それですね。
通常は、一点でも多く点を取った人が勝ちだから、みんな高得点になる役(猪鹿蝶とか)を狙って一生懸命ゲームに参加しているのに、あまりに手が悪すぎる場合、逆に低得点でふけて、「負け」るのだけは避ける、という戦略があるのですね。もちろん合法的な作戦です。

女性が仕事を辞めて専業主婦になるって、花札でいう「ふける」という行為ではないか、とずっと思ってきた。働いている人間は、仕事上の業績ややりがい、つまりachievementを尺度とするが、主婦たちは「子供ってかわいいわよ」という全然違う価値観を持ち込み、こちらを脱力させる。achieveしようと必死にがんばっていることを否定されたような気持ちになる。

私の大学の同級生の女性の中には、少なからず、出産や夫の海外転勤等でキャリアの中断を余儀なくされた人がいるが、私も取材を受けた先日のアエラの「東大女子40歳の現実」にもあったように、東大卒のプライドが邪魔して、中小企業に再就職するぐらいなら、エリートの夫(ほとんど同じ大学出身者)を支える優雅な専業主婦生活、という道を選んでしまう。そして、年賀状等には誇らしげに「子供がピアノの発表会で云々」と子供のことばかり書いてくる(写真だけなら別に腹は立たないが、子供自慢のコメントは物心身のあらゆる犠牲を払い、体外受精を5回やっても妊娠できない人間にあまりに思いやりがないと気づいてほしい)。

つまり、仕事をするかぎり、会社、肩書き、仕事の内容等で勝ち負けが判断されてしまうので、負けそうだと思ったら、その勝負自体に意味がなくなるような価値観の生き方(専業主婦)の方にシフトするということだ。つまり、勝負から降りてしまうのだ。

日本では、社会保障や男女の役割分担意識等、あらゆる制度・環境が、働く女性に不利にできているから、女性が勝負を挑んでも、たいてい「負け」てしまう。
酒井順子氏のいう負け犬とは、「しかし、だからといって、勝負を降りたりしないわよ。堂々と負けるわよ」という気概のある生き方を選んだ女性のことをさしているんだと思う。
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