もったいない・ご恩返しの心を!太田清蔵の世界世直し運動

地位と名誉と資産と収入を一番大切にする自己中心主義を替えて、戦争とテロと貧乏と病気と麻薬撲滅に全力集中

ムクンド・シャルマ・カフレ様からの連絡

2009年08月11日 16時50分04秒 | Weblog
拝啓 太田社長様

大変お元気でおられることをきいて非常にうれしいです。
いつもいろいろと大変お世話になり本当にありがとうございます。
ぼくのFLIGHTは以下の通りです。

FLIGHT JAL 001便
出発 8月12日(水)1:30PM サンフランシスコ
到着 8月13日(木)4:20PM 成田東京着

FLIGHT JAL 002便
出発 8月22日(土) 6:05PM 成田東京着
到着 8月22日(土)11:30AM サン・フランシスコ

大変申しわけありませんが、今回はぼく一人でまいります。
WifeのbrotherはcancerのtreatmentのためインドのボンベイのTATA(ターター)cancer INSTITUEでtreatmentを受けており、wifeはそのためインドへ行きました。

太田社長のご指導でがんばっております。
ぼくは皆様に「日本と国際社会を一番よく理解する外国人」だといわれるのですが、まだまだ鞭撻不足だと思います。

Mrs.Kazuko Otaおよび「太田せいぞうをかこむ会」の皆様に心からよろしくお願い申し上げます。
ではしつれい致します。お会いできるのをたのしみにしております。
敬具
ムクンド・シャルマ・カフレ

お釈迦様の国からムクンド・シャルマ・カフレ様来日、世界救世を声明

2009年08月10日 09時21分27秒 | Weblog
 ネパールのムクンド・シャルマ・カフレ様が、ネパールの水力電源開発構想検討会議出席のため、8月12日にサンフランシスコ発日航機で発たれ、翌13日午後4時30分成田着にて来日されることになりました。
 滞在中は東京神宮前の太田清蔵事務所内で開かれる会議などに出席する見込みです。

 シャルマ様は東京工業大学卒業後、上海市の中国工業大学を卒業され、私共がネパールでお会いした時には、時のネパール総理大臣のお嬢様と結婚され、シャルマ姓を名乗っておられました。
 したがって半分の寄附をさせていただいた太田清蔵には、家内共々総理大臣のお声がかりで、在ネパール一のホテル、国内の視察、ルンビニ参拝には王様並びの歓待を受け、お釈迦様の直言である「人間も動物も鉱物も全部お釈迦様のもの」であって、相互不信感などは全くないことを教えて下さって、私達夫婦は太田の為でも、東邦のためでも、日本のためでもなく、すべてお釈迦様のお声そのものを聞かせて下さいました。
 シャルマ様は今回の来日は婿入り先の総理大臣は昨年亡くなられ、総理の御子息様も他界されたばかりで、今回の来日にはご夫人は同行できませんと言ってこられました。


 日本側では終戦の年に、海軍兵学校長崎の針生分校を卒業された1928年生まれの竹井典夫氏が、卒業同時に日本が敗戦し、現在の九州工業大学校を卒業して1952年川崎製鉄に入社、主任技師に、当時の送水管、送油管は質が悪く、長期に耐えられないから一刻も早く管の中にゴムを内包した製鉄ゴムパイプ管に全世界更迭して世界の未来に最も安全を託すべきであると提案してこられました。

 これまでの日本のアラブ、アフリカの援助は日本の海水を淡水化するだけを普及させたのですが、世界一の富士ミネラルウォーターのような真水の美味しさもなく、これで耕作した農産物は不味でアラブ、アフリカ15億、インド、パキスタン、バングラディッシュ15億計30億の世界の半分の人々を満足させる農産業はできませんでした。

 20世紀までは石油、石炭、原子力が電力技術の中心でした。しかし石油、石炭を今のまま電力に使用すると、世界中の工業製品に使用する石油、石炭が後20年で世界から姿を消してしまうので、これからは世界一の電力学者西澤潤一先生の言われる通り、日本のロボット技術を使って水力ダム崩壊の原因となる水力ダムは建設から50年でダムの中に溜まる主流からの大石や大木材が、小石に砕いてくれると、水力ダムが50年で崩壊すると言うこれてまでの思い込みは、川崎製鉄、関西製鉄、池貝鉄工等の力でロボットをダムの大石や大木を小石に砕いて報水路から海にながしてしまえば、山の高さに比例した水力階段ダムができます。

 ベンジャミン・ロスチャイルド氏は、エジプト、バビロニア、ギリシャ、ローマ、インド、中国、インカ等の文化文明で世界がガソリン自動車で不作為な事故で犠牲者が続き困っておられました。
 電気自動車になれば高速道路が一番安全なコントロール機関となって衝突の起こらない地帯になってイスラエル、レバノンで日産電気自動車、三洋蓄電池、富士スバルサンバになって事故を起こさせない世界が広がります。

 世界一高い山々で構成されたネパールは世界を救済する運命を持って居られます。世界に降るミネラルウォーターの4分の1はネパールに集中して居り、日本製のゴム鉄土管でアラブ、アフリカ15億人、インド、パキスタン、バングラディッシュに15億人で世界の人口の半分の方々に供給することが出来、海水をろ過して人間が作った水とは全く違う、真水の美味しさと、農作物を熟成できる栄養素を持っております。

 20世紀までの電力の素は石油、石炭でしたが、あと20年で世界中の工業原料の元になる量が絶滅するため、ロボットの活動でダムに滞留されて崩壊させることができる工業技術は日本が持っており、8000メートルの山々を80階段の100メートルダム階段が可能であり、30階段ダムを一発電気で処理するようにできるようになった今日、普通のダムの80階段、10分の1の水力電気で普通のダムの80倍+100倍で90階段ダムが可能になってきました。
 東京の国連大学付属国際水力発電株式会社がネパールだけで普通のダムの80倍+10倍の90倍

 発電所と配電所では交流で処理途中送電中直流100万ボルトの装置を30箇所のリレーステーションを世界に設置すれば国連大学付属国際水力発電一社だけで世界中の電力を無料で供給出来、各国の之までの電力会社は、全部取り崩し販売することができます。

 もったいない御恩返し、可哀想な人々を助けましょうと仰った明治天皇の御理想が地位と名誉と資産と収入が一番と言う自分勝手な世の中を変えさせていただくことになります。


海外エスタブリッシュメントが注目した浮世絵からわかる日本人の器用さ

2009年05月21日 21時34分41秒 | Weblog
 三年前にドイツのシュレッダーという首相が太田美術館を見学に来られました。
そのとき私は、
「光栄なことでございます。ありがとうございます」
 と申し上げましたら、
「いや、私は浮世絵そのものは、もう何回も観ていてよく知っている。そんなことより、私があなたに言いたいことは、浮世絵師が、どうしてそんなに器用なのかということです」
 と仰られました。
 浮世絵というのは、元々は中国は明の版画から来ています。明の版画も、浮世絵も、両方とも絵描きさんが描いたものを、最後は手先1本で彫って刷るわけでです。
 明の版画のほうは、1本の線を5通りから10通りに分解して彫ることは出来ます。ところが、日本の浮世絵師に至っては、15通りから50通り彫ることが出きるのです。
 日本がそんなに器用だということを、誰がよく知っているかというと、それはなんとロシア人なのだそうです。ロシアは、中国と隣接しております。大所においては絶対に中国には負けない。しかし、手先に関しては中国のほうがはるかに器用で、とてもかなわない。けれども、日本人はさらに中国人の上をいくというわけです。
 東京には、10校のアメリカンスクールがあります。そこには、フランス人やドイツ人なども、そうした学校に通っています。そこで6歳から12歳のまでの間に、当然のこと母国語は習いますが、その他に日本語を習っています。それぞれ年齢に応じて、教育水準を図る意味で学力テストを行っていますが、そこで不思議なことに、日本に来ている子供たちは、母国の子供たちよりも学力水準が上だということが判明したと聞きます。どうしてそういうことになるのかと調べたところ、それは日本語のなせる業だということだそうです。アメリカのパブリックスクールで何校か試験的に日本語を学ばせてみると、やはり学力が上にいくそうです。(2009.1.21 太田清蔵勉強会『もったいないご恩返しの会』スピーチより)

日本の女性は非常に優れていた

2009年05月19日 20時34分22秒 | Weblog
1520年頃、徳之島にスペインの鉄砲隊が入ってきて、徳之島を占領して、それから現在の大分県を植民地にしようとしたことがあります。
豊臣秀吉から徳川家康の代に代わり、これはこれは鉄砲とキリスト教の信仰をもって、スペインが日本を占領してしまおうという策略だとし、その策略を見破るために、これから日本ではキリスト教を禁止する、その代わりに日本国民は全員、仏教徒としてどこかのお寺に所属しなければいけないということになったわけです。
私が非常に徳川家が偉いなあと思ったことは、徳川のはじめには、国民の収入の7割、これは世界の標準といわけている数値ですが、7割が税金としてお国に持っていかれた。ところが江戸幕末、マシュー・ペリーが来た頃には、収入の3割しか税金でとられていない。あとはお寺さんに「喜捨」として納められていたともいわれています。
また、私が一番不思議でしょうがないことは、世界中で、ほとんど強制的に男女の別なく、読み書きの教育をしたのは日本のお寺しかないのです。世界のなかで、そういうところはないです。
だから、日本の女性は非常に優れていた。日本の女性は昔から、非常に謙虚でありながら、非常によく勉強をしています。そういうことで、マシュー・ペリーが来た頃は、「世界一の日本」と思ったのでしょう。
(2009.1.21 太田清蔵勉強会『もったいないご恩返しの会』スピーチより)

*参考
ペリー提督が見た日本女性

マシュー・ペリーが観た日本の武士

2009年05月18日 18時36分41秒 | Weblog
マシュー・ペリーは155年前(1853年)に日本に来て、江戸幕府に向かって国を開いてもらいたいということを言ったときに江戸幕府は、「時がきたらそのようにしましょう」と仰ったわけです。しかしそういうことよりも、マシュー・ペリーが一番驚いたことがあります。それは、欧米の一番の偉いさんというのは、地位と名誉と資産と収入がトップであることが、その国のトップである資格であるということになります。ところが日本では、トップである武士は、百姓や町人の半分も収入がない。どうしてそんな人が国を治められるんだろうかと疑問に思ったわけです。
そういうことを彼は、日本に残っている2年間において専門に研究し、あっと驚いた。
それは、武士という存在は、地位と名誉と資産と収入が国において一番ということではなくて、困った人を助ける、つまり「もったいないご恩返し」の道、その道は仏様の道と同じで、仏様に感じられるという存在ですあるという、それは「助けてあげる」喜びであり、例えようがないものなのだということを知るに至ります。これを知ってマシュー・ペリーは、これは欧米のものの考え方では一人の人を除いてあとは全部が敵になってしまう可能性があるけれども、日本のように可哀想な人を助けましょうということなら、反対する人はいないわけですから、やがて欧米のものの考え方は、日本のものの考え方に全部しわ寄せされるときが来るだろうと、150年も前に予告されてしまいました。
(2009.1.21 太田清蔵勉強会『もったいないご恩返しの会』スピーチより)

*参考
ペリーの言葉(『ペリー米海軍提督論文』1856年3月6日より)

「事実、私は、世界のどの地方においても、ヨーロッパですら、日本人のように気取りのない優雅さと威厳を持つ人々に出会ったことがなく、ことに貴族の人々の物腰はみごとであった。またいくつかの階級への分割は、明確で譲ることのない一線で明示されており、それぞれの階級の、上下の違いについての法律は、一貫して、また従順に護られているが、異人にとっては、これら階級全てとの社会的な交流が、親切で思慮のあるもののように見える」

「勿体ない」の意味

2009年05月01日 16時04分04秒 | Weblog
先日の勉強会では、ご参加くださいました学校法人・国際経営学園理事長の柏正美様が、当勉強会の名称にある「もったいない」と「恩返

し」にまつわる言葉の語源について記された資料をお持ちになり解説して下さいました。
以下、ご紹介させていただきます。

恩送り おんおくり
 江戸時代には、「恩送り」という考え方があったそうです。「恩返し」と違うのは、直接恩を受けた相手に限らず、ほかの誰かに恩を送

り継いでいくことだといいます。
 最近では「恩送り」だけでなく、「恩」という言葉そ似ものも、あまり聞かれなくなつたような気がします。昔は、感謝の気持ちをあら

わすときにもよく使っていたように思うのです。「恩に着ます」「このご恩は一生忘れません」……。
 本来、「恩」は、恵みや慈しみのこと。ただ日本では、とくに上からの施しをさすようになります。それに対する反発からでしょうか。

それとも、「恩」という言葉の中に、相手にお返しをしなければいけないような重さを感じるからでしょうか。
 たぶん、「恩送り」という言葉は、親から子へ、またその子へと愛情を受け渡していくことから生まれたのでしょう。そんな「恩送り」

の流れを、縦ではなく、横へと広げていくこともできると思うのです。広がっていく「恩送り」の波紋-…。きっと、恩の主も喜んでくれる

はず

「勿体ない」もったいない
「勿体」は、中世のころにできた和製漢語だそうです。もったい語源は、物のあるべき姿をいう「物体」だという説が、現在では有力なよ

うです。漢字は、「物」を省略して「勿」と書いたのだとか。これを「無し」で否定して、「もったいなし」になったということです。
 ほかに、「体」は正体の意味、「勿」はそれを打ち消す言葉だという説もあります。この場合の「なし」は程度がはなはだしいことをあ

らわす接尾語ということになります。
 どちらにしても、もともとは「あるべき姿をはずれている」「不届きである」という意味で使われていました。つまり、本来の姿にみあ

った扱いをされないことが、「もったいない」というわけですね。これは、神聖なものが汚されて恐れ多い場合にも、身に余りある好意を

受けて感謝する場合にも使われます。また、粗末に扱われて惜しいということや、活かされずに残念だということにもなります。
 感謝と借しむ気持ちが同居している「もったいない」という言葉。生き物だけでなく、すべての物に命があると感じてきた日本人らしい

言葉です。

(出典:山下晃子著『日本人の心を伝える思いやりの日本語』青春出版社刊)

柏様は、
「感謝の場合も「もったいない」、惜しい場合も「もったいない」と、大変幅の広い言葉だということがかわりました。
プラスの場合もマイナスの場合も使う日本的な言葉で、中世の頃から使われていたようです」
とコメントを添えて下さいました。
 なお、柏様は、昭和16年、新潟県でお生まれになり、早稲田大学を卒業、税理士試験と公認会計士第二次試験に合格された後、昭和4

5年に国家試験受験のための学校である「TAC」、昭和52年に「LEC」を創設され、現在は、八王子市内にある学校法人・国際経営

学園理事長の要職に就かれておられます。

「昭和天皇がこよなく好まれた豆大福 豆餅」 

2009年04月23日 14時16分31秒 | Weblog
毎月、太田清蔵事務所では、『もったいないご恩返しの会』と称して勉強会を行っております。
今月の勉強会は、先週の金曜日(4月17日)に行いました。
太田先生には、ご自身の波乱に満ちた半生を語っていただきながら、さらには持論の世界構想を話されます。
昨年秋より始めた、ごく内輪の会合ですが、太田先生の竹馬の友としてご参加下さり、太田先生との心温まるエピソードを添えて下さるのが、酒呑小童子先生です。
酒呑小童子先生は、日本で最初のコンピューターのシステムエンジニア(SE)でいらっしゃる大変著名な先生でいらっしゃり、太田先生とは70年来の幼馴染でいらっしゃるとのこと。ユーモアたっぷりにお話になり会を盛り上げて下さいます。
そんな酒呑小童子先生が、今回の勉強会ではとっても微笑ましいエピソードとともに、豆大福を差し入れて下さり、参加者の皆様とテーブルを囲み歓談の中、賞味させていただきました。
そのエピソードを文章でいただいておりますので、ここに紹介させていただきます。

  高輪の旧高松宮邸のそばに松島屋(現在営業中)という小さな小さな和菓子屋があり朴訥な家族が一家で営業しております。
  昭和天皇が高松宮邸を訪ねられると宮家はいつも松島屋の豆大福 豆餅でもてなされた由。天皇は大層愛好され宮中でも時々「高松に行こうか」と申される事があったとか。それはあの豆大福 豆餅が食べたいという暗示であったとか。
  早速宮家より献上されたという逸話が何となく伝わっている。 
  事の真偽は不明であるが確かにここの豆大福 豆餅は 他に比類をみないほどえんどう豆が沢山入っている。またこのお店の家族的な実直さがお客の胸を打つ。
  今でも毎日良心的なお菓子を作っておりお客の列は絶えない。

また、先生は、ロマネスク芸術への造詣も深く、とても興味深いお話もして下さいます。
ご友人の西洋史家が、中公新書出版記念に写真展を開催されるとのことです。

『イタリア・ロマネスクへの旅』写真展
場所:ギャラリーび~た1F
日時:4月29日(水)~5月3日(日)
お問い合わせ先
℡03-3561-5050


甘いものも召し上がる酒呑小童子先生、美味しい豆大福、ありがとうございました。
(『もったいないご恩返しの会』太田清蔵勉強会事務局・海野美佳)

マッカーサーと乃木将軍

2009年04月16日 16時51分41秒 | Weblog
日本が今日、戦後世界一の工業国家になったのは、ダグラス・マッカーサー元帥のお陰です。アメリカのお陰ではありません。
ダグラス・マッカーサーもはっきり言っています、「アメリカは日本の敵ではあっても味方ではありません。気をつけなさい」と。
では、なぜ彼が日本の恩人だというかといいますと、彼のお父さんの話にさかのぼります。彼のお父さんアーサー・マッカーサー・ジュニア中将は、日露戦争旅順を攻めていおりました。乃木希典を助けるために、アメリカから派遣された陸軍中将で極東軍司令官として東京に駐在なさっていたわけです。
明治38年3月10日に旅順が占領できて、水帥営というところで講和会議を開くことになりました。それで、それを助けたのがアメリカ軍のマッカーサー中将ですから、乃木大将に向かって
「私どもはあなた方を助けたのですから、水帥営の講和会議に出席させてくれ」
と言いました。ところが、乃木大将は色を変えて怒りまして、
「私は武士である。武士は絶対に敵に恥をかかせない。恥をかかせないのが武士だ」
と言ったのです。勝敗は時の運で仕方ないけれども、負けた人を前にマッカーサー中将が出てくることを許せば、こんなに恥ずかしいことはない。
確かにアメリカのお陰で勝ったことは事実だけれども、講和会議に出席させることは出来ないということだったんですね。
それを聞いていた息子であるダグラス・マッカーサーは、当時は副官でアメリカ軍の陸軍大尉です。乃木大将の言葉を聞き、「敵に恥をかかせない」その言葉がその後、生涯にわたって彼の信条になったということです。
その後、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領から、ダグラス・マッカーサーは対日極東軍の司令官になります。彼の居室には、生涯、乃木希典の写真が飾られていたということで、原爆を落とすことには心を痛め、戦争には勝ったけれども、原爆を二発も落とし、日本に対しては「申し訳ない、申し訳ない」という思いでいたと言われています。
その後の朝鮮戦争では、武器・弾薬以外の軍需品は日本で特別発注しました。こういうことは本当は、やってはいけないことですが、それをマッカーサー元帥はおやりになった。しかし、そのお陰で日本は今日、世界で一二の外貨準備高になったのです。その金額は、今の金額に直すと140兆円に匹敵します。
だから、私は、日本はアメリカには一銭の借りはないけれども、マッカーサー元帥には140兆円の借りがある。そう思っているのです。

2009.1.21日『太田清蔵勉強会・もったいないご恩返しの会』スピーチより


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〔提言1〕戦後日本の最大の恩人・マッカーサー元帥の好意に感謝を
〔提言2〕国民個人金融資産からマッカーサー元帥に対する恩返し金を

情報誌「選択」9月号に「中国政府の要人と親交のある有力者」として紹介されました

2008年09月06日 16時18分52秒 | Weblog
◆日本のクウォリティ情報誌「選択」(会員制)の2008年9月号の「情報カプセル」(社会・文化)欄に、私のことが掲載されていますので、紹介しておきましょう。
「日本のウォータービジネス企業が中国に売り込み攻勢」というタイトルがつけられ、以下のように記述されています。
「日本企業は、中国政府の要人と親交のある有力者を頼って『ルートづくり』に懸命のようだ。浮世絵太田記念美術館の太田清蔵理事長(元東邦生命社長)にも『紹介依頼』が殺到しているという。故・小平や李鵬元首相、温家宝首相らとの間で築いてきた親交がいまも続いているからだ」
◆私は、米国、英国、中国、ロシア、韓国などの要人たちと親しくさせていただいてきました。これらの国々には私のことをいまでも覚えてくれていて、大切に思っていただいております。後身の方々にもこの関係が引き継がれているようです。
◆こうしたお付き合いを今後とも大事にして、日本の方々とを結び付ける役割を果たしていきたいと考えております。詳しくは「選択」9月号をお読みいただき、参考にして下さい。

ビジネス情報誌「エルネオス」に国連大学について私の提案が掲載されました

2008年09月03日 12時44分48秒 | Weblog
「国際研究機関の謎」―「治外法権のうえに活動実績も不明!『国連大学』に問われる存在意義」と題する記事が、会員制ビジネス情報誌「エルネオス」(2008年9月号)に掲載されています。
このなかに、私、太田清蔵のコメントが載っています。国連大学は設立されて33年になります。国連大学本土は当初、国鉄渋谷駅東口近くに新築されたばかりの東邦生命ビル(現在・クロスワードビル)の26階から29階に暫定本部が入居しておりました。私が、東邦生命社長を務めていたころで、私も国連大学に協力させていただきました。
このご縁から、国連大学の日本誘致と設立に尽力された磯村英一先生(ハーバード大学客員教授、東洋大学学長)より私は、「国連大学後援会長」を要請されました。
今回の記事の中で私は、
「学問的成果の現実化が欠けています。株式会社などの事業体によって、ビジネス化し、世界に役立てていかなければ、国連大学の意味がありません。幸い、五代目のコンラッド・オスターヴァルダー学長(国連事務次長、元スイス工科大学臨時総長、理論物理学者)は、地熱発電研究の世界的権威者です。国連大学が地熱発電株式会社の設立などを認めて、クリーンエネルギー確立の一つとして実用に役立てるべきです」と産学協同方式の実現を提案しています。
詳しくは、「エルネオス」9月号をお読み下さい。