私は、「アジア興してこそ日本列島均分繁栄への道」という書籍のなかで、「南北朝鮮経由の航空路設置と東海、黄海二大国際港湾都市提案」をさせていただいております。韓国は2001年3月29日、「仁川国際空港」を開港しています。世界各地と航空路で結ばれ、大韓航空及びアシアナ航空のハブ空港となっており、ハブ空港を持っていない日本をはるかに凌いでいます。
仁川国際空港(インチョンこくさいくうこう)は、大韓民国仁川広域市中区にある国際空港。永宗島と龍遊島の間にあった干潟を埋め立てて建設したそうです。以前に使用していた金浦国際空港は一部を除き国内線専用となった。滑走路は3,750m×2本と4,000m×1本の合計3本が供用中である。
韓国は、アジアにおけるハブ空港の座を確かなものにするため、積極的に日本、特に日本海側の地方空港と仁川を結ぶ航空便を就航させています。実際に成田国際空港や関西国際空港ではなく仁川経由で欧米へ赴く日本人も多くなっているようです。国内線は釜山線、済州線、大邱線があります。空港内にはさまざまな商店や娯楽施設があり、待ち時間が有効に使えるようになっています。
また、私が1988年9月10日、「アジア興してこそ日本列島均分繁栄への道」を
発刊したときには、韓国も北朝鮮も国連に加盟していませんでした。それが1991年に、韓国と北朝鮮が、 エストニア、ミクロネシア連邦、ラトビア、リトアニア、 マーシャル諸島とともに国連加盟を果たしています。そのなかでも韓国は、目覚しい成長と発展を遂げています。このことを確認する意味で、「南北朝鮮経由の航空路設置と東海、黄海二大国際港湾都市提案」について、引用しておきましょう。
中国の某要人が1988年3月に竹下総理を訪問され、東京・ソウル・北京間の航空路を日本側の航空会社が、「北京・平壌・東京間の航空路を中国の航空会社が設置する提案をされました。
日本も中国も韓国も研究に価する事として乗り気を示したのですが、北朝鮮側が、日中両航空路とも平壌を通すのでなければ応じられないと返答されたそうです。
北・南両線を承認し合うことは、やがて中・ソ・米・日四か国の南北朝鮮の相互クロス承認と、それによって国連への同時加盟を誘発して、東西両ドイツのように分割統治を事実上容認してしまう結果になる、というのがその論拠です。
1988年6月25日、朝鮮人民民主主義共和国は、平壌外港南浦を初めての国際開放港湾都市にすると宣言されました。しかし日本では、一、二の新聞が小さな囲みで先の事実を報道したのに止まり、大半の日本人の眼にはその事実は止まりませんでした。
中国の14か所の国際港湾開放都市宣言はこれと異なり、大変な国際的反響を呼んだのです。なぜなら、それらの各都市の背景にそれぞれ一億人近い人々の市場が張り付いており、各国ともその市場性に魅了されたからです。
南浦港が一港であっても、その背後にある北朝鮮の人口は1800万人から2000万人であり、それらはちょうど人口900万の九州、600万の北海道がいくら金と太鼓で中央資本を呼んでも、一向に興味を示されない現象とよく似かよっています。私は、北海道はアメリカ・欧州へ一番近い日本の空港だから、北方圏空路として日本の中心になることを提案しております。同様に、九州は東南アジアに一番近い日本の空港・港湾であり、東南アジアに対する中心拠点としての存在意義を強調する以外に、筑紫の極み陸奥の奥では国内の関心は勿論、アジアや欧米の人々の関心をひくことも出来ないでしょうと考えております。
幸い平壌と南浦間の距離は50キロですから、その中間に大国際空港を開設して、日本から中国、なかんずく東北地区のハルビン、長春、藩陽、大連、北京、西安その他の路線はすべてこの北朝鮮の港の中継ぎということになれば、大変な旅客と便数が新空港を経由することになりましょう。
かくして、中日両国の中継ぎ中間工程工場としての南浦国際港湾都市は大変な盛況をきたすこと間違いありません。
私は、中国訪問時にクラスキノに隣接したトマン河口地帯の吉林省沿辺地区璋春に、第15番目の国際開放港湾都市開設を提案致しました。
中国は中ソ国境の三江地帯の米中合作開発事業や、愛璋地区における中ソ合弁の紡績工場その他の開発地域をもっています。しかし日本海に面した港がないので、そこに行くためには津軽海峡、朝鮮海峡、旅順、大連経由鉄道で国境に行かなければなりません。トマン経由が円周上の一点経由であるのに対して、全円周廻りに近い大迂回で余り経済的でないと、私は中国側に申しました。
中国側は、北朝鮮の要請で北朝鮮経済応援のため、日本海に面する清津港経由で、百キロ北の中国に物資を運んでいますが、余り経済的ではなく、中ソ国境も現在それほど経済活況を呈していないので琿春に第15番目の開放港湾都市をつくる意味がないとまでいわれ、大連港開設への協力を要請されました。
中国の李鵬首相は、中国と韓国の経済交流の活発化を調ってはおられるものの、韓国の政治的承認は、北朝鮮への信義を重んじられて頑なに拒否されております。
中国が璋春地区の開放都市は魅力的でないとおっしゃる真意は、現在北朝鮮にトマン開放地区の意向がない以上すべての陸揚げはソ連経由でされなければならないので、余り気乗りがしない謎であると受けとめました。
したがって、クラスキノがソ連側の日本海出口でありシベリアヘの窓口とすると、もし北朝鮮側がその対岸のトマンを世界の人々の意表をついて開放港湾都市宣言をされた場合、一番喜ぶのは、その後ろにある琿春地区の中国であり、中ソ国境地区の国際合弁各種企業であろうと思います。
かくして東海(日本海)にトマンを、黄海に南浦を、国際開放港湾都市として真に国際的な通過経済の窓口をあけると、北朝鮮はその優秀な人材と恵まれた資源によって、急速度の近代化と国民生活の向上が期して待たれることになりましょう。私自身もこれまで、四か国の南北朝鮮の相互クロス承認と、国連への同時加盟を北朝鮮自身が待ち望んでおられるものと誤解していたため、つまらない迂回思考をしていましたが、むしろ中国への中継地としての経済産業の興隆で、十分2000万人の職場を確保出来るものと考えられるようになりました。
仁川国際空港(インチョンこくさいくうこう)は、大韓民国仁川広域市中区にある国際空港。永宗島と龍遊島の間にあった干潟を埋め立てて建設したそうです。以前に使用していた金浦国際空港は一部を除き国内線専用となった。滑走路は3,750m×2本と4,000m×1本の合計3本が供用中である。
韓国は、アジアにおけるハブ空港の座を確かなものにするため、積極的に日本、特に日本海側の地方空港と仁川を結ぶ航空便を就航させています。実際に成田国際空港や関西国際空港ではなく仁川経由で欧米へ赴く日本人も多くなっているようです。国内線は釜山線、済州線、大邱線があります。空港内にはさまざまな商店や娯楽施設があり、待ち時間が有効に使えるようになっています。
また、私が1988年9月10日、「アジア興してこそ日本列島均分繁栄への道」を
発刊したときには、韓国も北朝鮮も国連に加盟していませんでした。それが1991年に、韓国と北朝鮮が、 エストニア、ミクロネシア連邦、ラトビア、リトアニア、 マーシャル諸島とともに国連加盟を果たしています。そのなかでも韓国は、目覚しい成長と発展を遂げています。このことを確認する意味で、「南北朝鮮経由の航空路設置と東海、黄海二大国際港湾都市提案」について、引用しておきましょう。
中国の某要人が1988年3月に竹下総理を訪問され、東京・ソウル・北京間の航空路を日本側の航空会社が、「北京・平壌・東京間の航空路を中国の航空会社が設置する提案をされました。
日本も中国も韓国も研究に価する事として乗り気を示したのですが、北朝鮮側が、日中両航空路とも平壌を通すのでなければ応じられないと返答されたそうです。
北・南両線を承認し合うことは、やがて中・ソ・米・日四か国の南北朝鮮の相互クロス承認と、それによって国連への同時加盟を誘発して、東西両ドイツのように分割統治を事実上容認してしまう結果になる、というのがその論拠です。
1988年6月25日、朝鮮人民民主主義共和国は、平壌外港南浦を初めての国際開放港湾都市にすると宣言されました。しかし日本では、一、二の新聞が小さな囲みで先の事実を報道したのに止まり、大半の日本人の眼にはその事実は止まりませんでした。
中国の14か所の国際港湾開放都市宣言はこれと異なり、大変な国際的反響を呼んだのです。なぜなら、それらの各都市の背景にそれぞれ一億人近い人々の市場が張り付いており、各国ともその市場性に魅了されたからです。
南浦港が一港であっても、その背後にある北朝鮮の人口は1800万人から2000万人であり、それらはちょうど人口900万の九州、600万の北海道がいくら金と太鼓で中央資本を呼んでも、一向に興味を示されない現象とよく似かよっています。私は、北海道はアメリカ・欧州へ一番近い日本の空港だから、北方圏空路として日本の中心になることを提案しております。同様に、九州は東南アジアに一番近い日本の空港・港湾であり、東南アジアに対する中心拠点としての存在意義を強調する以外に、筑紫の極み陸奥の奥では国内の関心は勿論、アジアや欧米の人々の関心をひくことも出来ないでしょうと考えております。
幸い平壌と南浦間の距離は50キロですから、その中間に大国際空港を開設して、日本から中国、なかんずく東北地区のハルビン、長春、藩陽、大連、北京、西安その他の路線はすべてこの北朝鮮の港の中継ぎということになれば、大変な旅客と便数が新空港を経由することになりましょう。
かくして、中日両国の中継ぎ中間工程工場としての南浦国際港湾都市は大変な盛況をきたすこと間違いありません。
私は、中国訪問時にクラスキノに隣接したトマン河口地帯の吉林省沿辺地区璋春に、第15番目の国際開放港湾都市開設を提案致しました。
中国は中ソ国境の三江地帯の米中合作開発事業や、愛璋地区における中ソ合弁の紡績工場その他の開発地域をもっています。しかし日本海に面した港がないので、そこに行くためには津軽海峡、朝鮮海峡、旅順、大連経由鉄道で国境に行かなければなりません。トマン経由が円周上の一点経由であるのに対して、全円周廻りに近い大迂回で余り経済的でないと、私は中国側に申しました。
中国側は、北朝鮮の要請で北朝鮮経済応援のため、日本海に面する清津港経由で、百キロ北の中国に物資を運んでいますが、余り経済的ではなく、中ソ国境も現在それほど経済活況を呈していないので琿春に第15番目の開放港湾都市をつくる意味がないとまでいわれ、大連港開設への協力を要請されました。
中国の李鵬首相は、中国と韓国の経済交流の活発化を調ってはおられるものの、韓国の政治的承認は、北朝鮮への信義を重んじられて頑なに拒否されております。
中国が璋春地区の開放都市は魅力的でないとおっしゃる真意は、現在北朝鮮にトマン開放地区の意向がない以上すべての陸揚げはソ連経由でされなければならないので、余り気乗りがしない謎であると受けとめました。
したがって、クラスキノがソ連側の日本海出口でありシベリアヘの窓口とすると、もし北朝鮮側がその対岸のトマンを世界の人々の意表をついて開放港湾都市宣言をされた場合、一番喜ぶのは、その後ろにある琿春地区の中国であり、中ソ国境地区の国際合弁各種企業であろうと思います。
かくして東海(日本海)にトマンを、黄海に南浦を、国際開放港湾都市として真に国際的な通過経済の窓口をあけると、北朝鮮はその優秀な人材と恵まれた資源によって、急速度の近代化と国民生活の向上が期して待たれることになりましょう。私自身もこれまで、四か国の南北朝鮮の相互クロス承認と、国連への同時加盟を北朝鮮自身が待ち望んでおられるものと誤解していたため、つまらない迂回思考をしていましたが、むしろ中国への中継地としての経済産業の興隆で、十分2000万人の職場を確保出来るものと考えられるようになりました。