もったいない・ご恩返しの心を!太田清蔵の世界世直し運動

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マッカーサーと乃木将軍

2009年04月16日 16時51分41秒 | Weblog
日本が今日、戦後世界一の工業国家になったのは、ダグラス・マッカーサー元帥のお陰です。アメリカのお陰ではありません。
ダグラス・マッカーサーもはっきり言っています、「アメリカは日本の敵ではあっても味方ではありません。気をつけなさい」と。
では、なぜ彼が日本の恩人だというかといいますと、彼のお父さんの話にさかのぼります。彼のお父さんアーサー・マッカーサー・ジュニア中将は、日露戦争旅順を攻めていおりました。乃木希典を助けるために、アメリカから派遣された陸軍中将で極東軍司令官として東京に駐在なさっていたわけです。
明治38年3月10日に旅順が占領できて、水帥営というところで講和会議を開くことになりました。それで、それを助けたのがアメリカ軍のマッカーサー中将ですから、乃木大将に向かって
「私どもはあなた方を助けたのですから、水帥営の講和会議に出席させてくれ」
と言いました。ところが、乃木大将は色を変えて怒りまして、
「私は武士である。武士は絶対に敵に恥をかかせない。恥をかかせないのが武士だ」
と言ったのです。勝敗は時の運で仕方ないけれども、負けた人を前にマッカーサー中将が出てくることを許せば、こんなに恥ずかしいことはない。
確かにアメリカのお陰で勝ったことは事実だけれども、講和会議に出席させることは出来ないということだったんですね。
それを聞いていた息子であるダグラス・マッカーサーは、当時は副官でアメリカ軍の陸軍大尉です。乃木大将の言葉を聞き、「敵に恥をかかせない」その言葉がその後、生涯にわたって彼の信条になったということです。
その後、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領から、ダグラス・マッカーサーは対日極東軍の司令官になります。彼の居室には、生涯、乃木希典の写真が飾られていたということで、原爆を落とすことには心を痛め、戦争には勝ったけれども、原爆を二発も落とし、日本に対しては「申し訳ない、申し訳ない」という思いでいたと言われています。
その後の朝鮮戦争では、武器・弾薬以外の軍需品は日本で特別発注しました。こういうことは本当は、やってはいけないことですが、それをマッカーサー元帥はおやりになった。しかし、そのお陰で日本は今日、世界で一二の外貨準備高になったのです。その金額は、今の金額に直すと140兆円に匹敵します。
だから、私は、日本はアメリカには一銭の借りはないけれども、マッカーサー元帥には140兆円の借りがある。そう思っているのです。

2009.1.21日『太田清蔵勉強会・もったいないご恩返しの会』スピーチより


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